音楽と服

音楽と服について好き勝手に語ります

バイバイ,METAFIVE!

車が,まだこない。

 

ディーラーから「8月末」と言われていた納期予定はとうに越え,次は「10月中」ということだった。

 

もう何も信じられない。

 

契約してもうすぐ一年。

 

ディーラーは10月と言っているが,それもまたずれ込むことだろう。

 

年内の納車は無理だろうと勝手に思っている。

 

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6月からディーラーから借りたレンタカーで通勤をしていたが,賃料が結構高い上に,納期遅れだというのにきっちり言い値を持って行かれたので見切りをつけ,1か月で返却することにした。

 

7月末からもう少し安くしてくれる別のレンタカー屋で,軽を借りた。

スズキのワゴンRだ。

 

だいぶ年式が古いが,冷房はきちんと効くし,ディーラーで借りていたレンタカー代の半額なので文句は言えない。

 

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先週金曜日のこと。

そのワゴンRを運転しつつ,いつものようにカーラジオを聴きながら帰っていた。

 

私が愛聴しているラジオ番組では,毎週金曜日にタワーレコードの店長が電話出演し,最新の音楽動向などを話してくれる。

 

その日もタワレコ店長が,その週の動向を話していた。

 

そして一息入れた後,思い出したようにつぶやいたのだ。

 

「来週,メタファイヴの新作が出ますねー。」

 

そうだった。

 

9月14日はメタファイヴのラストアルバムのリリース日だ。

 

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家に帰って,Amazoneで検索をかけてみる。

 

すぐにメタファイヴの新作「METAATEM」が表示されたが,なぜか全てブルーレイディスク付きのデラックスエディション。

 

別に普通のでよかったのだけど,他に選択肢がないようだ。

 

厳密に言うと,「普通の」デラックスエディションと,「メガジャケ付の」デラックスエディションの選択肢はある。

 

値段の差が600円程度だったので,これくらいの差ならメガジャケでもいいかーと思い,ポチっと押した。

それでも5000円はちょっと高かったな。

 

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ということで,今朝「METAATEM」は届いた。

 

それから,午前中を通して繰り返し聴いている。

 

もう4周目。

 

なかなか一言では言い表せない作品だ。

 

ラストアルバムだからと言って,ノスタルジックに耽るわけでもない(当然そんなのは期待してない)。

 

無機質なビートが畳みかけるように響き,曲全体がうねりを増しながら突き進む「The Paramedics」(2曲目)。

プライマルスクリームのエレクトロニカ三部作の中でも最高傑作との呼び声が高い,「Xtrmntr」(2000年)を彷彿させるノイズ・ウォール。

 

次の「By The End Of World」(3曲目)では,ベース音が奔放に跳ね回る。

ビートルズの「Taxman」(1966年)を思い出させるような,テクニカルでいて素朴でもリズムが立っている佳曲。

 

Yukihiro Takahashi(「METAATEM」特典ブルーレイディスクより)

「とりあえず耳障りのよい音楽を作れば売れるだろう」

なんていう打算を微塵も感じさせない乾坤一擲のラストアルバムだ。

 

そもそも「売れる作品をつくろう」とすら思ってないんじゃなかろうか。

 

極めて先鋭的な実験性を持ちながら,ギリギリリスナーを置いていかないポップネスを失わない絶妙なバランス感覚。

 

さすがに,日本の音楽界に革命を起こしてきたレジェンドたちによるスペシャルバンドだ。

 

そんなカオスのような作品も,ラスト曲「See You Again」では目の前の景色が突然開けるような,清新な感覚を覚える。

 

朝が来ればいいさ

そして 歩き出す

それが何処だろうと 信じていこう

生きるって嬉しいな

生きるって 悲しいな

一人きり 夢を 追い続けてる

 

I'll see you again 雨が止んだ頃に

Playing to the end 陽が沈むまで

I'll see you again 闇が明ける時

So we take the pain また晴れるまで

METAFIVE「See You Again」

 

決別の歌だ。

 

メンバーに対してだろうか。

それとも,リスナーに対してだろうか。

 

後半の英詞部分を和訳したら以下のようになる。

 

「また会おう 雨が止んだ頃に」

「最後まで演り切ろう 陽が沈むまで」

「また会おう 闇が明ける時」

「それで痛みに耐える また晴れるまで」

 

試練を乗り越える覚悟。

最後までやり切る覚悟。

 

そんな覚悟の上で作られた作品だったから,ノスタルジックの欠片もないわけだ。

 

メタファイヴのラストアルバムは,確かにロックの未来を映し出していた。

 

決別は後退ではない。

前に進むための,お別れ。

 

See You Again,メタファイヴ!

