「読書ノート」で振り返る,2022年に読んだ本の回想
以前,当ブログでも紹介したが,私は毎日読書ノートをつけている。
読書に限らず,仕事上のアイデアをまとめたり,プレゼンの流れを書いたり,会議の議事録や講演の記録,聴いたCDの感想など仕事に関することだけでなく,日ごろから考えたことや思ったことを書き残していっている。
そんな読書ノート,現在は今年の3冊目(累計25冊目)が終わろうとしている。
1冊につき100枚の方眼紙で構成されていて,残り15枚ほどだ。
年内に書き終えるのは無理だろうが,来年1月中には新しいノートに移行するのではないだろうか。
今年は,以前から持っていた本の読み返しも含めると50冊ほどの本を読んだ。
今年新しく購入した本で読了したのが30冊程度なので,読書家と自負するには,全く至らない数字である。
しかし,一年間を振り返って,どんな本の,どの部分が響いたのかを振り返るのも,それなりに価値がある。
私が今年読んだ本の紹介ついでに,読書ノートに書き抜きして引用していた部分を回想していきたい。
よければお付き合いください。
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2月 「エフォートレス思考」 グレッグ・マキューン
この本は今年初め頃読んでいた。
購入したのは,この前に出ていた同じ筆者の「エッセンシャル思考」という本がなかなかよかったので,続編となる「エフォートレス思考」も読んでみたいと思ったからだ。
読んですぐに行動したくなる,実践向きの本だ。
その中で印象に残った一節がこれ。
足りないものに目を向けると,今あるものが見えなくなる。
含蓄のある言葉だ。
人間,足りない部分ばかりに目を向けてしまいがちだが,今あるもののよさを忘れてはいけない。
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3月 「ポートレイト・イン・ジャズ」 和田誠・村上春樹
2019年に亡くなった,イラストレーターの和田誠さんと村上春樹によるジャズ・アーティストの紹介本。
ほんわかしていて,何やら示唆的な和田さんのイラストに,村上が自身の音楽体験を交えながら文章を添えている。
人間的には,ビューティフルな人であったに違いない。それは,音楽を聴いていればだいたいは想像がつく。しかし,真に優れた音楽とは(少なくとも僕にとってはということだけど),詰まるところ,死の具現なのだ。そして,その暗黒への落下を,僕らにとって耐えやすいものにしてくれるものは,多くの場合,悪の果実から絞り出される濃密な毒なのである。その毒がもたらす甘美な痺れであり,時系列を狂わせてしまう,強靭なディスとレーション(ゆがみ)である。
「真に優れた音楽とは,詰まるところ,死の具現」
と村上は書いている。
「死」を思う時,私はフジロックでのMy Bloody Valentineの演奏を思い出す。
彼らが生み出す轟音は,「快感」とは正反対で,暴力的で,歪んでいて,どこまでも落ちていきそうなカオスの極致だった。
そんなカオス的な演奏を20分ほど続け,オーディエンスを芯まで疲れさせたのち,不意に聴き慣れたビートが戻ってくる。
そこに,得も言われぬ「安心」を感じた。
なぜだか,「自分は今,生きている」と実感した。
そんな,麻薬的な音楽の在り方が果たして正しいのかどうかは分からない。
個人的にはあんな疲れる音楽体験はもう二度と御免こうむりたいが,忘れることはできない経験であることは確かだ。
「死」と向き合おうとする時,初めてその裏側にある「生」を感じるからこそ,音楽を聴くことはやめられないような気がする。
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3月 「ヒトの壁」 養老孟司
養老孟司さんは,私にとって,原点に返してくれる貴重な作家の一人だ。
そもそも,なんでそうなのか?
本当にそれでいいのか?
