音楽と服

音楽と服について好き勝手に語ります

老人と海

「カラン,コロン」

 

少し重い扉を引くと,呼び鈴が乾いた音を立てた。

 

昔のまんまだ。何もかも。

 

お店の中はきちんと整理されていた。

カウンターにはカップやグラスが整然と並び,5,6あるテーブルの向こう側には,白いピアノが静かに佇んでいる。

 

30年前には年代物の赤いロールスロイスが展示されていた気がするが,今回は見当たらなかった。

 

老人は,カウンターに一人座っていた。

 

30年前には,初老ではあったがよく日に焼け,引き締まった体に白い歯が印象的な生気溢れる男性であった。

 

体全体が小さくなったようだ。

腰を曲げて一心に帳簿に目を落としている。

 

「やってますか?」

 

私が扉を半開きにしたまま尋ねると,彼はその時初めて私に気付いたようで,ゆっくり顔を上げた。

 

顔にいくぶんか脂肪がつき,たるんではいたが,目の横の染みは昔のまんまだった。

しかし,目には光がない。

視力が弱くなっているのだろう。

 

「やってませんよ,ごめんなさいね。」

 

老人はいくぶんかすれた声で言った。

その声は,扉の呼び鈴のように乾いた響きがして,どこか違う世界で鳴っているようだった。

 

海岸通りは30年前と違って,大賑わいだった。

サーフショップやカフェが林立し,堤防と建物の間に通る一本の細い道はしじゅう,横切る人や写真を撮る人であふれ返っている。

 

そんな中にあって,この喫茶店兼ペンションだけは,時が止まったように昔のままであった。

半開きにした扉から,静かな波の音が聞こえてくる。

 

「そうですか,ごめんなさい。」

そう答え,扉を閉めようとしたがふと思い返し,私は老人に向かって話しかけた。

 

「実は昔,ここによく泊まりに来てたんです。」

 

老人はそれを聞くと,微かに目を見開いた。

「そう。名前は何と仰るのかな。逆光でよく見えないな。目もだいぶ見えなくなっててね。」

 

私が中に入ろうとすると,私の陰に隠れていた次男が

「怖いよ。」

と小さく呟く。

 

次男にしてみれば,得体の知れない老人は警戒して然るべき存在なのだろう。

私は中に入ることを諦め,扉のところから名乗った。

ただ,30年くらい前のことだから…とも付け加えておいた。

 

老人は,私の名前を聞いても覚えがないようだった。

仕方がない。

 

私が礼を言って扉を閉めようとすると,次男が

「お店開いてないの?」

と無邪気に聞くものだから,

 

「ごめんね。おじさん歳をとったからお店やめちゃったんだよ。もう86になったからね。」

 

老人は次男のほうを向いて語りかけてくれた。

 

86か。

私がここに毎年のように来ていた頃は,50代半ばだったということか。

お店の様子があまりにも変わらないので忘れかけていたが,ずいぶん長い時間が経ってしまっていることに改めて気付く。

 

店内には奥さんの姿が見えなかったが,聞かないでおくことにした。

時間の流れというのは時に残酷だ。

聞かないほうがよいこともある。

 

私は礼を言って扉を閉めた。

今度は呼び鈴は鳴らなかった。

 

車に乗って海岸通りに出ると,先程の喧騒が戻ってきて,

「ああ,やっぱりあれから30年経っているんだな。」

と実感した。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

私が生まれ育ったのは,福岡南部の田舎町で,海とは無縁の土地だった。

近くにある海と言えば,車で30分くらい走ったところに広がる有明海くらい。

ご存じのように有明海は「泥の海」として有名で,砂浜はなく,代わりにあるのはムツゴロウがとびはねる干潟だけだ。

 

そのため,私は幼少の頃から真っ青な海と白い砂浜に強い憧れを抱いてきた。

だから,年に一回の夏の旅行を心待ちにしていた。

 

私の家族は毎年夏に,県内の海岸に旅行に行くのが例年の行事になっていた。

普段は仕事で休日の休みがとれない父も,その時ばかりは1週間の休みを取ってくれた。

 

その海岸は西向きで,玄界灘に面している。

広々としたビーチで,波も穏やかな場所だ。

 

私たち家族は毎年,海岸にある喫茶店兼ペンションに予約を取り,1週間近く滞在していた。

自宅からは車で2時間ほどの小旅行だ。

ペンションは壮年の夫婦が経営していた。

 

もっとも,切り盛りしているのは主に奥さんの方で,おじさんはほとんど店にいなかった。

奥さんは眼鏡をかけていて小柄で細身であるが,背筋が「ぴしっ」としていて面倒見のよい方だった。

 