 

 


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「ビートルズと服」の8年間

初めて買ったビートルズのCDは,「1」であった。

 

久々のオフィシャルベストということで,当時結構話題になり,久米宏さんがメインキャスターを務めていた「ニュースステーション」では,2週間ほど特集が組まれた程だ。

 

それは,アルバムに収録されたビートルズの楽曲のMVをフルコーラス流すという,報道番組としてはかなりチャレンジングな内容だったと記憶している。

 

かの有名な,アップルビル屋上でのゲリラライブで演奏された「ゲット・バック」を初めて見たのも,この特集だった。

 

VHSに標準録画をして,何回も見返した。

 

 

髭面でセンターに陣取るポールの笑顔からは,開き直ったような清々しさが感じられる。

 

茶のコートを羽織った丸眼鏡のジョンは,少し仰け反りながら渋いギターソロを掻き鳴らす。

 

黒のアウターにグリーンのタイトパンツを履いたジョージはやや俯き加減に。

 

目の覚めるような真っ赤なコートを着たリンゴは,いつも通り淡々とリズムを刻む

 

衝撃のかっこよさだった。

 

四人の佇まいと,その様子を見守る聴衆の,なんとも言えない緊張感が漂う。

決別を決めた四人の覚悟なしには、ここまでの迫力が出すことは,できなかっただろう。

 

 

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ビートルズは,デビュー時はマネージャーのブライアン・エプスタインにより揃いのスーツ,マッシュルームカットでライブやプロモーション活動をしていたことが知られている。

 

キャリアを重ねるにつれ,ファッションにも個性が出ていったというのが一般的な認識だが,実際はどうだったのだろうか。

 

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以前も似たようなテーマで記事を書いたことがあるが,あまり写真を使っておらず,具体的な検証できていなかった。

 

だから今回は,デビュー間もない頃から解散に至るまでの彼らの様子を,ファッションを中心に紐解いてみる。

 

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「With the Beatles」(1963)

「With the Beatles」(1963)ブックレットより

初期の「ウィズ・ザ・ビートルズ」のブックレットには,当時としては珍しくラフな彼らの姿が残されている。

 

ポールとジョージは,シャツにスラックスという「クールビズ」スタイルだが,リンゴはバンドカラーのシャツだろうか。

よく見ると,リンゴとジョージはサンダル履きなのが笑える。

 

ジョンに関しては白Tをタックインにサングラスというスタイルだが,白Tシャツがなんとも下着っぽくて微妙な印象。

 

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「A Hard Days Night」(1964)

「A Hard Days Night」(1964)ブックレットより

続いては,翌年の「ハード・デイズ・ナイト」。
白シャツに黒いタイ,ジレという装いはジョン(左)とジョージ(右)。

 

初期のお揃いスーツの頃と比べると,やや着崩すようなスタイルが板についてきているようだ。

ジョンは眼鏡をかけるようになった。

 

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「サージェント・ペッパーズ・ロンリーハーツ・クラブバンド」(1967)

「rockin'on」2007.7

「サージェント・ペッパーズ」は,自分たちを架空のバンドに見立てたコンセプトアルバム。

 

アルバム・カバーでは揃いの衣装を着ていた四人だったが,ブックレットには,スタジオに集まるメンバーと,プロデューサーのジョージ・マーティンの写真が収録されている。

 

まずジョージの民族調のベストが目を引く。

当時からインド音楽に傾倒していたことも影響しているのだろうか。

 

ジョンも,髭を蓄え始めており,丸眼鏡をかけるように。

 

この年,ビートルズをスターダムに押し上げた仕掛け人,ブライアン・エプスタインが亡くなっている。

 

メンバーがそれぞれの個性を主張するようになる萌芽は,ファッションにも表れ始めているようだ。

 

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「ホワイト・アルバム」(1968)

ジョン・レノン「ホワイト・アルバム」(1968)ブックレットより

翌年の「ホワイト・アルバム」もメンバー個々の力量が改めて示された傑作ではあるが,一体感には乏しい作品であることもまた事実。

 

このブックレットのジョンは,髭こそないが,長髪にラフなデニムのシャツという,後年のイメージを彷彿させるスタイル。

 

リンゴ・スター「ホワイト・アルバム」(1968)ブックレットより

一方のリンゴは,ジャケットにシャツの至ってクラシックなスタイル。

襟に一癖あるような感じではあるが,あくまで「さりげない」程度に抑えているのはいかにもリンゴらしい。

 

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「Let it be」(1970)

ポール・マッカートニー「Let it be(Naked)」(2003)ブックレットより

ジョン・レノン「Let it be(Naked)」(2003)ブックレットより

「Let it be」は,解散後にリリースされた作品なので,実質的にはメンバーの意向とはだいぶかけ離れた形で世に出ることになった。

 

2003年に「Neked」として,過剰な編曲を取り除いたバージョンがリリースされ,ポールなどはそちらのテイクの方が気に入っているようだ。

 

この「Neked」のブックレットには,

髭を蓄え(30歳前後には見えない),意気揚々と歌うポールと,真っ白な衣装に身を包み,弦楽器(シタールだろうか?)をいじるジョンの写真が使われている。

 

二人のファッションの傾向の違いがよく分かる対比になっている。

ポールはわりとスタンダードな装いを好むが,ジョンは個性が強め。

 

特に全身を白でまとめているあたりは,「アビイ・ロード」のジャケ写を彷彿させる。

 

白一色でただただ「清楚な」印象にならないようにだろうか,足元はカジュアルなスニーカーをチョイスしているのは彼ならではの秀逸なバランス感覚だと言えそう。

 

このスニーカーはジャック・パーセルでしょうか?軍モノでしょうか?