彼の著作の多くは,いつも私にそう問いかけてくる。
登校拒否児が増えていると聞くが,学校教育自体が対人に偏っているからではないかと危惧する。いじめの根源はそれであろう。
子どもたちの理想の職業がユーチューバーだというのは,対人偏向を示していないか。なにか人が気に入るものを提供しようとする,対人の最たるものであろう。人が人のことだけに集中する。これはほとんど社会の自己中毒というべきではないか。
「夢はユーチューバーです。」
という子どもは珍しくなくなった。
むしろ,なりたい職業ランキングでも上位に顔を出すほどだ。
別に,それが悪いということではない。
私がやっているブログだって詰まるところ,似たようなものなのだし。
だけど,どんなことをやるかは大切にしたい。
息子がもし「ユーチューバーになりたい」と言い出したら(今のところそんな気配はないが),
「ユーチューバーになって,どんなことを発信したいの?」
と問いたい。
重要なことは,たくさんの人と繋がることではなくて,自分がどんなことを学んで,人生にどう生かしていくのか,という部分に立ち返っていくことではないだろうか。
結果,少しでも多くの人に共感してもらえたら嬉しいけど,共感してもらえるかどうかなんて,自分ではコントロールできない。
そのことについて思い悩むのは時間がもったいないし心の健康にもよくない。
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6月 「人新世の『資本論』」 斎藤幸平
確か昨年ベストセラーになっていた本だが,ようやく今年になって読了した。
結論から言うと,早く読んでおけばよかった。
目から鱗だった。
自分なりに「価値がある」と考えていたことが,根底から揺さぶられた。
こういう本は,(痛みを伴うが)読むべきだ。
しかも,この無意味なブランド化や広告にかかるコストはとてつもなく大きい。マーケティング産業は,食料とエネルギーに次いで世界第三の産業になっている。商品価格に占めるパッケージングの費用は10~40%といわれており,化粧品の場合,商品そのものを作るよりも,三倍もの費用をかけている場合もあるという。そして,魅力的なパッケージ・デザインのために,大量のプラスチックが使い捨てられる。だが,商品そのものの「使用価値」は結局,なにも変わらないのである。
私たちの生活を成り立たせるために,経済政策を優先するのも分かるが,そもそも私たちが生を受けているこの地球がなくなってしまっては,元も子もない。
私たち人間はこの二百年ほどの間に,地球の資源を食い潰し,再生不可能なまでに搾取し尽くしてしまった。
目先のこと(今の水準の生活を維持すること)ばかりにとらわれ,犠牲を負って変化することを拒んでいるし,そのようなことを言う政治家は選挙では勝てないだろう。
結果,何も変わらず貴重な時間だけが無情にも過ぎ去っていく。
しかし,ここ数年の異常気象(特に夏の暑さ,集中豪雨)には危機感を覚える。
SDGsの実践では生ぬるいことは分かっているが,何も行動を起こさないよりは遥かにマシだ。
過度なエネルギー使用を避ける,パッケージは簡易なものを選ぶ。
私も,できることから始めている。
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8月 「激刊!山崎Ⅱ」 山崎洋一郎
「ロッキング・オン」編集長である,山崎洋一郎のコラムを書籍化した第二弾。
アーティストの自由とは,なんでも好きなことがやれて,なんの制約もないことが自由なのではない。嫌なことを乗り越えて好きなことを選び取る自由,制約を突き抜けて思うように貫く自由,それがアーティストの自由だ。だから人々を励まし,勇気と力を与えるのだ。だが,今の音楽業界はアーティストと真正面からせめぎ合おうとしていない。好きに作らせて,ダメなら切るのだ。
ここ数年,文科省がよく言っているのが「主体的」,「個別最適化」などのキーワード。
一人一人の個性を認めたり,集団の中での生きにくさを感じている子を支援したりすることは大切なことだ。
しかし,過度に「配慮」をやり出すと,社会全体が機能不全を起こす。
不登校児童,生徒の増加。
早期離職者の増加。
それらの問題は,おそらく根底で繋がっている。
これは養老さんも書いていたが,何でも便利になり過ぎていて,私たちの我慢や忍耐が効かなくなってきているのだ。
「主体的」というのは,子どもに好き勝手やりたいことをやらせることではない。
社会生活を送る上で,どんなルールがあり,なぜそれが大切なのかを教えた上で,自分で判断して学んでいくことだ。
前提として,不自由があるのだ。
そこを乗り越えていかないことには,自由に振る舞うことは出来ないのだ。
山崎は,そんなことを言いたかったのではないだろうか。
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9月 「超訳 ニーチェの言葉」 ニーチェ
待たせるのは不道徳
ずばり本質をついてくる。
たまに読み返して,足元を見つめ直す。
ちなみに私は,待つ時間はわりと好きだけど,人を待たせるのは嫌いです。
昔,必ず約束の時間から10分程度遅れてくる人がいたけど,正直,閉口した。
そんなふうにはなるまい,自分に言い聞かせてみる。
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12月 「呪われた腕 ハーディ傑作選」 トマス・ハーディ
教養本ばかりの選出になったが,小説も読んでました。