宿泊客である私たちの名前も覚えていて,カウンターでジュースを出してくれた。

店の中で私たちを遊ばせながら,いろいろ話をしてくれた。

 

おじさんは一応ペンションの主人らしかったが,絵を描いたり流木で作品を作ったりして,わりと自由な感じの人だった。

 

東南アジア風の不思議な絵を描く人で,私たちが泊まる部屋の襖にもおじさんが描いた踊り子の絵がそれぞれにポーズをとっていた。

夜になるとその襖の絵が白く浮き上がり,子ども心には結構不気味だった。

 

数年前,地元の新聞の地域欄に,おじさんの写真とあの不気味な襖の写真が出ていた。

確かおじさんが,ペンションにある襖絵などの作品を自治体に寄贈したという内容だったと思う。

その頃にはすでに80を過ぎていたそうだが,私はおじさんの消息を知ることができたことと,あの襖絵などがペンションからなくなってしまうことに寂しさを覚えたので複雑な気持ちになったことを覚えている。

 

ペンションに泊まりに行っていた頃の話。

一度大潮の時期に当たったことがあり,その時には沖の方まで砂浜が露わになった。

砂浜からは様々な貝やカニなどが姿を現した。

私は珍しいヒトデを見つけて捕まえた。

妹たちはヤドカリを見つけて喜んでいた。

 

この日は大漁のアサリや魚介類で,ペンションの庭でバーベキューをした。

おじさんもどこからか現れ,釣ってきた魚を提供してくれた。

玄界灘の西日を浴びながら,皆で食べた海の幸は美味かった。

 

幼少期の幸せな思い出として,これから先も色褪せることのない記憶だろう。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

老人のペンションから,車で3分くらいのところに,今回私たち家族が泊まるグランピング施設があった。

 

コテージを一棟貸し切って,家族水いらずで過ごすことができる。

息子たちは二階から見える海の景色に大興奮。

 

夕飯はテラスでバーベキュー。

このサンセットだけで飲めるんだな。

 

夕日の美しさは,30年前と何も変わらない。

というか,ここから見える海の様子も,波の音も何も変わらない。

 

おじさんは年老いて,老人になった。

私も子どもをもつ親になり,また息子たちを連れてこの場所に戻ってきた。

 

これからさらに時間が経ち,おじさんも,私もいなくなっても,おそらくこの海は変わらない。

 

追憶の風景を眺めていると,つい感傷的になってしまう。

きっと,夕暮れの海があまりにも美しいからだ。

 

子どもの頃は,海で泳ぐことばかりが楽しみで,景色とかこれっぽっちも意識してみたいなかったと思うが,案外覚えているのはふとした時に見た沖にある島の形だったり,砂浜から眺めたペンションの様子だったり。

 

でも,景色と同じくらいにおじさんやおばさんとの会話や関わりを覚えているものなんだ。

そういう体験を,コロナ禍とはいえ我が子に十分させてやれないのは少し残念に思う。

 

旅のよさというのは,その場所そのものの魅力も勿論だが,その場所での人との関わりもきっと含まれるだろうから。

 

そんなことを思いながら帰りの車でハンドルを握っていると,後部座席に座っていた次男が,

 

「また来ようね。」

 

と言ってくれた。

 

そうだね。


また来年,行こうね。


きっと。


 

フジロックに行こう(ステージ編)

小雨降るグリーンステージにて,ルースターズを聴く

前回記事で初めて自身の全身写真を投稿したところ,意外にも多数の反響をいただき,なんだかこそばゆい感じです。

 

何度かブログ内ではお伝えしていますが,私のアイコンは昔遊びで描いた井上陽水さんの似顔絵で,本人とは違います。

 

まあ,サングラスをかけていてもあれだけの味が滲み出る男になれたらいいな,とは思っていますが見ての通り道は遠いです。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

戯言はそれくらいにして,今回は「ステージ編」。

フジロックの会場には大中小合わせて5つ以上のステージが存在する。

 

その中から主要なステージの特徴や,その場所にまつわる思い出話などを,写真も一緒に語っていこうと思う。

 

1 グリーンステージ

昼間のグリーンステージは暑い。

グリーンステージはフジロックのメインステージだ。

その収容人数は3万を超えるといわれるが,はっきりしたことは分からない。

 

ステージ前方には柵で囲まれたエリア(モッシュピット)があり,このエリアは立ち見客限定となっている。

他のスペースは基本的に折り畳み椅子を出していいが,例えば前方エリアで入場規制がかかりそうなほど観客が増えたら,椅子の撤収を命じられることもある。

 