 

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ビートルズのデビュー当初から解散までの歴史を,「ファッション」という観点で追ってみた。

 

追ってみて感じたことは,どの時代にせよ,ビートルズというバンドの面々には一定の「気品」が漂っていて,あまり野暮ったさを感じない点だ。

 

勿論,時代を経るごとに個性が出てきて,さらに洗練されていったり,奇抜な格好をしてみたりするのだが,不思議とどんな格好にもさらりとしたセンスの良さが感じられる。

 

それも,彼らが時代を越えて愛される一つの要素なのかもしれないな,と思ったのでした。

 

 


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Do you Remember?

「Do you Remember?」

 

運転中にカーラジオを聴いていると,ナビゲーターが突然,私に呼びかけた。

 

そのフレーズからすぐにその意図を察した私は

「くるな。」

 

と身構えて待ったが,「あの曲」はかからない。

 

再びナビゲーターが問いかける。

 

「Do you Remember?」

 

何かの前フリなのか?

エンジンをかけてからまだ数分しか経ってなかったので,その前のくだりからの流れがあったのかも知れない。

 

結局,「あの曲」は聴けなかった。

 

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音楽好きのみならず,70~80年代には既に物心がついていた人なら,「Do you Remember」のフレーズを聞いたら「あの曲」を連想するのではないだろうか。

 

だって9月だから。

 

帰宅した私は,早速CD棚から「あの曲」が収録されたアルバムを探した。

確か彼らの作品は一枚だけ持っていたはずだ。

 

見つけた。

アース・ウインド&ファイアーの「ファンタジー~パーフェクトベスト」。

改めて歌詞を読み返してみると,歌い出しはこのようになっていた。

 

覚えているかい

9月21日の夜を

愛は僕の気持ちを変えてしまった

9月の空を追いかけている間に

 

アース・ウインド&ファイアー「セプテンバー」

 

この曲は,9月21日のことについて歌っていたのだ。

全然知らなかった。

 

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私が新卒2年目に働いていた職場に,10くらい年齢が離れているけどとても面倒見のいい先輩がいた。

 

その先輩は昔バンドでドラムを叩いていたらしく,特にハードロックが好きで,エアロスミスやらヴァン・ヘイレンやらをよく聴いていて,私にもいくつかCDを貸してくれていた。

 

私は私で,当時は特にUKロックに入れ込んでいて,ブリットポップ勢からスミス,ハッピーマンデイズなど掘り下げていってたので,先輩とハードロック・バンドの話をするのもまた新鮮だった。

 

そんな先輩と,ちょうど今と同じ季節…秋口にドライブをしたことがある。

 

ドライブといっても,先輩ん家の別荘の片付けの手伝いに行っただけなのであるが。

実家が地主で,大層育ちがいい先輩ではあったが,全く飾らない大らかさのある人だった。

 

別荘までの道すがら,先輩が運転する白のステップワゴンの車中で,ずっと流れ続けていたのがアース・ウインド&ファイアーだった。

 

例の,「セプテンバー」のイントロが流れてきた時にはすぐにピンときたが,同時に意外でもあった。

 

筋金入りのハードなロック,メタルが好きな先輩がこんな軽薄そうなダンスミュージックを聴くなんて。

 

そう思って,尋ねてみると

 

「だって気持ちいいやん。」

 

と答えてくれた。

 

「そんなもんかな」と,いまいち腑に落ちなかった覚えがあるけど,ハードロックもダンスミュージックも,そもそも「快楽原則」がもとになっている点では合点がいく。

 

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それにしても,9月(セプテンバー)というのは曲のテーマになりやすい月ではないだろうか。

 

竹内まりや「セプテンバー」,松任谷由実「セプテンバー・ブルームーン」,SHAZNA「すみれセプテンバー・ラブ」。

 

カーラジオを聴きながら運転していると,結構「セプテンバー」と名のついた曲が流れてくる。

 

なぜだろうか。

 

9月というのは,特に情緒を感じる時季だからではないか。

 

朝夕はめっきり涼しくなり,外を歩けば蚊に刺されることもなくなり,かわりにコオロギの声が聞こえるようになった。

 

暑さの盛りを越え,これから徐々に冬に向かっていく,そこはかとない物悲しさも感じられる。

 

こういう時季って,物思いに耽ったりインスピレーションが湧きやすかったりするのだろう。

 

・・・「すみれセプテンバー・ラブ」からは,あんまり情緒は感じないけど笑。

 

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アース・ウインド&ファイアーのボーカル,モーリス・ホワイトは若い頃はドラマーとしてチャック・ベリーマディ・ウォーターズバディ・ガイなどのロック,ブルースのレジェンド達のレコーディングに参加し,ジョン・コルトレーンのツアーにも参加した経歴を持つなどして研鑽を積んだ。