これは短編集だけど,翻訳小説家の柴田元幸さん,村上春樹が廃版になっている名作を選んで文庫化したシリーズ,「村上柴田翻訳堂」。
ハーディの短編は主人公が不幸になる作品ばかりだが,その不幸の成り立ちが,考えさせられるものばかりでついついページを捲らされる。
話の構成は「笑うせえるすまん」あたりに似ているかも知れない。
不幸になるのは分かっているけど,主人公にどんな運命が待ち受けているのか気になって,次が読みたくなる。
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私は音楽を聴くのも好きだが,本を読むのも同じくらい好きだ。
フジロックに行っても,一日の半分は自然の中での読書に費やしたことがあるくらい好きだ。
本というのは高くても数千円程度で,知らなかったことを知れるし,新しい世界を教えてくれる。
物語の世界に没入することもできる。
値段に対して圧倒的なコスパのよさだ。
年末年始くらいは,買い込んでいてまだ読めていない本を沢山読みたい。
皆さんの,今年の一冊は何ですか。
よかったら教えてくださいね。
アーティストとスニーカー
昨日,無性にスタン・スミスが欲しくなって,買いに行ってきた。
私は39年間生きてきて,実はまだ一度もスタン・スミスを履いたことがなかった。
それどころか,ここ10年くらいスニーカーというものを買ってすらいなかった。
一番最後に買ったのは2010年頃,当時行きつけの路面店に限定で出ていたアディダス「MATCH PLAY」だ。
レトロなフォルムだけど,なかなか気に入っていて頻度は高くないが年に数回は必ず履いている。
アディダスのスニーカーで最初に買ったのは,「Rod Laver」だった。
90年代後半だっただろうか。
当時は高校生で,アディダスのスニーカーなら,それこそスタン・スミスはかなり流行っていた。
紐タイプもマジックテープタイプも周りで履いている者が多かったので,人と違うモノが欲しいと思い,「Rod Laver」を購入した。
最初は体育館シューズみたいだと思っていたけど,シンプルなデザインだったから様々なスタイルに合わせやすく,これも10年くらいは履いた。
アディダスのスニーカーの購入遍歴を振り返ると,全て白のローテクシューズである。
そして,今回購入したのも,やはり白だった。
正確には,真っ白ではなくクリーム色と言った方がいいかもしれない。
これ以上引くところがないような,シンプルなデザイン。
私はこういうスニーカーに惹かれる性分なのだろう。
白のスニーカーをさらっと合わせられる大人にずっと憧れてきた。
カジュアルでもきれい目でも,足元が白のスニーカーだと,さりげなく気品を纏うことができるような気がする。
長年欲しいと思っていた物を購入でき,物欲が満たされたので,次はこういうローテクスニーカーを履いているお洒落なアーティストはいなかったかな?と思い,「ロッキング・オン」のバックナンバーを探してみた。
すると,結構,いました。
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1 The Beatles(ジョージ・ハリスン,ジョン・レノン)
まず目に留まったのが,ザ・ビートルズ。
写真を見てお分かりの通り,ジョージ(中央右)とジョン(右端)は白のスニーカーを履いている。
ジョージはジャックパーセルがお気に入りだった
ジョージ・ハリスンはジャックパーセルがお気に入りだったそうだ。
ニルヴァーナのカート・コバーンが愛用していたことでも有名だが,その20年以上前にジョージはファッションに取り入れていたのだ。
私は,コンバースと言えばオールスターの白ハイカットをずっと履いていた。
履きつぶしては新しいのを購入してのくり返しで,計5足くらいは同じ物を履いたと記憶している。
しかしジャックパーセルはまだ未経験だ。
人生で一度は履いてみたいスニーカーだ。
ジョンはG2クラシックを愛用していた
ジョン・レノンはスプリングコートのG2クラシックを愛用していたようだ。
スプリングコートは1936年にフランスで誕生した老舗メーカー。
靴底にラバーソウルを使った画期的なテニスシューズがそもそもの発祥ということだが,その後キャンバスシューズの代表的なメーカーに成長。
多くのセレブに愛用されているそうだ。
ジョンの着こなしを見ていても,ジャケパンスタイルやきれい目なセットアップに,このG2を合わせてアクセントにしている。
粋で,洗練されたスタイルだと思う。
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2 The Who(ロジャー・ダルトリ―)
ザ・フーのボーカル,ロジャー・ダルトリーのこの写真は,以前当ブログで紹介したことがある。
ラングラーのデニムシャツ,ボトムスにオニツカタイガーを合わせたコーディネート。
先述のジョン・レノンの着こなしがきれい目だったのに対し,こちらはかなりカジュアルに寄っているが,私はこの写真を見るたびに,「かっこいいなあ」と思ってしまう。
足元のスニーカーは,フォルム等から推察するに,おそらくMEXICO66というモデルではないか。
このMEXICO66は海外のセレブにもファンが多く,イギリス王室のウィリアム王子も愛用しているという記事がネットにも出ていた。
友人にも,「スニーカーはオニツカ一択」という者がいる。
私自身はまだ一度も履いたことがないが,MEXICO66は購入してみてもいいと思っている。
3 Oasis(ノエル・ギャラガー)
オアシスのメンバーはスニーカーを履いているというイメージはあまりなかったが,調べてみると初期は結構履いていたみたいだ。