これまでのヘッドライナーで一番「多いな」と感じたのは,やはり06年のレッチリか,09年のオアシスだろうか。

06年レッチリの時には,トリ前の電気グルーヴの時から会場がパンパンになっていた。

 

人もまばらな早朝のグリーンステージ。

そんなグリーンステージ。

メジャーなアーティストの出演がもっとも多い場所のため,しばしば足を運ぶことになるだろう。

 

一番のおすすめ場所は,ステージ向かって左側のユニバーサルエリア周辺。

車椅子の方専用スペース周辺は木陰になっており,雨の時には雨除けに,日差しが強い時には日除けになるため人気スポットだ(勿論車椅子を置く板張りスペースには入ってはいけません)。

ステージからは少し遠いが,高台になっているため折り畳み椅子に座っていてもしっかり見える。

ちなみに,冒頭のルースターズはその場所から撮った写真。

この時は丸一日ほとんどこの場所から離れなかった。



2 ホワイトステージ

ホワイトステージは,セカンドステージの位置付け。

グリーンステージに次ぐ収容人数を誇る(1万人くらいか)。

こちらにはいぶし銀のアーティストが出演することが多いが,人気アーティストがヘッドライナーを務める時には入場規制がかかりやすくなる。


私が経験した中で最もホワイトステージが混んでいたのは,08年にトリを務めたザ・ミュージックか。

この時には後ろのほうから観ることができたが,日本におけるザ・ミュージックの人気の高さを肌で感じることとなった。


ちなみに,ザ・ミュージックはその2年後にグリーン・ステージの最終日スペシャルゲストとして解散ライブを披露することになるが,この時のライブは私のフジロック史上最高のライブだったと言い切れる。

入場規制がかかりやすいホワイトステージ

さて,そんなホワイトステージだが,地面が砂利になっているため, 折り畳み椅子は必須となる。

また,ステージ内には日陰がないので,日差しが強い日には長時間の滞在は避けたほうがよいだろう。


マッドネスやベルアンドセバスチャン,アニマルコレクティブなど,玄人好みのアーティストの出演も多いホワイトステージ。

名演も数知れず。


ただ,グリーンステージからは徒歩約20分はかかるので,移動の際は計画的に行動しよう。



3 ホワイトステージ下の小川

 ホワイトステージに向かう道の最後に橋がかかっている。

この橋の下には小川が流れている。

ホワイトステージにかかる橋

 この小川は隠れた休憩スポットとして常連の間で認知されている。

私たちは大抵,午前中は橋の下の日陰になっている場所に折り畳み椅子を設置し,小川に足をつけながら読書に耽ることにしている。

小川に足をつけて読書。これが正しい過ごし方。

清流は冷たくて,火照った身体を癒してくれる。

この小川での休憩があるからこそ,フジロックにおける疲労感は,身体的プラス精神的にも3分の1くらいは軽減されている気がする。



4 レッドマーキー

 レッドマーキーはステージ中唯一,屋根がついているステージだ。

ステージ出演アーティストの傾向として,パンク系の激しいバンドが多いため,私は近年立ち寄っていない。

だって疲れるじゃない。


そんなレッドマーキー,雨の時には動員数が急増する。

理由はしごくシンプル,雨宿り客が増えるためだ。

雨の時は動員数が増えるレッドマーキー

まあ,雨に限らず強い日差しを避けるためにも屋内ステージは有効かも知れない。


でも,個人的には野外こそがフジロックのよさ。

自然,別のステージに足が向いてしまうもの。 

 

