音楽と服

音楽と服について好き勝手に語ります

白い靴下

昨日は長男の学習参観だったので学校に行ってきた。

参観日の服って結構考える。

 

普段の休日は,外に出る時は大抵ニット帽かキャップに眼鏡(これにマスクがつくので顔につける物が多すぎる)なんだけど,帽子を被るのはちょっとな。

 

いろいろ考えたすえに。

ユニクロのクルーネックセーター(グレー:今年のモデル)

ユニクロ+Jオーバーサイズスーピマコットンシャツ(白:去年のモデル)

・無印黒スキニーパンツ

・スヌード

・VANSのスリッポン(黒)

というコーディネートに。

 

マスクとシャツが白なので,靴下も白(無印のハイソックス:保温効果抜群)にした。

 

白い靴下を履きながら,「昔は白い靴下を私服で履くなんて有り得んかったな。。」とふと思った。

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上の写真は「FUDGE」12月号より。

今では普通にコーディネートに取り入れる白靴下も,私の世代感で言えば,もともとは「ダサいもの」だった。

 

白い靴下は制服の時に履くものというイメージだし,ちょうど私たちが高校生から大学生の時にかけて,いわゆる「くるぶし丈ソックス」が市民権を得出したので,「くるぶしは出してナンボ」という感覚でした。

 

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「白い靴下」をお洒落に履きこなしている有名人と言えばマイケル・ジャクソンなわけですよ。

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彼の場合はミュージシャンとしての功績も図り知れませんが,ダンスも圧倒的にオリジナリティに溢れていて,本当に凄い才能だと思うのですが。

 

やはりPVとかライブ観てても,脚元が白ソックス,黒のローファーとかだったら,白が目立つ分脚さばきがとても鮮やかに映るのですね。

 

 

全く話が逸れるけど,私「おげんさん」シリーズが大好きなんです。

星野源と愉快な仲間達が集まって音楽やったりダラダラ喋ったりするゆるい感じがね。

 

で,おげんさんファミリーの中に三浦大知くんもいて,星野源三浦大知くんは二人とも大のマイケル好きなんです。

 

星野源の音楽がマイケルの影響を受けていることは「Week End」などの曲構成,歌い方を聴けばすぐに分かる。

他に「創造」あたりも,マイケル直系ですね。

 

で,三浦大知くんはどうなのかというと,彼のダンスは(勿論歌もだけど)本当に創造力に溢れていて,彼にしかできないジャンルを確立していると思う。

ただ,間の取り方とかフィニッシュの見せ方とかは,マイケルのダンスに影響受けてるな…と感じられるところがままある。

 

音楽もダンスも聴いたり観たりするだけで,自分ではやらないのであくまで感覚的な見方なのですが。

 

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何の話だっけ,そうそう白い靴下だ。

何でも聞くところによると,最近はルーズソックスのブームが再燃しているとか。

やはり流行が1周してきているようです。

 

私,個人的な好みで言えば昨今の「オーバーサイジング」の流行にはあまり乗っていけないところがあって(お店のラインナップがそうなるので部分的に取り入れざるをえないけど),本来はタイトめのほうが好きだったりする。

 

まあでも,「白い靴下」みたいに,時代に合わせてそこらへんの感覚は柔軟に変えていってもいいのかな,とは思いますけどね。

年齢を重ねるにつれて,ゆったりした服を好むようになってきているのも確か。

 

「流行には縛られない」とかあまり肩肘はらずに,流行も適度に取り入れながら,自分の好きなものを選んでいきたいですね。

とは言えアラフォー。

体型維持だけは頑張ろうと思います。

 