特にノエルはアディダスのスニーカーを履いている写真がわりと多く残っている。
そんな時は大抵,サッカーシャツを着ている。
ギャラガー兄弟がプレミアリーグのマンチェスター・シティーの大ファンだというのは有名な話だ。
写真でノエルが履いているのは,フォルム等から検討をつけるに,スーパースターではないかと推察されるが,どうだろう。
現行モデルには黄色ラインのものはないようだけど,ネイビー地に黄ライン,なかなか味わい深い配色だ。
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学生時代まではスニーカー一択だったのが,社会人になってからはローファーやブーツばかり履くようになり,一周回ってスニーカーのよさを再発見している。
だからと言って,学生の頃と今でスニーカーの好みが変わったかと言うと,そんなこともなく,相変わらず好きなのは,ローテクで白のスニーカーということ。
スニーカーをうまくコーディネートに落とし込んでる大人って,男性も女性もかっこいいですよね。
来年はこれまでの好みに拘らず,ファッション系ブロガーさんたちが紹介してくださっているナイキやNBに挑戦してみるのもいいかも知れないとも思っている。
いくつになっても,「初」がつくことはわくわくするものです。
2022年iTunes私的再生回数ベスト5
今年もあと早いもので,残り一週間を切った。
このブログを書くようになってから一年とちょっと。また昔みたいに音楽をよく聴くようになった。
実は昨年まで5年近く,贔屓にしているアーティストの新作を別にすれば,聴いたことのないジャンルやニューカマーの音楽に触れる機会が激減していた。
新しい音楽に触れるのはわりとエネルギーが要るものだし,自分の好みに合わない可能性もある。
それよりは,「いい」と決まっている安全パイを選んだ方が確実だ。
フジロックに毎年参戦していた頃は,「予習」しておくとより楽しめるので,積極的に新しい音楽に触れていた。
そのフジロックにも行かなくなって早5年以上。
私が新しい音楽を追求しなくなった年月とちょうど重なる。
今回の記事を書くに先立って,昨年の今頃投稿した記事を読んでみた。
昨年のiTunes再生回数ベスト5のうち4組は10年以上前から愛聴してきたアーティストたちだった。。
YMO,グレイプバイン,プライマル・スクリーム,ベックという面々だ。
グレイプバインなんて,高校生の頃からずっと追いかけている。
昨年の結果に対して,今年はだいぶ様相の異なるランキングとなった。
結論から言うと,ベスト5のうち3組が今年に入って出会ったアーティストたちだ。
フジロックには相変わらず行けてないが,ブログを書き続けることが,私の音楽的興味を広げることに繋がっているようだ。
これは喜ばしいことだと思う。
幾つになっても,「初」がつくことにはワクワクするものだから。
ところで,昨年のランキングと比べると再生回数が少なくなっていることに気づかれる方もおられるかも知らない。
このランキングは,純粋にiTunesの再生回数を基に集計している。
今年の6月までは電車通勤だったから,毎日電車の中でiPhoneで音楽を聴いていた。
しかし,6月の下旬からレンタカー通勤が約4ヶ月半続いた。
その間は,通勤時間はいつもカーラジオをかけていた。
だからiTunesの再生回数も,この期間はほとんど伸びていない。
音楽は毎朝,自室での仕事中にチボリのオーディオで聴いていたが,当然のことながらその分は集計に入っていない。
そんな事情で,夏ごろよく聴いていたレッチリやジャック・ホワイトの新作はランク外になってしまっている。
ちょっと残念だけど。
11月に新車がきてからは,通勤時はBluetooth機能で聴いているから再びiTunes再生回数が伸びてきた。
いつものことながら,前置きが長くなってしまった。
それでは,今年のiTunes私的再生回数ベスト5の発表です。
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1位 The1975「外国語での言葉遊び」(36回)
1位はThe1975の「外国語での言葉遊び」。
The1975には今年初めて出会った。
と言うか,つい二週間ほど前に初めて彼らの作品を買い,その音楽に触れたばかりだ。
この二週間,ひたすらにヘビーローテーションしまくって,あっという間に今年の再生回数1位になってしまった。
掛け値なしに名盤だ。
UKロック好きなら漏れなく好きになるだろう,「メランコリックで内省的な」部分を持ち合わせるバンドだ。
敢えて「持ち合わせる」という表現にしたのは,まだ彼らがどんなバンドなのか掴みかねているから。
新作を聴いた印象だけなら,「メランコリックで内省的な」側面がある一方で,コールドプレイ的にスタジアム級のアンセムとなり得る曲も作れるスタンダード路線か?と思わせるような側面も併せ持つ。
まあそれも,これからディスコグラフィーを遡って聴いていくことで段々と明瞭になってくるだろう。
それも,来年の大きな楽しみの一つだ。
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2位 The Chainsmokers「So Far So Good」(29回)
年末にThe1975に抜き去られるまで,半年ほど再生回数1位を守り続けてきたチェンスモの最新作。
彼らは2010年代,最も稼いだDJと言われている。