5 フィールド・オブ・ヘブン

こちらは フジロックのステージ中最奥にある,フィールド・オブ・ヘブン。

ジャズ,フュージョン系のアーティストの出演が多いこのステージ。


過去にはスカパラUAなどが名演を繰り広げたことも。

森の奥の異空間フィールド・オブ・ヘブン

 ちなみに写真はベンジー浅井健一)。

雨の切間から太陽が見えて,ベンジーのシャウトと,どこからか漂ってくるシャボン玉に光が反射して,言葉にならない光景が目の前に現れていた。


このステージの雰囲気は結構好き。

隠れ家的でこじんまりしていて。

周辺にある出店もアットホームな感じでわりとお洒落。



6 アヴァロン横のステージ

 ホワイトステージからフィールド・オブ・ヘブンに向かう道の途中にあるアヴァロンでは,軽食をとることができる出店が出ている。

その横のスペースに小さなステージがある。

アヴァロン横のステージでは辻仁成が弾き語り

このステージでもアーティストが出演して歌っている。

2014年には辻仁成が出てきたから怖いもの見たさで聴きに行った。

当時中山美穂と離婚して間もなかった彼は,時折そのことを自らネタにしながら聴衆の笑いを誘い,気持ちよさそうに歌っていた。


会場からは

「頑張れよー!」

と励ましの声があちこちからあがり,ほのぼのとした空気に包まれていた。



7 場外ショップエリア

チケット交換所のすぐ横には場外ショップエリアがある。

そのため,到着してすぐこの場所で腰を落ち着けてカレーとビールをかきこむのが例年の慣習になっている。

到着した日のこの瞬間が一番幸せな気持ちになる。 

場外のショップエリア

 ちなみに,このショップエリアはキャンプサイトとも直結しているので,朝食の際にも立ち寄ることになるだろう。


また,オフィシャルTシャツ売場もあるため,初日の朝は8時頃行って並んでおくとよい。きっと,希望のものが買えるはずだ。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・


最初は,出演するアーティストが目当てで参戦し始めたフジロックだったが,そのうち出演アーティストが誰であれ,その場所に行くこと自体が目的になってきた。


それだけ,苗場という地がもつ魅力ははかり知れない。


彼の地で過ごす四日間は間違いなく一年間のハイライトになる。


毎年最初のアーティストが出演する直前のグリーンステージで,スマッシュの日高代表が短い挨拶をして,忌野清志郎の「田舎へ行こう」を皆で歌うのが慣例になっている。


それをやると,今年も戻ってきたな!という気持ちになるのだ。


今年はどんなドラマが繰り広げられるのでしょうね。



「夏の太陽に誘われ 

   Watch the River flow

 君も来ないか?さあ行こう!」






www.youtube.com

フジロックに行こう(装備編)

ホワイトステージにて

今年のフジロック出演アーティストが徐々に明らかになってきた。

ヘッドライナーにはジャック・ホワイトとバンパイア・ウィークエンド。

二組とも私がフジロックに参戦していた2010年前後にはメインステージに出演するクラスのアーティストではあったし,どちらも観たことはあるが,彼らがヘッドライナーを務めるようになったのは感慨深い。

 

今年初めてフジロックに参戦するという方もおられるだろう。

私は過去8回フジロックに参戦し,素晴らしい思い出も最悪な失敗も数々経験してきた。

 

そのような経験が少しでも,今年初めてフジロックに参戦される方のために一助になればと思ってこの記事を書くに至った。

 

尚,現状のフジロックはコロナ対策も加味して参戦せねばならないと思うが,私が行っていた頃にはそのような状況にはなかったので,感染症対策という点はカバーできていない点予め伝えておくことにする。

 

 

1 服装について

いきなり変な写真で申し訳なく思う。

あまりの暑さに頭のタガが外れしまっている。

全身を写した写真が希少な為,勘弁していただきたい。 

夏の日差しにノックアウト

 

まず,第一に服装で気をつけないといけないのは,熱中症対策と雨対策だ。

 

一つ目に熱中症

過去記事でも書いているが,無謀にも私は20代前半の頃,帽子も被らずに炎天下の下踊り狂ったことがあり,当然の帰結として絶望的な頭痛と悪寒にやられて,最終日のヘッドライナーとスペシャルゲストを見逃した上に怪しげな薬売りの老婆から高額な漢方薬をつかまされるという失態を犯している。

 

sisoa.hatenablog.com

 

絶対に帽子は被っていくこと。

日除けのサングラスもあるにこしたことはない。

 

二つ目が雨対策だ。

フジロックの三日間で雨が降らないことはほとんどない。

どこか一日は雨に見舞われることが多い。

そのため,雨合羽は必需品だ。

おすすめは,収納が楽でさっと羽織れるポンチョタイプ。

 

そして,脚元は泥濘で汚れるので,トレッキングシューズを履くことをすすめる。

トレッキングシューズは撥水性にも優れたものがいい。

履いていれば浸水して不快な思いをすることもない。

 

また,登山用スパッツもおすすめだ。

これを履いていれば日焼け防止に加え,足元の汚れも防ぐことができる。

できれば3日分持っていくべきだ。

午前9時の一杯目

さらに,脱ぎ着しやすい長袖のアウターがあればよい。

夏とは言え,苗場の夜は冷える。

雨が降れば気温も下がる。そんな時にすぐ羽織れるアウターがあれば安心だ。

 

 

2 携行品について

上の記事で紹介したように,合羽やアウターなどを入れておく小さめのリュックを持って移動する。

これは,全ての荷物を入れている大きめのバッグとは別に持って行くべきだ。

 