 

ロックンロールのダイナミズムや,ブルースの哀愁など,プロの技術・表現力を吸収した彼の音楽が,70年代後半から80年代にかけて,日本のディスコ・シーンで多大な影響力を持つようになった事実は非常に興味深い。

 

そう,「セプテンバー」は哀愁の9月を思って歌った,実は切ないダンスナンバーだったのだ。

 

 

15年前,片付けを終えて,先輩の別荘の庭から見上げた空は,高かった。

向こう側には博多湾が広がっていて,水面は夕焼けで光っていた。

 

ロック・アーティスト秋めきファッション3選

ようやく朝夕に涼しさが感じられるようになってきた。

 

この記事を書いているのも早朝だが,冷房はつけていない。

 

昨日,子どもたちを連れて立ち寄ったコンビニで買った「メンズ・ファッジ」最新号も特集は「この秋,ちょっと”やんちゃ”が面白い」。

 

いよいよ秋めいてくると,ファッションが面白い。

 

個人的には秋~冬のはじまりは,最もお洒落が楽しめる時期ではないのかなと思います。

 

とは言え,暑かったり肌寒かったりがしばらく続いて悩み多き季節でもあるというのもまた事実。

 

そこで今回は,ロック・アーティストの「秋めきファッション」特集です。

 

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1 カート・コバーンNirvana

カート・コバーンNirvana:「rockin'on2009.12」)

いまだに,幅広い世代の音楽ファンからの支持を集める,ニルヴァーナカート・コバーン

音楽的資質は勿論だが,その言葉が持つ力や生き方,ファッションも含めて一つの「アイコン」として成立している唯一無二の存在。

 

上は,「ライブ・アット・レディング」がリリースされた2009年の「ロッキング・オン」に使われた写真。

 

薄手のトレンチ・コートだろうか。

カートと言えば,カーディガンに穴の開いたジーンズというイメージだが,この写真ではシックな印象。

 

きれい目に見えるが,胸のバッジでさりげなくカジュアルさを演出しているのも,彼ならではのセンス。

 

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そういえば昨年の10月にもトレンチコートについての記事を書いていました。

 

でも結局,まだ持っていないんですよね。

トレンド関係なく長く着れそうなので,今年あたりいいのが見つかれば購入したいです。

 

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2 ブライアン・ジョーンズ(Th Rolling Stones)

ブライアン・ジョーンズThe Rolling Stones:「rockin'on 2022.9」)

二人目は,ローリングストーンズの元メンバー,ブライアン・ジョーンズ

こちらも既に故人なのだけど,初期のストーンズでは音楽面,ビジュアル面でも中心を担った人物。

 

お洒落さんとして有名だったというブライアン。

 

写真でも,コーデュロイのブルゾンにバンジョーをかける姿はさすが決まっている。

 

腕のまくり方とか,その腕からチラ見せしている腕時計とか,下に着ているハイネックセーターとか,いちいち小技が利いていて,60年代とは思えないセンスのよさ。

 

スラックスの丈感や,ブーツとのバランスも完璧。

 

彼の姿を見ていると,格好いいスタイルというのは普遍的なものなのかも知れないなと思えてしまう。

 

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3 ジョン・スクワイア(Liam Gallagher Live)

ジョン・スクワイア(Liam Gallagher Live:「rockin'on2022.8」)

最後は,元ストーンローゼズのジョン・スクワイア

 

この人はイギリスの伝説的バンドの名ギタリストとして有名。

 

写真は,今年行われたリアム・ギャラガーのライブにシークレット・ゲストとして招かれた時の様子。

 

キャスケットを目深にかぶり,ギターをかき鳴らす姿には相変わらず惚れ惚れする。

 

ジョン・スクワイアと言えば,長髪が似合う正統派ロック・スターというイメージが強かったが,帽子をかぶっている姿は初めて見た。

こんな格好もまた新鮮。

 

ジョンが着ているように,しばらくぶりで短い丈のブルゾンの人気が再燃しているようだ。

 

学生時代に古着のブルゾンをよく着ていた私のような世代の人間にとっては,また馴染み深いトレンドの波が来そうで少し楽しみなところでもある。

 

秋のお洒落,楽しみましょう。

 

 

 

ブラーの成長と「罪の意識」

夏が過ぎ去ってしまった。

 

現在台風が北上中で,早朝からおどろおどろしい風のうねりが聞こえているが,もうじきやむことだろう。

 

この台風が過ぎれば,いよいよ秋めいてくるのではないだろうか。

 

ところで夏の盛りの頃,一枚のアルバムを購入していた。

それはブラーの2003年発表の7枚目のオリジナルアルバム「シンク・タンク」だ。

 

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私はブラーという英国のバンドが好きだ。

 

ブラー(「モダン・ライフ・イズ・ラビッシュ」ブックレットより)

 

それについては当ブログでも何度となく紹介しているが,このアルバム「シンク・タンク」は彼らのディスコグラフィー中唯一まだ手に入れていない作品だった。

 