2000年代後半から2010年代半ばにかけて,音楽業界の中心的なムーヴメントであったEDMも過去のものとなり,ダンス・ミュージックを取り巻く状況もだいぶ落ち着いてきた。
チェンスモが頭角を表してきたのは,EDMがムーヴメントとしてのピークを過ぎていた2010年代半ば以降である。
流行りの季節を過ぎても,彼らの音楽がたくさんの人に支持されているのは,そこに何かしら普遍的な魅力を感じてのことだろう。
彼らの鳴らすダンス・ミュージックには,「侘び寂び」がある。
しっかりアゲて盛り上げる部分も勿論あるが,それ一辺倒にはならずに,きちんと引くところはわきまえているところに好感が持てる。
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3位 Kirinji「Crepuscular」(21回)
キリンジの「Crepuscular」のリリースは,実は2021年の12月なのだけど,私が行きつけのCD屋で見つけたのは年明けなので2022年のランキングに入れることにした。
私が初めて買ったキリンジのCDだ。
この作品を皮切りに,「スウィート・ソウルEP」や「11」など,デュオ時代,バンド時代のキリンジの作品を遡って聴いていった。
今年前半は,キリンジの魅力を発見して,アーティストとして様々な形態を経る中で変化してきた音楽性にどっぷり浸かることができた。
キリンジ(堀込高樹)の紡ぎ出す音は,歌謡曲のように親しみのあるメロディーなのだけど,くどくなり過ぎず,スタイリッシュに聴かせてくれる。
アレンジの妙であろうか。自己プロデュース能力がとても高い人のように思える。
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4位 Liam Gallagher「C'mon You Know」(17回)
リアム・ギャラガーがいいアルバムを作ってくれると,やはり嬉しい。
私にとって,リアムは永遠のロックンロール・ヒーローなのだから。
それにしても,このアルバムジャケットは最高である。
オーディエンスの波に入って,一緒に騒ぐロックンロール・スター。
しかも客が皆,若い。
リアムの「歌」を必要とする人は,まだ世界にたくさんいる。
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5位 サカナクション「アダプト」(15回)
久しぶりに,「アダプト」を聴いてみた。
いいアルバムだ。
山口一郎曰く,サカナクションの音楽には「ダンスと文学の融合」というコンセプトがあるそうだ。
前作「834.194」がダンス寄りのアルバムだとしたら,今回の「アダプト」は文学寄りのアルバムと言ってもいいだろう。
以前レビューにも書いたけど,このアルバムを聴いて最初に連想したのは,フランツ・カフカの小説「城」だった。
アルバム全体を通して伝わってくる「閉塞感」が,「城」を読んだ時の感覚に似ていたからではないだろうかと思う。
コロナ禍という社会背景もあるのだろう。
このような形で,作品に昇華できる彼らの仕事に拍手を送りたい。
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2022年iTunes私的再生回数ベスト5でした。
本来なら,ここにレッチリやジャック・ホワイト,アークティック・モンキーズらが絡んでくるはずだっただろう。
そう考えてみると,今年は新旧ともに様々なアーティストがいい作品を多くリリースしてくれた一年だった。
レッチリやジャックはなんと二作も出してくれた。
こんな年はそうそうないだろう。
そして,新しく出会ったアーティストも多かった。
そのきっかけの多くをこのはてなブログでいただき,感謝感謝です。
来年はどんなアーティスト,曲に出会えるのか,今から楽しみです。
最後に一曲。
ランク外(7位)にはなったが,ジャック・ホワイト「Fear Of The Dawn」より「EOSOPHOBIA」。
印象的なリフが炸裂しまっている。
アルバム後半にはこの曲のリプライズがあり,作品全体の緊迫した空気感を象徴する曲となっている。
狭い路地を体勢を低くして駆け抜けていくような,孤独な疾走感。
こういう,隠れた名曲があるからやめられない。
私がビートルズの「Revolver」スペシャル・エディションを勧める二つの理由
「ブルータス」が特別号として出していた村上春樹特集を読んでいたら,面白いインタビューが載っていた。
好きなビートルズのアルバムに関するやり取りである。
ーアルバムは何がお好きですか?
村上 個人的にはやっぱり,「Rubber Soul」ですね。この間,Netflixで映画観てたら,マフィアの親分が,子分に「お前はビートルズのアルバムの中で何がベストだと思うか?」って聞いていて。「Sgt. Pepper~」と子分が言ったらすぐに撃ち殺されてた。
ー親分は何が好きだったんですか?(笑)
村上 最後には明らかにしたと思うんだけど何だっけな?変なのが好きだったんだよな,「ホワイト・アルバム」だったっけな?いや,「Let it be」だ。
ーわかりやすい好みですね。「ホワイト・アルバム」好きの親分だったら逆にこわいです。
村上 「Sgt. Pepper~」って言ったらすぐ殺される(笑)。
「Sgt.Peppers Lonely Hearts Club band」はロック史上初のコンセプト・アルバムとして,今や歴史的名盤の地位を確立している。
しかし私個人的にも,このアルバムをビートルズのベストには選ばないだろう(勿論嫌いではないが)。
じゃあ,どの作品がベストか?