さらにフジロックで必需品となるのは,折り畳み椅子。

これは絶対に持って行くべき。

折り畳み椅子があるのとないのでは快適さが全然違う。

 

できれば肘掛けにドリンクホルダーがついているものがよい。

地べたにビールを置いていたら,誤って倒してしまい,地面にビールをプレゼントしてしまうことになる。

数年前に,同行した友人が日に三度もビールを地面にプレゼントしていた。

 

あとは水筒。

サイズは大きくなくてよいだろう。

軽いのがおすすめ。熱中症対策には必需品。

 

もう一つ細かいけど,防水対策をしたスマホケースは必須。

ジップロックをいくつか持って行っておけば,いろいろ便利だ。

 

 

 3 生活用品について

4日間を過ごした「我が家」

テントは当然持って行くが,骨組みがきちんとしているものがよい。

最近よく見かける即席テントは持ち運びも楽で便利だが,耐久性の面ではちと弱い。

きちんと組み立ててテグで固定できるタイプがよいだろう。

 

写真は3人で行った時のテントなので少し大きめ。

持ち運びも少し大変なので,テントを持つ係はきちんと輪番にしましょう。

 

あとは飲食に関して。

朝は温かい味噌汁(勿論インスタント),夜は熱いコーヒーが飲めれば生き返る。

タブレットタイプの着火剤と耐火用の容器を持っていけば,温かい飲み物が飲める。

 

これがあるのとないのとでは,心持ちが全然違う。

熱いコーヒーと一服で精気を養える。

大切です(もう煙草やめてるけど)。

 

あと,重宝するのはボディシート。フジロックでは風呂に入るにも長蛇の列に並ばねばならないので,そのような暇がない時には全身を拭いて清潔さを保っておかねばならない。

顔用,体用両方あればいいですね。

当然日焼け止めも必要。

晴れた時の日差しは本当にエグいから。

 

ちなみに,水やらインスタント食品やらは,チケット交換所近くのお店に全て売っているので,心配せずとも大丈夫。

現地で買うことができます。

 

sisoa.hatenablog.com

・・・・・・・・・・・・・・・・・
ここまで書いておきながら,私は今年もフジロックに行くことは叶いません。まだまだ手のかかる息子が三人もいてはね。
でもまた数年後,彼らを連れてきっと,あの場所に戻りたいなと思っています。
今年参戦される方,苗場は最高ですよ。どうか素晴らしい思い出になりますように。心より願っております。

 

レッチリ私的ベスト10

先日,出勤時にタイムカードをかざしていたら,そばのデスクにいた上司(女性)から唐突に

「趣味は何ですか?」

と聞かれた。

 

その藪から棒さ加減に少し面食らいながらも

 

「音楽フェスによく行ってましたね。」

 

と答えると,椅子に深く腰掛けていた彼女はこれまた唐突に身を乗り出し, 

 

「へえ。誰が好き?」

 

と重ねて聞いてくるので

 

「そうですね。最初にフジロックに行った時には,レッチリが目当てでしたね。」  

 

と答えると,

 

「あら!私も好きよ。あの,女のこがピアノ弾いてるアルバムがあったよね。」

 

「ワン・ホット・ミニット」かな?

なかなか渋いところを突いてくる。

 

その後上司は私が知らないいくつかの曲名を誦じた後(おそらく初期の楽曲群),

 

「今度sisoaさんの好きなレッチリ10曲教えてよ。」

 

とリクエストがあったので,

 

「了解です!」

 

と答えておいた。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

自分で言うのも何だが,社交辞令で終わらせないのは私の偉いところだと思う。

 

今日,昼からレッチリの私的ベスト10曲を選んでプレイリストをつくり,ディスク作成した。

 

この通り,レーベルも焼いた。

写真は2016年フジロックのグリーンステージで私が撮ったものだ。

バンドの調子はイマイチだったが,今となってはギタリストのジョシュが参加した唯一の貴重なフジロックでのステージ。

 

 

少し見づらいが,曲目はこの通り。

上司はおそらく「ブラッド・シュガー・セックス・マジック」(1991年)あたりのファンク色の強い時代が好み。

 

だから敢えて,「カリフォルニケイション」(1999年)以降のチョイスにした。

 

1曲目はこれしかないだろう。いきなりぶっ込んでくるジョン・フルシアンテのギターノイズとフリーの無骨ならベースプレイが最高のカタルシスをもたらす「アラウンド・ザ・ワールド」。


www.youtube.com

 