私がブラーを本格的に聴き始めたのが2000年代中頃だ。

その時期のブラーは,ギターのグレアムが脱退した3人編成で,ちょうどキャリアの空白期間に当たっていた。

 

だからその空白期間のうちに私は初期からの彼らの作品を遡って聴いていった。

 

そのうちにグレアムが復帰,4人でのライブ活動再開~デーモンのソロを経ての2015年の新作という一連の流れの中で,空白期間直前(2003年)リリースの「シンク・タンク」は最後まで後回しになっていたということだ。

 

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ところで,なぜ私がブラーという英国のバンドを好きなのかという話なのだが。

 

一言でいえば,彼らの「シニカルさ」の裏返しである「人間くささ」と,それをポップソングに仕立て上げていくセンスに惹かれているのだと,最近になって分かってきた。

 

というか,それはブラーのフロントマン・デーモン・アルバーンの個性でもあると言い換えることもできるだろう。

 

デーモンについては,ゴリラズの仕掛け人としての考察も以前書いたことがある。

 

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デーモン,グレアム,アレックス,デイヴの四人組からなるブラーはイギリスで90年代から活動しているロックバンド。

 

90年代にブレイクした頃のイメージが強い人たちからは,極めて英国的なメロディーを奏でるバンドと思われがちだが,2000年以降の彼らのサウンドはかなり多様だ。

デーモン・アルバーン(Fujirock2014グリーンステージにて)

彼らのサウンドについて,大まかに時期を分ければ,90年代初頭~90年代半ばまではブリットポップを牽引し,英国的なサウンドを鳴らし続けた初期。

 

90年代後半からはアメリカでの成功を意識して,ヒップホップやメタルの要素も取り入れたサウンドを志向する中期前半。

2000年代初頭,バンド内の軋轢からグレアムが脱退し。残る3人でアフリカでのレコーディングを行った中期後半。

この後バンドの歩みはいったんストップする。

 

そして,グレアムが復帰した後,4人でのライブ活動を経て香港でのレコーディングで新作を生み出した後期。

 

母国イギリスから始まり,アメリカ,アフリカそして香港などの多様な音楽性を吸収しつつ自らの血肉とし,作品に結実させてきたデーモン・アルバーンは,「シンク・タンク」時のインタビューで,自身の音楽的探究心について以下のような興味深い話をしていた。

 

「アフリカの国々を侵略したヨーロッパ白人としての罪を償うために,僕らは彼らアフリカの人々の暮らしや文化,歴史をしっかりと学ばないといけない。僕がアフリカの音楽に魅せられて現地のミュージシャンたちと作業しているのも,その贖罪の意識の現れでもあるんだ。いい作品を作って残していくことが使命なんだとね。」

ブラー「ザ・マジック・ウィップ」ライナーノーツより引用

 

デーモンには,侵略者の子孫としての「罪の意識」が常にあるのだ。

それは,彼の生まれがイギリス中流階級の比較的裕福な家庭であることもおそらく影響している。

 

同じイギリス人でも,労働階級出身で幼少期から「のし上がるにはシンガーかサッカー選手になるかしかない」環境に生まれ育った,オアシスのノエルやリアムが鳴らすラッドな音楽とは根本的に異なるのは,そうした生まれ育った環境も関係しているだろう。

 

リアム・ギャラガーは労働者階級出身である自分を真っ正面から見据え,「俺は俺である必要がある」と歌った。

これもロックの一つの形。

 

デーモンのように,「罪の意識」が音楽活動のモチベーションになっているというのも,一つのロックの在り方なのかなと思う。

 

初期・中期・後期にリリースされた彼らの作品の,歌詞を読み解いていくと,ところどころでデーモンの「罪の意識」が見え隠れしている。

 

時期ごとに「罪の意識」を感じる対象が異なっていて,それが彼自身の音楽的成長にも直結していて非常に興味深い。

 

 

1 イギリス「モダン・ライフ・イズ・ラビッシュ」(1993年)

 

初期の代表作「モダン・ライフ・イズ・ラビッシュ」に収録の「サンデイ・サンデイ」の歌詞から。

 

じいさんは言う

イギリスはすっかり変わっちまった

毎週「日曜讃歌」に合わせて歌うが

必ず途中で居眠りしちゃうって

日曜のまどろみには勝てないもんね

「サンデイ・サンデイ」

 

「ブラーは英国的なバンド」というイメージが根強い。

しかし,この「サンデイ・サンデイ」の歌詞では,イギリスにおける古くからの風習も形骸化してしまっているもの悲しさを,自虐的に笑うデーモンの心象風景が歌われている。

 

ここでは,「英国人であることの罪深さ」を斜めから見ている若きデーモンが顔を出している。

 

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2 アフリカ「シンク・タンク」(2003年)

シンク・タンク

シンク・タンク

  • アーティスト:ブラー
  • ユニバーサル ミュージック (e)
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2000年代初頭,グレアムとの決別を経てバンドはアフリカのモロッコへと赴く。

この時期のインタビューが最初に引用したデーモンの言葉である。

 