村上さんが挙げる「Rubber Soul」か。
多くのビートル・マニアがベストに推す「Abbey Road」か。
確かに,この二つも捨てがたいが,私がベストに挙げたいのは,「Revolver」だ。
雑誌を読みながらそんなことを考えていた時,そういえば,「Revolver」は再発盤が出ていたことを思い出した。
そして,その再発盤は家の隣にあるイオンに入っているCD屋にも置いてあったこともついでに思い出し,善は急げと早速買いに出かけた。
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今回購入したのは,「Revolver 2CD Edition」。
ビートルズの楽曲の編曲を手掛けていたジョージ・マーティンの息子,ジャイルズ・マーティンらがミックスを担当したDisc1に,収録曲の別テイク等が集められたDisc2。
安くはなかったが,こういうスペシャル・エディションを購入してみて嬉しいのは,詳細な曲紹介や背景が記してあるライナー・ノーツや当時の貴重な写真が収録されたブック・レットが付いていることだ。
ブック・レットから,当時のメンバーの写真を数枚紹介。
私は音楽好きの端くれとして,お節介ながら,もっと多くの人にビートルズのオリジナルアルバムを聴いてもらいたいという思いを持っている。
彼らの作品はシングルとしては大変有名で,「Hey Jude]や「Let it be」等は世界中の誰もが口ずさめる名曲だ。
ベスト盤としても,「1」や赤盤・青盤などが出ている。
しかし,それらはビートルズの本当の魅力を5%も伝えていないのだ。
彼らの本当の凄さは,8年間にわたってリリースした13枚のオリジナルアルバムを聴いてみて,初めて体感できる。
13枚が無理なら,せめて「Rubber SouL」と「Revolver」,「White Album」に「Abbey Road」の4枚だけでもいい。
この4枚のアルバムを聴けば,ビートルズがどれだけ先進的で,クリエイティビティに溢れていて,クールなバンドだったかを感じることができると思う。
その中でも,彼らがバンドとして最も脂が乗っていた時期に制作した「Revolver」のスペシャル・エディションは是非ともお勧めしたい。
その二つの理由について述べていきたいと思う。
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勧める理由其の一:名盤の法則がある
今回久しぶりに,この「Revolver」を聴き返してみて,改めて気付いたことがある。
それは,私が個人的にビートルズの二大名作と考える「Abbey Road」との共通点が意外に多いということだ。
何が似ているかというと,アルバムの構造だ。
これらは60年代の作品なので,当然レコードでリリースされている。
レコードというのは,A面とB面があり,A面を聴き終わると盤を返すという作業を挟んで,B面を聴かなければならない。
つまり,そこで流れが変わってしまう場合が多いのだ。
「Abbey Road」も「Revolver」も,A面はクールでいかした曲,スウィートなラブ・ソング,リンゴの牧歌的な曲やジョージの癖強めのインド音楽などが散りばめられ,多様なつくりになっている。
ところがB面になると,アルバムのクライマックスに向けた予兆というか,緊張感を感じさせる流れの中で一気にラストへなだれ込んでいくという様相になる。
「Abbey Road」のB面後半には有名な「ポールによるメドレー」がある。
これは,メンバー間の不和により,完成させられなかった楽曲を短く編集してつなぎ,メドレーとして収録したものだ。
ポールは逆境をチャンスに変え,クリエイティブで本当に素晴らしい仕事をしている。
「Revolver」のB面後半というと,#11「Dr.Robert」から始まる。これはジョンの曲だ。#12「I want to tell you」はジョージ,#13「Got to get you into my life」はポール,そしてラストの「Tomorrow never knows」はジョンの曲だ。
つまり,3人のソングライターが書いていることになる。
別の人間が書いたとは思えないほどに,このラストへ向けた4曲の一体感には凄まじいものがある。
ポップな曲も派手な曲も有名曲もないが,しっかりと腰が据わっていて,緊張感がバリバリに漲っている。
クライマックスへ向けて,完璧な助走(#11~13)とテイク・オフ(#14)を聴かせてくれる。
こんな完璧過ぎる構成を3人によるソングライターでつくってしまうのだから,当時のビートルズのポテンシャルとチームワークは,キャリアを通じて最も充実していたのではないか。
勧める理由其の二:別テイクの内容が素晴らしい
このスペシャル・エディションは何がスペシャルかと言うと,音質の向上とともに,別テイクの秘蔵収録曲の存在がある。
こういう,別テイクものとかデモ音源って,結構再発盤を買えばボーナス・トラックなどに付いてくるのだが,大体がアコースティックバージョンになっていて,今一つなパッとしないイメージが強い。