3曲目は誰もが認める名曲「スカー・ティッシュ」。

この曲を聴いているとなぜだか,行ったことのないカリフォルニアの夕焼けの映像が脳裏に浮かんでくる。


www.youtube.com

 

4曲目は「テルミー・ベイビー」。

2006年の二枚組「ステイディアム・アーケイディアム」から。そこまで有名な曲ではないが,語りかけるようなアンソニーのボーカルが親密な雰囲気で,個人的には好きな曲。


www.youtube.com

 

5曲目の「キャント・ストップ」。

忘れもしない,2006年のフジロック

冒頭のフリーとジョンのジャムセッションが,この曲のイントロに変わった時の会場の盛り上がりはちょっと忘れられない。

sisoa.hatenablog.com

 

 

ラスト10曲目は新作から「ブラック・サマー」。

フルシアンテ復帰を祝うかのようなザ・レッチリと言える名曲。

sisoa.hatenablog.com

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

ということで,案外楽しめた私的ベスト10でした。

結構ミーハー路線でいってみたけど,レッチリ好きな皆さんはどうですか?

 

中高生の頃,好きなアーティストの私的ベストをカセットテープで作っていたな。

B’zの「Pleasure」「Treasure」に続く三枚目のベストを勝手に「Moreasure」(モレジャー)と名付けて選曲してCD作ったり。

 

懐かしい感覚でした。

 

明日,上司に渡そうと思います。

 

 

 

スウィートソウル epの衝撃

新年度も早いもので,もうすぐ一か月。

いや,早くないか。

職場が変わったので,一日一日が過ぎるのが遅い。

 

でも,まずまずの日々だ。

悪くない。

 

こじんまりとした職場だけど,皆支え合っている。

 

赴任してすぐの頃,片付けをしながらキリンジを聴いていた私に,隣のデスクの子が反応した。

 

「誰の曲ですか?」

 

と尋ねらたので,

 

キリンジ。」

 

と答えたら,彼女は

 

キリンジおすすめ10選で,一ついい曲があったんですよね。」

 

と記憶を探り始めたが,5秒くらいして諦め,

 

「思い出したら教えますねー。」

 

と言い残して去って行った。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

社交辞令じゃない証拠に,3日後くらいに彼女は

 

「思い出しましたよ。」

 

と私に話しかけてきた。

 

「スウィートソウル 」

 

というのが,教えてくれた曲だ。

 

聞いたことのない曲名だったけど,礼を言って

「聴いてみるわ。」

と伝えた。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

社交辞令ではない証拠に,私もAmazonで「スウィートソウル 」を検索してみた。

 

この曲は「スウィートソウル ep」に収録されているのみで,アルバム収録曲ではないようだ。

 

中古品しか取り扱いがないので,仕方がないので中古の「良」を選んでポチッとする。

 

待つこと1週間。

1週間待って,ようやく届いた。

 

ちなみに,同じタイミングで注文した新品の「11」(バンド編成 KIRINJI最初のアルバム)は翌日に届いた。

 

先に「11」を聴き込んでおきながら,「スウィートソウル ep」のレビューを書いているということはつまり,そういうことです。

 

それだけの衝撃があったということです。

 

「11」がよくなかったわけではありません。決して。

 

改めて,ようやく届いた「スウィートソウル ep」。

 

「KIRINJI」表記だから,バンド時代の作品と思ったら,デュオ時代の作品なのですね。

 

2003年の作品。

堀込兄弟の弟,泰行さんの作詞作曲。

 

一聴して名曲の予感。

はじめの印象は,メロディラインがビートルズっぽいなあと。

それに,このEPは全6曲収録(インスト含めて12曲)だけど,どの曲も非常にクオリティが高い。

 

タイトルナンバーの「スイートソウル」は堀込泰行が歌っている。

 

この曲,サビの後に

「アーァーアー」

と歌い上げる部分があるのだけど,歌い方とかキーがジョン・レノンぽい。

 

きっと好きなんだろうな。

兄の高樹さんの変態ポップも好きだけど,泰行さんの直球抒情詩,ガツンときた。

 

じっくり聴かせるナンバーだが,こういう曲は何度か繰り返して聴いていると,あるポイントでブレイクスルーを迎える。


www.youtube.com

うん,久しぶりにやられましたね。

哀愁の漂わせ方がさりげなくて,でも親密な感じがして,好きです。

 