この「シンク・タンク」という2003年の作品は,「難解過ぎる」と酷評されたこともあった。

実際に聴いてみると,幾分内省的なところもあるが,ハードロックあり,ジャズの要素を取り入れた曲もあり,全編通して非常にタイトにまとまっていて聴きやすい。

 

従来の「英国的な」ブラーを期待したファンには不評だったろうが。

 

印象的だったのは「スウィート・ソング」の歌詞。

 

誰もが死んでいく

泣くのはよせよ

ほら日が昇る

君を傷つけるつもりじゃなかった

やったことに気づくには時間がかかる

だから僕は

ゆっくり遠ざかっていく

「スウィート・ソング」

 

これは明らかに決別した友・グレアムへの言葉だろう。

 

この「シンク・タンク」が「侵略者の子孫としての贖罪」というテーマのもと作られたことは間違いないが,「友に対する罪」についての側面もあったのではないか。

 

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3 香港「ザ・マジック・ウィップ」(2015年)

 

2015年の「ザ・マジック・ウィップ」では,グレアムと再び邂逅し,4人組としてのブラーが復活している。

 

今回の舞台は,香港だ。

言うまでもないが,香港は97年まではイギリスの統治下にあった。

 

デーモンが4人組としてのブラーの再出発の地として香港を選んだのは,必然だった。

 

西洋人が多すぎる

一番上のボタンを開けて

横柄なのが彼らのしるし

贅沢を売り歩く行商人

贅沢なやり手が集まるスカイ・バー

「ゴー・アウト」

 

「ゴー・アウト」の歌詞は一目見て分かるシニカルなもの。

香港の街を歩く中でも,彼らは英国人である自分たちを俯瞰的に見ることを忘れていない。

 

そんな「罪の意識」を内包しつつも,「僕は君と一緒にいたい」と歌う「オン・オン」はコミカルで,泣ける。

 


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英国人であることと向き合い続けた途上で一度は友を失い,そして再び4人になったブラー。

彼らに次はあるのか。

 

私は「きっとある」と思う。

 

アメリカ,アフリカ,そして香港・・・。

 

世界中を巡ったデーモンの「音楽的探究の旅」は,最終的には母国イギリスに帰ってくるだろうから。

 

その時に鳴らすのは,やはり「罪の意識」だろうか。

個人的には,それが英国人であることを誇る作品になっていることを願う。

 

そこに,デーモンの本当の声が宿っているはずだから。

 

 

 

 

21世紀の「ラジオスターの悲劇」

先日,夕方の情報番組を何ともなしに見ていたら,一風変わった始業式のことを報じていた。

 

不登校の子どもたちが,アバターとして自宅のPCからバーチャル登校するという取り組みだ。

RPGのゲームのような画面上で,自身のアバターを操作して「登校」し,授業に「参加」するというものだ。

 

学校に行けない子どもにはそれぞれの事情がある。

だから,子を持つ親の立場としても,どんな形であれ「登校」してくれることは喜ばしいことだろうと想像もできる。

 

情報番組の司会者やコメンテーターも,不登校の子どもを救う新たなテクノロジーであるというようなコメントをしていた。

 

しかし,私はこのくだりを見ている間じゅう,何とも言えない違和感のようなものを感じ続けていた。

 

本当に,「これ」を子どもたちに提供して,それで「よかった」で片付けるべきなのだろうか。

 

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ちょうど,その時読んでいた本に,こんな問題と関わるような内容が書かれていたように記憶していた私は,再びその本を開いてみた。

 

最近買った養老孟司さんの新書「子どもが心配」だ。

 

 

養老さんが,子どもの教育について四人の識者と語り合う対談形式で構成されている本だ。

その中でも,特に気になったのが慶応大学医学部教授・高橋孝雄氏との対談だ。

高橋氏は小児科が専門である。

 

いまや多くの方々がSNSなどを介して,無数の人びととバーチャル空間でつながっています。そして,コミュニケーションがとれていると「錯覚」している。

しかし,オンライン上のコミュニケーションは対面とは異なり,五感のすべてを用いているわけではありません。バーチャル空間の映像の相手に使っているのは視覚と聴覚,あとはチャットなどの場面でキーを打つ時に感じる指先の触覚といったところでしょうか。

実体験としてのコミュニケーションは,脳細胞が形成するネットワークに広く五感が働きかけるものですよね?

一方のネット上のコミュニケーションは,特化した感覚が脳細胞そのものを直で刺激するようなものではないか。だとしたらバーチャル空間では,人間の閾値を超えるような強い刺激が脳細胞に伝わっていることになります。これは生物学的に見ても異常な状態で,うすら寒い心持ちすら覚えます。

 

高橋氏が話すように,実体験としてのコミュニケーションは五感に働きかけるもの。

それは,「ヒト」以外のものと関わるときでもそうだ。

 

例えば,うちの長男は大の昆虫好きだ。

夏休みなどはよくセミを捕まえに外に繰り出した。

 

ジージーとうるさく鳴くセミを頭上に見つけ,虫取り網を構える。

 

捕獲に失敗すると,顔にオシッコをかけられることもある。

 