特にオアシスなんかはそうで,リアムに歌わせる前にノエルがアコギでとりあえず歌ってみました的なテイクが非常に多い。
それはそれで素朴な感じがして悪くは無いのだけど,「やっつけ感」が強くなるのは否めない。
ところが,この「Revolver」のスペシャル・エディションが面白いのは,本当にあれこれ試行錯誤して録った中で,アルバムに収録するバージョンを選んできた過程が見えるようなリアルさがあるところだ。
例えば,アルバムのラストを飾る名曲「Tomorrow never knows」。
ポップな要素はゼロだが,渦に巻き込まれるように,聴けば聴くほどその世界に惹き込まれていくような曲だ。
ドラッグをやったことはないけど,その影響下にあったことを想像してしまうような,中毒性のある曲。
今回の「スペシャル・エディション」ではディスク2にこの「Tomorrow never knows」のテイク1が収録されていたので聴いてみたが,オリジナルと全く異なるテンポに面食らった。
テイク1バージョンは,アルバム「Magical Mystery Tour」に収録された「The fool on the hill」に雰囲気が似ている。
ジョンが作った,幽霊が出てきそうで不気味な曲だ。
そんな,幽霊が出そうで不気味な「The fool on the hill」的な「Tomorrow never knows」は,幾度ものテイクを重ねた結果,不穏で中毒的なクライマックス・ソングに生まれ変わった。
そうした名曲へ向けた試行錯誤の変遷が立体的に掴めるというのは,スペシャル・エディションならではの楽しみでもある。
終わりに
ここまで散々「Revolver」愛について語ってきました。
この作品は,私がビートルズにのめり込むきっかけになった作品なのでつい興に乗って,筆が進んでしまいました。
20代前半で出会ってから,iPodに入れて100回以上は再生して聴きました。
今回のスペシャル・エディションでも既に10回以上聴いています。
名盤というのは,何回聴いてもいいものです。
私はどちらかと言えば,後期(66年以降)の作品が好きだが,
「いやいやビートルズの真の魅力は前期にこそあり!」
と言われる方もおられるだろう。
勿論,私だって「With the Beatles」や「Beatles for sale」は大好きだ。
あなたが好きな,ビートルズのアルバム,曲は何ですか?
よかったら教えてください。
もしもロック・フェスを主催するなら
前回の記事を書いたとき,いつもブログを通して交流させてもらっている服地パイセンさんから,
「もしもsisoaロックフェスを主催するなら,どんなラインナップにしますか?」
という面白いお題をいただいていた。
それで,ここ数日自分が主催するロックフェスのラインナップや会場などについて,あれこれ思いを巡らしていた。
こういう空想をするのは実に楽しい。
しかし,実際にやってみて思うのは,フェスのラインナップを決めるというのは実に難しいということだ。
というのも,好きなアーティストばかり呼んでいると,ヘッドライナー級ばかりを並べることになり,非常にバランスが悪くなってしまうのだ。
洋邦,若手ベテランをバランスよく配置し,更にジャンルにも配慮していく必要がある。
そのようなあれこれを考えながら,決定したのが以下のラインナップだ。
詳細についてはこの後詳しく解説していこうと思う。
ところで,会場には全国的にも有名になりつつある福岡の観光地,糸島に程近い今津運動公園を選んだ。
ここは私の家の近くにあり,よく子どもたちを連れて遊びに行く場所なのだが,非常に広大な敷地面積を誇る公園だ。
それもそのはず,この場所は公園として利用される前はゴミの埋め立て場だった。
臭気や有害物質を取り除く埋立方法である「福岡方式」で埋め立てられ,跡地が運動公園となったのだ。
もとがゴミの埋め立て地であったとは思えないほど,緑に溢れていて清潔な公園だ。
この公園には広い野球場や芝生広場があるので,そちらをライブ会場にして,さらに野球コートを四面取れる広大な多目的広場をキャンプサイトに見立てる。
駐車場にもかなりの台数を収容可能だ。
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メインステージ:BaseballFieldラインナップ
メインステージとなる野球場は,フィールドに加えスタンドにも収容可能なので,大規模な人出にも対応ができるはずだ。
このメイン,ベースボールフィールドのヘッドライナーに選んだのが,アークティック・モンキーズ。
デビュー時から破格のロック・バンドだった彼らは,2007年のサマソニでは10代にして初のヘッドライナーを務めた。
その後,全米・全英一位に輝くなど,ロックバンドとして頂点を極めた彼らは,その音楽性をさらに広げた新作でもその充実ぶりを存分に見せつけてくれた。
トリ前には,The1975をチョイス。
私が,いまヘビロテにしているのが彼らの最新作「外国語での言葉遊び」だ。
今年最後になって,おそらく今年最多再生回数を更新するアルバムになりそうだ。
彼らのもうエバーグリーンな王道UKサウンドは,是非野外の満天の星空の下聴いてみたい。