ではでは。

よい休日を。

「今年もあと少しだよ」

今週のお題「秋の歌」


「『今年もあと 少しだよ』と

 ほかに何か 言いたかったかい?」 

毎年,年末が近づいてきて,寒気が強くなってくると,この歌詞が沁みるようになる。


グレイプバインの「公園まで」。


飾り気のない歌詞だ。

グレイプバインも,お世辞にも華のあるバンドとは言えない。


でも沁みるんだこれが。


「ここにある全てに ただのラブソングを

 余計な言葉よりも 余計なラブソングを

 口ずさむよ」


歌詞だけ書き出しても,なんだか陳腐に見えるのだけども。


これに歌を乗せた,ボーカル田中和将の鼻にかかったような声で聴いてごらんなさい。

絶妙なメロディラインで慕情を掻き立てるアニキのギターで聴いてごらんなさい。


きっと,大切な人を思い浮かべて

もしくは,ほろ苦い思い出が蘇って


その場に立ち尽くすでしょう。


私はただただ,浸りたくなります。

夜道に,曇り空を見上げながら聴いたら気持ちよさそうな。

うん。

絶対気持ちいい。

この後電車降りたらやってみよう。


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グレイプバインを聴き始めたのが中3の時だから,もう20年以上になる。

当時デビューしたてだった彼らのキャリアも既に20年を超えているのだから,私もアラフォーになるわけだ。


厚い曇り空の切間からわずかに差す一筋の光。


彼らの曲はそんなイメージ。

わかりやすいポップさはない。


重苦しかったり,少し毒があったり。

一筋縄ではいかない曲ばかりなのだけど,訴えかけてくるものは確かにある。


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大学生の頃,失恋をした。

今振り返るとそんな大層なことではないのだけども,自分を支えているものが少ない頃だったから,ガタガタに崩れてしまった。


慰めてくれる友達もいたし,気を遣って飲みに付き合ってくれる奴もいた。


だけど不意に一人になりたくなって,真夜中のキャンパスに忍びこんで,一人ベンチに座り,ポータブルCDでグレイプバインのミニアルバム「Everyman,Everywhere」を何度も聴いた。

しみったれた失恋小僧にも優しく寄り添ってくれたグレイプバインの楽曲たち。


そんなこんなで彼らの楽曲には世話になりっぱなしだ。

直近の2作品「All the Light」(2019年),「新しい果実」(2021年)も掛け値無しに傑作だった。


変わらずにいいものを作り続ける彼らの真摯な姿勢には,いつも感動させられる。


また,気持ちよく浸れる曲を待っています。



ちなみに,電車を降りて,曇り空を眺めながら「公園まで」を聴いて帰る予定だったが,駅に降り立つと生憎の土砂降り。

傘は無し。

やむなく,全力疾走で自宅まで駆けることに。

浸るも何もそれどころではなかった。


まあいいや。


金曜日だし。


みなさんもよい週末を。


フリーとジョンのジャムセッションで始まった,忘れられない夏の日

今週のお題「赤いもの」



そろそろ開演時刻を回ってから15分が経つ。

BGMの曲が終わるごとに,聴衆は期待の歓声を上げるが,しばらくしてから次の曲が流れ出すと,再び沈黙する。


2006年7月29日。

聴衆は,フジロック中日のヘッドライナー…恐らくこの年のロックフェス全体のハイライトになるであろうバンドの登場を待っていた。


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レッド・ホット・チリ・ペッパーズ


前作「バイ・ザ・ウェイ」が日本のヒットチャートでも上位にランクインし,アメリカのアンダーグラウンドオルタナバンド的な立ち位置にいた彼らを一気にメインストリームへ押し上げた。

その勢いは06年に新作「ステイディアム・アーケイディアム」をリリースしてからさらに加速した。

何しろ初の全米No.1に加え,日本のオリコンチャートでも1位だ。洋楽の2枚組アルバムとしては史上初の快挙だと言う。

どんなに客観的に見ても,日本における「レッチリ熱」が沸点に達したのは,この2006年夏だと言う見方は間違っていないだろう。

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そんな夏の主役の登場を待つ,フジロックのグリーンステージに私たちは立っていた。