そして,2曲目「ブラインドタッチの織姫」は高樹兄の真髄,甘いポップソング。


4曲目の「ザ・チャンス」も懐かしい雰囲気がするナンバー。

夏のイメージで売ってた頃の山下達郎ぽいなあ。


デュオ時代のキリンジも掘り下げていってみよう。

まだまだキリンジ沼から抜け出せそうにありません。


Tシャツは語る2

 前回記事で,村上春樹のエッセイ「村上T」に触れたが,世の中に本当に様々なTシャツがある。


私自身のコレクション(と言ってもどれもかなり着ていて,傷みも激しいのだけど)については以前紹介したことがあるが,夏フェスに行けば,アーティストの皆さんは実にバラエティに富んだTシャツを着てステージに立たれている。

 

sisoa.hatenablog.com

 

そこで,今回は夏フェスで見つけたアーティストのTシャツファッション特集です。

引用は全て「ロッキング・オン」別冊の「BUZZ」より。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 

1 ミューズ

f:id:sisoa:20220417150800j:plain

ミューズはフジロックでも何度となくヘッドライナーを務めた,押しも押されぬUKロックバンドの代表格。


そんな彼らが,初のヘッドライナーに抜擢された頃のTシャツ姿。


 Tシャツというのは,そのサイジングが時代を映していたりする。

ミューズのボーカル・マシュー・ベラミーが着ているド派手なプリントTシャツは体にぴったりフィットするタイトなシルエット。

2000年代半ばから終盤にかけては,このようなタイトシルエットのTシャツがスタンダードだった。


パンツにインするのは今でも見かけるけど,ベルトがかなり主張するデザインになってるところは,現在のトレンドからはやはり距離感というか隔世の感がある。


ベースのドミニクが半袖シャツに細いタイをつけてるが,こんな格好も今見かけないですね。

結構パンキッシュなトレンドだったのだなあと,今となっては思います。



2 ビリンダ・ブッチャー(マイ・ブラッディー・バレンタイン)

f:id:sisoa:20220417150821j:plain

 二人目は,シューゲイザーの歴史的バンド,マイ・ブラッディー・バレンタイン(マイブラ)のベーシスト・ビリンダ・ブッチャー。

このライブはマイブラ再結成後の初の来日ステージとあって,かなりのプレミア感があった。

勿論私もグリーンステージに詰めていた。


当のビリンダ。

とても可愛らしかったです。

当時すでに40を過ぎていたと思うけど,年齢を感じさせない瑞々しさと激しいベースプレイで会場を湧かせてくれた。


いや,この時のマイブラのライブは本当にネジが飛んでるんじゃないかと思うくらい狂ってた。


終盤,曲の途中で始まったノイズ・セッションは延々と続いた。

5分,10分経っても終わりが見えない。


最初のうちは見逃すまいと,熱心にステージを見つめていたが,次第に耐えきれなくなり,泥濘で黒くなった足元に視線を落とした(まさしくシューゲイザー・・・『つま先を見つめる』の意)。

ノイズは更に続く。

周りを見回すと,他の客も天を仰いだり俯いたりして,その異常な事態に戸惑っていることは明白だった。


20分が過ぎ,ようやくノイズが止み,グルーヴが戻ってきた時,周りにいた誰もが

「助かった」

というような安堵の表情を浮かべた。


なかなか印象深い思い出だ。


終演後,ビリンダは,にこやかに手を振ってステージを後にした。

胸にプリントされたトラが眩しかった。



3 岸田繁くるり

f:id:sisoa:20220417150848j:plain

 くるりの岸田さんはパープルのTシャツ。

昼間のグリーンステージに爽やかな風が吹いた。

よく見ると,デザインはシューベルトでしたね。

当時は細かいデザインにまで気づかなかったけど。


 

 4 MIKAf:id:sisoa:20220417151547j:plain

以前の記事で紹介したMIKA。

sisoa.hatenablog.com

 さすがはポップ職人のMIKAだけあって,カラフルな色味のTシャツ。

真ん中にプリントされてるのはバンビ?犬?

どちらにせよ,やはり2000年代のトレンドを反映しているようなド派手なデザイン。


というか,これはMIKAの趣味な感じもしますけど。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


そろそろ無地も飽きられるてくることだろうし,また2000年前後のようにダイダイ柄などの,派手なシャツが復権してくるのでしょうね,きっと。


そろそろTシャツの季節です。


気温が上がってくると,ボルテージが上がります。


さあこい!夏!