うまく捕まえても,ジイジイと抵抗するセミを網から取り出し,虫かごに移さねばならない。

セミをつまむと,「ギ・ギ・ギー」と抗うので,両目の横を手でつまんで持つ。

鳴くたびにセミの体は振動し,手足を忙しなく動かし抵抗する。

 

虫かごに移す途中,その鋭い脚で引っかかれて「痛っ!」と思わず放してしまうこともある。

 

そんな体験も,外に出て実際にセミと触れ合わなければ当然できない。

 

NHK for Schoolに「ものすごい図鑑」というのがあって,虫の体をくまなく観察でき,自由自在に拡大縮小することもできるという,本当にすごい機能だ。

 

そこで発見できることもあるだろうし,知識だけならしこで身につくかもしれない。

それでも,やはり実体験でしか得られないものはある。

 

先述の高橋氏はこうも語っている。

 

私はやはり,子どもにとって本当の意味で良い環境とは,何不自由のない暮らしをさせることではなく,適度なストレスがある状態だと思います。いろんな種類の適度なストレスが子どもに働きかけることで,心と体はどんどん育っていくのです。リアルな営みを本気で体験しているときは,まさしく適度な負荷がかかっている。現実世界は,ゲームのように一瞬にして不可能が可能になることはまずありませんが,その分,ささいな何かを成し遂げることでも大きな充実感や達成感を得られるものです。

養老孟司「子どもが心配」PHP新書

 

コロナ禍が長引き,学校現場ではタブレット端末を使ったオンライン授業が日常的に行われるようになった。

 

ところで,濃厚接触者だけでなくコロナ感染不安による希望者はオンライン授業を受けることができ,しかもそれは欠席にはならないことはご存知だろうか。

 

感染不安は仕方がない。誰だってコロナになりたくない。

私だって罹った。あんなキツい思いはしたくない。

不安ならオンライン授業を受ければいいと思う。

 

しかし一方で,以前よりも「学校に行かないこと」に対する抵抗感がなくなっていることは確かだ。

通常登校でもオンライン登校でも同じ「出席」扱いなら,それも仕方ないだろう。

おかげで,子どもたちの「ストレス耐性」は確かに下がっている。

 

コロナ以降,不登校児童数は明らかに増えてきている。

報告がなされたわけではないが,原因の一つに「オンライン授業」があることはおそらく間違いない。

 

コロナ禍でも教育を止めないための「オンライン授業」が実は諸刃の刃であることを,GIGAスクール構想を掲げる文科省も教育現場も一度立ち止まって検証する時期にきているのではないだろうか。

 

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学校現場が課題に溢れていることは,誰の目にも明らかだ。

 

学校にはいろんな子どもがいるし,いろんな大人(教師)もいる。

いろんな人がいるから,自分の思い通りにいかないことも沢山あるだろう。

嫌な目に遭うことだってあるだろう。

 

でも,そもそも「社会」ってそんなものじゃないか。

 

子どもたちの前に立ちはだかる障害を片っ端から取り除いていくことが,本当に彼らのためになることなのだろうか。

 

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私に読書の素晴らしさを教えてくれたのは小学校三年生の時の担任の先生だった。

先生との出会いがなかったら,私は文章を書くことの面白さにも気づかなかっただろうし,今ここでブログの記事を書くこともなかっただろう。

 

その先生は,ある日の国語の授業で自らの一挙手一投足を,私たちに文章に書かせたことがある。

 

先生がそろりと教室の戸を開け,私たちをぐるりと見渡し,右足から教室へ一歩踏み出してくる。

一歩,二歩,歩を進め,教卓の前にくると,「すーっ」と深呼吸を一つ。

教卓に両手をついた。

校庭側から中央,廊下側の順に私たちを見渡し,椅子を引いて座った。

椅子を引くときに「ギッ」と乾いた音がした。

 

この一連の動作や音,息遣いまで「観察」して,文章を書かせるのだ。

その場の空気を捉えるような感覚が新鮮で,私はその授業のことをよく覚えている。

 

そんな授業がオンラインでできるだろうか。

 

どんなに技術が進歩しても,所詮は「代替品」でしかない。

 

現場でしか吸えない空気,見えない景色,得られない体験は間違いなく存在するのだ。

 

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私がこの問題について考えるとき,よく頭の中で流れているのがバグルスの「ラジオスターの悲劇」だ。

 

MTVに出番を奪われたラジオDJについて皮肉たっぷりに歌った1980年の曲だが,本質的には似たようなことを歌っているような気がする。

 

Pictures came and broke your heart.