昼間に降った雨は既に止んでいたが,たっぷりと水分を含んだ地面は泥土と化していた。

まとわりつく泥濘に脚を取られながら,その生温かさにひっそりと耐えながら,バンドの登場を待つ。


初めてのフジロックだ。

レッチリが来る!」

それは参戦理由としては十分過ぎる程正当なものだった。

当時私は大学新卒。

微々たる給料から遠征費を捻出し,夏前からキャンプ道具を中心とした準備を始めた。

飛行機と新幹線,シャトルバスを経由して片道6時間の旅の末,ようやく辿り着いた苗場の地だ。


まだか。

じわりと汗が滲んでくる。

ふっと目を閉じた瞬間とステージが暗転したタイミングが同じだった。

初めは,何が起きたか分からなかった。

聴衆の地鳴りのような声が響き,目を開けた。


真っ暗なステージ上に目を凝らすと,人影が見えた。

二つ。

その二つの影は互いに向き合い,最初の音を出した。

その瞬間,ステージ上に光が灯り,二つの影を映し出した。


フリーと,ジョン・フルシアンテ


二人はステージ上で向かい合いながら,セッションを始めていた。

フリーの無骨でファンキーなベースと,ジョンの壮絶な早弾きが絡み合う。

唸るようなセッションは,次第にはっきりした音の輪郭を帯びていく。

そして,聴衆は,そのイントロが何かを知った瞬間,悲鳴とも歓喜とも思える叫び声を上げ出した。


「キャント・ストップ」!


もう既にグリーンステージは狂乱の渦だった。

私も何度も泥濘に脚を取られ,誰かの足に踏まれ,膝下は泥だらけだったが,そんなのお構いなしに跳ね回っていた。


ステージ奥からボーカルのアンソニー・キーディスが現れたらもう,本当に止まらなかった。


その後の記憶はほとんどない。

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ここに一枚のアルバムがある。

レッチリ最大のヒットとなった,「カリフォルニケイション」である。


今回の「赤いもの」というお題から「赤いアルバムジャケット」を連想すると,すぐにこのアルバムジャケの,真っ赤な空がプールに映った不思議な風景が思い起こされた。 


私が初めて買ったレッチリのアルバムだ。

フリーの跳ねるようなファンキーなベースプレイが印象的な「アラウンド・ザ・ワールド」や,ジョンの"泣きの"ギターが炸裂する名曲「スカー・ティッシュ」など,レッチリの代表曲が数多く収録されている。


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今回当ブログで紹介した3枚のアルバムは,レッチリディスコグラフィーの中で私が特に気に入っている3枚だ。

どのアルバムも,ギターはジョン・フルシアンテが担当している。


レッチリはギターの入れ替わりが激しいバンドだ。

初代のヒレルから,ジョン・フルシアンテ,デイヴ・ナヴァロ,ジョシュ・クリフホッパーと四人ものギタリストが在籍してきた。

ヒレルのプレイについてはよく知らないが,デイヴとプレイしているレッチリは重厚でメリハリがある。

ジョシュは堅実だ。バンドに安定感をもたらす。


ジョンのギターは叙情的だ。

ジョンのギターは,バンドが歩んできた挫折と再生の物語を鳴らしている。

そのコーラスもまた,彼らの物語を伝えるのに一役も二役も買っている。


レッチリのギターばジョン。

2000年代に青春を過ごした私たち世代のレッチリファンにとっては,そのような印象ではないだろうか。


ジョンが在籍した10年の間にリリースされた3枚のアルバムはいずれもタイムレスな輝きを放っている。


そして,2006年7月29日のあのグリーンステージでの狂乱も。


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あの日,演奏が終わった後,メンバーは一人一人,聴衆に手を振りながらステージを後にして行った。

ジョンが去った後,ステージ上で一人になったフリーは,おもむろに逆立ちを始め,しかもそのまま手で地面を踏み締めながら去って行った。

割れんばかりの拍手の中を。


なぜ逆立ちだったのか?

いまとなっても謎は解けない。

赤いジャケットと,あの夏の日の鮮烈な記憶と共に。



GTOは村上春樹的で,現代版水戸黄門だ

なんだかよく分からないタイトルになってしまったが,3つのワードが結びついてしまったということだ。

 

土曜日の昼下がりに,CSを観ようと思ってテレビをつけたが,なんと地上波ではどこもやっていない(九州在住です)。

 

仕方がないので他に観る番組はないかと番組表を眺めていたら,「GTO」の文字が目に入ったので,選択してみる。

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GTO(2012年放送)

90年代に放送されていた反町隆史主演のやつかと思いきや,リメイク版でAKIRAが主演した2012年放送のほうだった。

GTOというドラマ自体観たことはなかったので,「どんなもんか。」と思いつつチャンネルは変えずに様子を見ることにした。

 

村上春樹的なリズム感

しばらく観ていると,あることに気付いた。

非常にテンポのいいドラマだ。

セリフ回しにリズムがある。

画面の切り替えは,さりげに絶妙のタイミング。

観る者にだれるタイミングをつくらせない。

 

そう,リズム感だ。

この感じはどこかで…というところで思い当たった。

村上春樹の小説だ。

 

sisoa.hatenablog.com

以前当ブログで,村上春樹の小説は非常に音楽的な文体で書かれており,リズム感があるということを話題にした。

あのリズム感だ。

 

展開は全く春樹的ではないが,演出が非常に春樹的だ。

演出家は誰だ?