 

 

・・・早いか。

 

 

お酒とロック

新しい職場で,予定されていた歓送迎会が中止となった。

 

コロナが再拡大の様相を見せ始めているし,仕方がない判断だと思う。

正直,そのような事態は一昨年の春から世の中がコロナ一色に染まって以来何度となく繰り返されてきたのでむしろ慣れっこになってしまっている。

 

ところで意外だったのが,部内での飲み会に誘われたことだ。

これまでの職場では,そういった内内の飲み会も制限されてきたので,仕事上での飲み会は一切なかった。

 

まあ,仕事以外でも実のところ,コロナが始まって以降外で酒を飲んだのは昔からの友人たちと集まった去年の12月のたった一度きりなのだけど。

 

ということで,仕事関係の飲み会に約3年ぶりに行くことになりました。

おかしなもので,家族と出かける時以外に私服を着ていく機会がここ数年はほとんどなかったので,「夜の街」「飲み会」「仕事関係」(しかもまだ付き合いの浅い方々と)といったシチュエーションは久しぶり。

 

何を着ていくべきか。。

 

こういうことについて考えるのは決して嫌いではありません。

せっかくの機会なので楽しめたらいいなと思います。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

ところで,「お酒」に関して,村上春樹のエッセイを読んでいたら次のような記述を見つけた。

 

僕はおおむね早寝早起きのパターンで暮らしているけれど,たまに遅くまで起きている夜があり,そういうときにはだいたいウィスキーのグラスを傾けることにしている。そして聴き慣れた古いレコードをターンテーブルに載せる。なんといってもジャズがいいですね。ここではCDよりは昔ながらのビニール・レコードの方が,やはり雰囲気にあっている。

そういう場合の,僕の好きなウィスキーの飲み方はなんといっても「トゥワイス・アップ」だ。バーなんかでおいしそうな水があれば,オン・ザ・ロックで飲むこともあるけど,うちではだいたいこの「トゥワイス・アップ」で飲んでいる。作り方は簡単で,ウィスキーをグラスに注ぎ(正式には脚付きのグラスが好ましい),同量の水(常温)をそこに加える。くるりとグラスを回して馴染ませる。それだけ。なにより簡単だ。

僕はスコットランドアイラ島に行ったときに,地元の人から「これがいちばんおいしいウィスキーの飲み方だよ」と教わって,それ以来おおむねそういう飲み方をするようになった。

「村上T」村上春樹

 

いちいち洒落ている。

 

「ウィスキーのグラス」

「古いレコードをターンテーブルに」

「なんといってもジャズ」

オン・ザ・ロック

「トゥワイス・アップ」

スコットランドアイラ島」 

 

このような,浮き世離れしたカタカナワードが,世のアンチ・ハルキストを刺激しているのは想像に難くない。

 

私はウイスキーなんてほとんど飲んだことがないし,酒も強い方ではないので,これからも縁がありそうにないが,九州という土地柄か,焼酎はよく飲んできた。

 

だから,村上さんのように洒脱な文章は書けないが,言葉だけ変えてみて「焼酎」バージョンでしょうもない文章を書くことはできる。

 

それが下の文章だ。

 

僕はおおむね早寝早起きのパターンで暮らしているけれど,たまに遅くまで起きている夜があり,そういうときにはだいたい焼酎カップを傾けることにしている。そして聴き慣れた古いCDをチボリのオーディオにセットする。なんといっても昔のロックがいいですね。ここではデジタル・リマスター音源よりも昔ながらのくぐもって音の輪郭がぼやけている音源の方が,雰囲気にあっている。

そういう場合の,僕の好きな焼酎の飲み方はなんといっても「お湯割り」だ。居酒屋なんかでおいしそうな氷があれば,ロックで飲むこともあるけど,うちではだいたいこの「お湯割り」で飲んでいる。作り方は簡単で,熱いお湯を半分ばかり焼酎カップに注ぎ(できれば陶器のカップが好ましい),同量の焼酎をそこに加える。マドラー(棒)で軽く混ぜ,馴染ませる。それだけ。なにより簡単だ。

僕は長浜の屋台に行ったときに,隣の席で飲んでいた親父から「これで飲む芋(焼酎)がいちばんうまかたい」と教わって,それ以来おおむねそういう飲み方をするようになった。

 

この話は本当で,私は家で焼酎を飲むときにはたいていお湯割りにして,竹輪なんかをつまみにちびちびやっている。

 

こんな時にかける昔のロックというのはたいていボブ・ディランあたりで,「ブロンド・オン・ブロンド」に入ってる「I want you」なんかは最高にいかしてます。

「酔いどれ詩人」のディランは,不思議と焼酎の雰囲気にマッチしてるんだな。

 


www.youtube.com

 

まだ肌寒い日が多い今日この頃には,筍なんかをつまみにしても旨そうだなあ。

 

朝から酒臭い話で失礼しました。

 

今夜もいいお酒を飲みたいな。