(映像がやってきて君の心を壊した)

 

子どもが心配。

でも,彼らのネット社会との関わり方を決めるのは,私たち大人だ。

 

これは,私たちの問題なのだ。

 


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憧れの2トーン・スカ

最近,チャック・ベリーが亡くなった。

 

言わずと知れたロック開祖の一人であり,ビートルズローリングストーンズらに多大な影響を与えたギタリストだ。

 

ストーンズキース・リチャーズなんかも,少年時代からチャック・ベリーやリトル・リチャードらに憧れてギターを始めたことをインタビューで話していた。

 

私は,何事も好きになったりはまったりするものができると,無性に掘り下げてみたくなる性分だ。

 

オアシスやブラーなどのUKロックにはまった時には,そのルーツとしてリアムやノエルらが語っていた,ビートルズストーンズザ・フーまで遡って聴いていった。

 

ビートルズストーンズの世界にどっぷり浸かってしまうと,次は彼らが「影響を受けた」と話すチャック・ベリーについても,CDを購入して聴き込んだり。

 

まあ,そんな感じだ。

 

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ところで,学生時代にスカにはまっていたことは以前記事にしたことがある。

 

Kemuriやスネイルランプが流行っていたので,友人の家に集まってライブDVDなんかをよく観ていた。

いわゆる「スカコア」というジャンルだ。

 

sisoa.hatenablog.com

 

上の記事で触れている「モンキーマン」は,スペシャルズが歌っていた曲だ。

 

ザ・スペシャルズは1970年代後半から活動しているスカ・パンクの草分け的なバンドで,オリジナルアルバムは二枚しか残していないが,彼らの奏でるスタイリッシュかつリズミカルな音楽は広く受け入れられ,日本のバンドにも多大な影響を及ぼしている。

 

当然,Kemuriなどもスペシャルズの影響を受けているわけだ。

 

The Specials

The Specials

Amazon

黒人と白人の混成バンドで,レーベルの名前が「2トーン」。

アルバムも2トーンのモノクロで統一し,勿論着こなしも2トーン。

 

ジャケットに写ったメンバーの格好良さには惚れ惚れした。

 

全員がビシッとスーツで決めている。

所謂モッズ・ファッション。

 

「モンキーマン」はとてもキャッチーな曲だったけど,「リトル・ビッチ」も,高校の体育祭で応援団チアが踊っていた曲だったのでよく覚えていた。

確かに,アップテンポでキャッチーで,乗りやすい曲だ。

 

それにしても,あんな渋い選曲,誰がしたのだろう。

 

70〜80年代のスカパンクバンドの曲なんて,女子高生がチョイスしそうなジャンルではない。

 

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私の世代は高校時代にハイ・スタンダードの「メイキング・オブ・ザ・ロード」がインディーズなのにバカ売れしたりMONGOL800がブレイクしたりして,男子の中には結構な割合でメロコア好きが存在していた。

 

その中の特に音楽好きが海外のパンク(グリーンデイやランシドオフスプリング)を聴くようになるのだ。

 

私もその例に漏れない楽器ができない音楽好きだったわけで,勿論グリーンデイもオフスプリングもそれなりに聴いていたのだけど,パンクの中にスカのリズムのよさを見出して,スペシャルズやマッドネスら,ルーツに向かっていった…という感じだ。

 

パンクというのは,音楽ジャンルの中ではわりと中庸なところに位置付いていて,そこから派生してメタルにいく者がいたり,私みたいにスカのほうに向く者もいたりするわけだ。

 

私が大学時代に仲良くしていた友人はメタル好きだった。

メタリカメガデスの曲をこよなく愛し,昼夜問わずアンプ付きのベースをボンボンとかき鳴らす,はた迷惑な男だったが,気のいい奴で終電がなくなって宿がない私をよく泊めてくれていた。

 

その友人はメタルと同じくらいパンクが好きで,特にランシドに対しては,来日ツアーがあろうものなら日本全国どこへでも足を運ぶという熱の入れようだった。

 

一方で私のほうは,パンクは好きなのだがメタルには興味がいかず,スカに傾倒した。

 

パンクにはスカの要素もあって,かの伝説的パンクバンド,クラッシュもかなりスカ寄りのアルバムを活動後期にはリリースしている(「サンディニスタ!」1980年)。

THE SPECIALS(Fujirock2012)

スペシャルズの鳴らすビートはパンキッシュなのに,どこか渇いていて,とてもクールだった。

 

「ラット・レース」という曲は特によく聴いた。

 

「ラット・レース」・・・いたちごっこ

 

大学に通う友人を

「いたちごっこをやってるようなものだ。そんなのは時間の浪費だ。生存競争に汗を流せよ。」

と皮肉る歌詞。

 

こんな歌詞の曲に,時間を浪費しまくっていた大学生の私がのめり込んでしまったのだから本当に皮肉である。

 

まあでも,振り返ってみれば,いわゆる流行りの音楽から少し離れて,周りの人間があまり聴かないようなジャンルであったり,アーティストであったりを掘り下げていく最初のきっかけは,このスペシャルズあたりでないかなと思う。

 

そこには当然,私のように初心者でもとっつき易い「ポップさ」が内包されているわけで,多くの人に聴く機会さえ与えられば,きっと好きになってもらえるのではないか・・・と考えてみたり。

 

ということで,ザ・スペシャルズの代表曲「ラット・レース」を紹介します。

 

台風が接近している地域が多いかと思います。

雨の週末になりましたが,曇り空がよく合う,ちょっと深みのあるビートです。

 


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