間違いなくハルキストだ!

・・・違ってたらごめんなさい。

 

 

水戸黄門的な展開

では,展開はどうかというとこれが完全に勧善懲悪。

要するに水戸黄門だ。

 

全ての話を把握しているわけではなく,一話の感想なので断言はできないが,少なくとも私が観た回はそうであった。

 

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鬼塚(AKIRA)のクラスの生徒である遥(高月彩良)は好きな男に貢ぐため,デートクラブでのバイトを繰り返していた。

そんな遥の行動に危機感を覚えた鬼塚は,遥が男に貢いでいる現場に乗り込み,男を挑発する。

「俺,面倒くせえの嫌いなんだよ…。」

と言い残して男はその場を立ち去り,遥は男を追いかける。

 

ラウンジの密室で二人きりになった遥と男。

交際を諦めきれない遥に対し,男は

「俺,お前を彼女にした覚えなんてないんだけど。」

と最低のセリフを言い放ち,さらに仲間を呼び出して遥に暴行を加えようとする。

 

遥を助けるため現れた幼馴染の村井(森本慎太郎)は全く歯が立たず,同じく救出にきた副担任の冬月(瀧本美織)も逆に暴行されそうになる。

 

絶体絶命の状況で,ここからはもうお決まりの水戸黄門的な展開。

まずはシュート一閃,鬼塚(AKIRA:黄門様)の登場。

さらに,助太刀に現れる鬼塚の親友・弾間(城田優:助さん)に後輩・冴島(山本裕典:格さん)。

3人で悪役共を蹴散らして一件落着。

 

さらに,その後遥や悪役の男たちが身に着けていたブランド物の服を引き剥がし,持っていたバッグもひとまとめにして火をつけ,赤々と燃えさかる炎を見ながら放ったセリフが凄い。

 

「どんなブランドの服着て着飾ってもなあ,裸になりゃみんな一緒なんだよ。」

「てめえの価値はなあ,てめえのために身体をはってくれる奴がどれだけいるかで決まるんだ。」

 

着飾る服のことばっか話題にしている当ブログには耳の痛いセリフです。

でも,心に刺さる名言です,ハイ。

 

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ということで,ここまでの考察は以下の通りである。

 

GTOAKIRA編)= 村上春樹的リズム感 + 水戸黄門的展開

 

なんか「ヒットの法則」みたいになってますね。

スイミングスクールから帰ってきて,GTOを観ている私に「クレヨンしんちゃん観せて!」と要求してきた8歳の長男も,そのうち画面に食い入るように見つめ始めた。

小2の子にも伝わる分かりやすさなのだろう。


AKIRA編の視聴率そこそこだったみたいだけど,反町編はすごかったそうですね。

そちらも是非今度チェックしてみようと思います。

 

 

 

 

ポロとスティーブ・マックイーン

ラルフローレンのシャツが好きだ。

もともと父が紳士服のバイヤーで,仕事に行く時には必ずポロのシャツに袖を通していたことにも影響を受けているのだろうが,私も若い金がない頃から,仕事用のシャツはラルフローレンを選ぶことが多かった。


正直値は張る。

昔は一枚15000円くらいだったと思うが,最近店舗に行ってみると18000円になっていた。ユニクロのシャツが5,6枚買える。


当然,いっぺんに何枚も買えないので,ボーナスが出た時だけ,自分へのご褒美として一枚買い足すようにしている。

大抵は,スリムフィットの,白。


ラルフローレンは着丈が難しくて,試着は何回もしないといけない。

それでもシルエット・品質は間違いないので,高い買い物でもそれなりには満足できる。


ただ,ラルフローレンのシャツは標準サイズの変更が結構頻繁にあり,最近は満足いくシルエットのシャツに出会えていないのも現実だ。

今シーズンはどうだろう。ボーナスが出たらまた店舗に行ってみようと思う。


先日,登録しているポロのサイトからメールが来た。

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秋冬のラインナップ紹介だったが,なかなかいい感じ。

秋らしい渋みのあるラペル幅太めのジャケットに,ストライプシャツ。

特にスラックスが格好いいですね。

普遍的なトラッド・スタイルと言えそうです。


ラフな格好も紹介されていた。

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こちらは夏ですね笑。

でも,30代を過ぎたら,休日もこんなふうにカチッとお洒落できたら格好いいなと思います。


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ラルフローレンのラインナップを眺めていたら,必ず思い出すのが,スティーブ・マックイーンの「華麗なる賭け」。

実業家として十分な富を持つクラウン(マックイーン)は趣味で泥棒もやっている。

ある時,彼は見ず知らずの男たちを運び屋,実行犯として雇い,大規模な銀行強盗事件を起こした。

事件解決のため警察に雇われた保健調査員のビッキー(フェイ・ダナウェイ)は,クラウンを怪しいと睨み,自ら接近していく。


ストーリーも勿論面白いし引き込まれる映画なのだけど,作中でマックイーンが着るスーツ,私服がため息が出るほど格好いい。

スーツは体に合ったジャストサイズ,シャツは白か薄いブルー。ネクタイもほとんど無地。


マックイーンのスーツ姿を見ていると,スーツって色柄よりも本当にシルエットがモノを言うのだと考えさせられる。


実は小柄だったマックイーン。

着ていた服はおそらく,着丈にこだわってほとんどオーダーだったのではと言われている。


スーツ姿も格好いいが,私服姿もいけている。


ラルフローレンからマックイーンを連想してしまうのは,作中で彼がポロに興じているから。

颯爽と馬を操る彼の様子を遠巻きに,サングラス越しに眺めるビッキー。

二人が初めて出会った場面だ。


マックイーンはラフな半袖Tシャツ,短パン,肩から無造作にパーカーを羽織っている。

男から見てもぞくっとするような色気を感じる。

悪い奴なんだけど,文句なしに格好いいから男としては憧れてしまいますよね。


当時のマックイーンは,今の私と同い年のはず。

あんな貫禄と佇まいはとてもじゃないけど出せない。

皺ですらかっちょいい。。


ちなみにこの映画は,紳士服のバイヤーさんからは人気の作品みたいです。

私も久しぶりにまたDVDを観てみようと思う。 


顔は変えずに,中身から変えられるように頑張ります。




デヴィッド・ボウイ最後のポートレートに思うこと

馴染みにしている床屋がある。

大学生の頃,20歳くらいからなので,かれこれ15年以上は通い続けていることになる。

大学の近くにある商店街の一角にある理髪店で,部活の仲間が通い始め,私も通うようになった。

 

店主は当時40代後半の親父。

小柄ながら,ストリートファッションを小粋に着こなすお洒落さんだった。

その店主と,別の店で10年ほど修行を積んだ後,この理髪店に来た30代のお兄さん二人で切り盛りしていた。

 

今から7年前,店主の親父は地元に戻ることになり,その理髪店はお兄さんが引き継ぐ形となった。

 

私はずっと店主に切ってもらっていたので,そのタイミングでお兄さんに担当が変わった。

私自身もちょうど30代になった頃だったので,それまでの短髪から少し落ち着いたスタイルへと変えることができたのは,お兄さんのセンスのおかげだと思っている。

 

お兄さんは,いつもシンプルなロゴが入った白のロングTシャツにジーンズというカジュアルな格好をしていた。

大抵は茶髪をオールバックにしていて,なかなかのイケメンだ。

 

先週末,いつも通り日曜の朝9時にお店を訪れると,迎えてくれたお兄さんの格好がいつもと随分変わっていた。

髪を黒にし,白シャツに紺のジレ,紺のスラックスというフォーマルな格好。

「どうしちゃったんですか?」と尋ねると,そういう質問がくることを予め想定していた様子で,訥々と理由を話してくれた。

 

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常連さんの中に,いつも髪を切りながらボヤいている人がいるらしく,そのボヤキの中にはたまに「おっ」と思わせられるアイデアが紛れているということ。

入れ違いで来た別の客が言うには,そのボヤキの客は実は某一流企業のトップ営業らしい。

 

さすが含蓄のあることを言うものだと感心していたそうだが,そのボヤキの客が最近店を訪れた時に,いつものロンTにジーンズ姿のお兄さんを見て,こんなことを言ったらしい。

「ダメだよそんな格好してたら。世の中が今どんどんカジュアルになっていってるから,その逆を行かないと。」

前々からその客のボヤキには何かあると思っていたお兄さんは,その提言を受け入れることにしたらしい。

 

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なるほどね。。

確かに,色んなものが多様化している今の時代,逆にカチッとした装いは新鮮に映るのかも知れない。

 

そこでわたしが思い出したのが,2016年初頭に亡くなったデヴィッド・ボウイの最後のポートレート

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「rockin'on」2016年3月号より

この写真は,数あるボウイのポートレートの中で,私が最も好きな一枚だ。

無地のスーツにやはり無地のグレイのタイ,黒のハットという,限りなくシンプルなスタイル。



デヴィッド・ボウイと言えば,この「音楽と服」で紹介するのは憚られるほど,余人が真似できない個性的なファッションで自己表現し続けた唯一無二のアーティストだ。


ボウイにとってのファッションとは,その音楽と切って離せない。


私はボウイの死後一年後に開かれた企画展「David Bowie is…」を観に行ったことがある。

出張で上京した際,昼間の仕事が終わるとすぐに会場になっていた天王洲アイルの倉庫街に走った。

終了前1時間ほどだったが,そこそこ人も入っていた。

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ジギー・スターダスト期から,山本寛斎と組んで仕事をしていた頃の衣装,ベルリン三部作期の衣装など,こだわり抜いた衣装が時代ごとに趣向を凝らした展示で会場を彩っていた(この企画展にはボウイ自身が生前に訪れ,感激のあまりしばらく立ち尽くしていたという逸話が残っている)。


順路の最後には,一面スクリーン貼りの空間で,ボウイのライブが放映されていた。

私はあまりの迫力とその熱量に,その場を動けなくなり,結局終了の時間まで見入ってしまった。


ボウイにとって,音楽と身につける服はまさに自己表現そのものだった。


余談になるけど,今回はテーマとして曲云々より着ている服のことが話題の中心になっているが,私はボウイの作る楽曲がとても好きだ。

何というか,見た目とは裏腹に,彼の作る楽曲にはそこに肉体性というか,人間臭さが宿っていて,温かみがある。

時代ごとにテーマは変わっても,そこに流れる血脈は,いつも変わらないように思えた。


ボウイにとっては,自分をどのように見せるのか,偶像としてどう振る舞うべきかは,大きなテーマであったように思えてならない。


だからこそ先に紹介した,ボウイ最後のポートレートには驚かされた。

あのデヴィッド・ボウイの最後が,何の変哲もないスーツ姿なんて。


でも,写真の中のボウイは見たこともない満面の笑みだ。私はこの表情のボウイが,たまらなく好きだ。


デヴィッド・ボウイの心中を推し量ることは難しいが,最後の最後は一番シンプルなスタイルに立ち返りたかったのかも知れない。

だってこのスタイルのボウイが,もっとも自然な彼の表情を映し出しているように思えるから。



冒頭のボヤキの客の話を聞くにつけ,やっぱり,最後の最後まで,デヴィッド・ボウイは時代の最先端を行っていたのだなと妙に納得してしまった。


ちなみに,フォーマルな服装に変えたお兄さんの店にはその後,40〜50代女性の客層が新たに加わったらしい。

淑女に評判がいいことには満更でもない様子であった。

今度は,私も是非ボヤキの客に提言をもらいたいと思っている。



時代は変わる,小沢健二は変わらない

初めて買ったCDは?

という話題にたまになる。

 

私の子供時代には,CDのシングル盤といえば,今はなき「8センチシングル」が主流だったので、初めてのCDも8センチだった。

小沢健二の「痛快ウキウキ通り」。

 

痛快ウキウキ通り

痛快ウキウキ通り

  • アーティスト:小沢健二
  • ユニバーサル ミュージック (e)
Amazon

 

タイトル通り高揚感あふれるナンバーだが,オザケンのカジュアルな歌声に,地方の田園地帯に住む小4ながら都会の匂いを感じたものだ。

だって歌い出しが,

 

プラダの靴が欲しいの

 そんな君の願いを叶えるため

 

なんだもの。

今になって読み返してみると,プラダの靴をねだるなんて,どんな女やねん!と突っ込みを入れたくなるが,田舎の少年にとっては果てしない都会の,大人の,憧れのストーリーだった。

 

まあ,小学生だからフリッパーズ渋谷系の先駆者とかそんなことも知らないわけだし,それ以外のオザケンの曲も聴くことなく(「カローラツーに乗って」はCMでガンガンかかってたけど),少年は大人になったのです。

 

で,大人になってみて,「ロッキン・オン」の編集長山崎洋一郎の手記「激刊!山﨑」の単行本を読んでいたら,小沢健二のアルバム「LIFE」をえらく推している。

 

LIFE

LIFE

  • アーティスト:小沢健二
  • ユニバーサル ミュージック (e)
Amazon

 

オザケンと言えば,小さい頃に少しシングルを聴いたこともあるけど,ロックの人からも評価が高いのか,と意外に思って,さっそく買って来て聴いてみると,まあぶっ飛んだ。

 

これが凄まじいポップアルバムでした。

最初から最後まで捨て曲一切なし。

「ラブリー」,「今夜はブギーバック」などのシングル曲が素晴らしいのは言うまでもないが,

スタートを飾る「愛し愛されて生きるのさ」の躍動感,

「いちょう並木のセレナーデ」で歌われる秋の情景,

「僕らが旅に出る理由」の圧倒的肯定感とちょっぴりの切なさ。

脇を固める曲がまた名曲揃い。

 

これほどに高純度に結晶化されたポップアルバムにはめったにお目にかかれない。

 

思えば,「小沢健二」のようなポップアイコンは,それまでの日本にはいなかったのではないだろうか。

 

藤井フミヤとはちょっと違う。

忌野清志郎とも違う。

氷室京介とも違う。

 

お洒落で格好いいんだけど,色白で少しひ弱な印象で,近所のお兄ちゃんみたいな親しみやすさがあって。でも物凄くポップセンスがあって。

今では,星野源が近いかな。

 

そんなオザケンも,当時(2000年代後半あたり)は表舞台から姿を消していて,すっかり過去の人になっていたわけです。

 

それからまた年月が経ち,2017年の春先。

ある金曜の夜に,何となしにMステをつけて眺めていたら,出演者の中に,見覚えのある顔があるじゃないか。

目尻のシワが少し深くなったが,おろした前髪はそのままに,それはまぎれもなくあの男だった。

 

タモリさんから「小沢くん,久しぶり」と声をかけられて,はにかんだ笑顔は昔のまま。

そして,エレキギターを抱えて歌い出した瞬間,あまりにもオザケンのまんまだったので,笑ってしまった。

その曲は,「ラブリー」でもなく,「ブギーバック」でもない。

新曲「流動体について」なのだ。

 

 

ある老舗人気店のラーメン店の店主が,

「ずっと変わらない味を保ち続ける秘密はどんなところにあるんですか?」

と問われ,こう答えたらしい

「味は時代の変化に合わせて少しずつ変えている。常連さんにも昔から変わってないように思ってもらえる程度に変えるのが難しいんだ。」

 

小沢健二の「流動体について」を聴いた時,この話を思い出した。

私は昔からオザケンの曲を聴いてきたが,新曲もまた,まぎれもなくオザケンらしい曲だ。

しかし,オザケンにしか作れない曲である一方で,次から次へと畳みかけるような疾走感からは,「今」だからできた曲であろうことも感じられた。

 

若さはなくなったけど,ポップセンスは錆び付いてはいない。

むしろ,研ぎ澄まされている。

 

時代は変わる,小沢健二は変わらない。

 

でも,変わらないように見せて,確実に変化し続けている。

 

彼の「次」が楽しみでならない。