そして,世界的なフェスではヘッドライナーでの出演も当たり前で,この日本での知名度も抜群なリアム・ギャラガーは,トリの二つ前。
新作ではジャンルにとらわれない幅広い音楽性を開拓し,新境地を見せたリアム。
今年はネバワースの単独公演を大成功させるなど,復活を遂げたリアムの勇姿を是非見てみたい。
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ダンスステージ:AthleticFieldラインナップ
ダンスステージは,アスレチック・フィールドと命名。
ここには子供用アスレチック広場と,広大な芝生広場がある。
野外の広場でダンスミュージックを聴きたい!というのは積年の念願。
ここアスレチック・フィールドのヘッドライナーは,ベースメント・ジャックス。
私は若い頃参戦したフジロックの最後,クロージング・アクトとして出てきた彼らのステージが強く印象に残っている。
即効性のあるキラー・チューンの数々。
初めて聴く曲ばかりなのに,体を動かさずにはいられなかった。
当ブログではまだ触れたことがなかったが,実は最も愛聴するダンス・アクトの一つ。
そして,トリ前がザ・チェインスモーカーズ。
チェンスモが今年春にリリースした新作は,ほどよく枯れた侘び寂びのダンス・チューン連発で,個人的には前期のベストアルバム。
トリ二つ前には,大ベテランのプライマル・スクリームをブッキング!
プライマル・スクリームは大好きなバンドだ。
ロック,ソウル,ダンス。
カメレオンのように様々な音楽性を変化させながら,エキサイティングな作品をつくり続けるレジェンドだ。
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屋内ステージ:GymStageラインナップ
唯一の屋内ステージ,ジムステージのヘッドライナーは,ゴリラズ。
ブラーのフロントマン,デーモンが中心となって結成された覆面バンドだ。
ヒップホップを基盤にしながら,デーモンの本職であるロックのテイストも絶妙にブレンドし,ハイセンスな楽曲とプロモーションを展開し続ける。
トリ前には,ニュー・オーダー。
80年代から活動している大ベテラン。
英国らしく,曇り空を連想する知的なダンス・サウンドは,後進に与えた影響も計り知れない。
そして,トリ二つ前に満を持してのスピッツ!
スピッツ愛については当ブログで何度も語ってきた。
実はまだスピッツのライブは観たことがない。
一度は観ておきたいバンドの一つだ。
それにしても,スピッツクラスがこの位置,この時間帯なのだから,贅沢極まりないフェスだ。
もし本当に実現したら,裏のリアムにすべきか,プライマルにすべきか,真剣に悩むだろう。
でも,まだ観たことないのはスピッツなので,スピッツを選ぶだろうな。
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ということで,空想ロックフェスを主催してみました。
想像以上に楽しめました。
でも,こんなラインナップが実現するとしたら,どれも観たくて困ってしまうだろう。
やはり,フェスは行ってナンボ。
来年こそは,フェスとは言わないけど,久しぶりにライブくらいは行きたいものです。
最後まで妄想にお付き合いいただき,ありがとうございました。
「音楽と服」が勝手に選ぶ2022年アーティスト・ベストドレッサー
年の瀬も押し迫ってきました。
今年はここ数年になくベテランや若手アーティストの新作に多く触れた一年になった。
その中から,勝手にベストドレッサーを選出してみた。
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1位 藤井風
若干ミーハーな気もしないでもないけど,1位は藤井風くん。
勿論音楽も好きなんだけど,彼のファッションに関しては昨年の紅白のときから気になっていた。
部屋着のようにリラックスした雰囲気のグレイ上下に,足元はファーのようにもっこりボリュームあるスリッパ。
その格好で実家の倉庫でピアノを弾きまくっていたかと思えば,そのまんまの格好でNHKホールに登場するというサプライズ。
実家での映像は実は録画だったというオチですね。
このブックレットの写真も,つきはぎのセットアップのところどころにアクセントカラーの赤や紫を散りばめ,目の上にペイントを施して差し色にするという芸の細やかさ!
アルバムも普通によかったです。
節回しとか歌詞なんかに一癖あって(しかも言葉選びのセンスが素晴らしい),それでも一級のポップアルバムに仕上がってるから不思議。
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2位 アークティック・モンキーズ
2位はアークティック・モンキーズ。
こちらは王道なロッカー・ファッションか。
でも,デビュー当初から彼らの活動を追っている身としては,その音楽的成長とともに変化してきたファッションに注目してしまう。
10代でデビューした頃のアレックス・ターナー(フロントマン)は,ポロシャツにジーンズのどこにでもいる学生のような風貌だった。
それが2013年「AM」の頃(20代後半)にはロカビリースタイルになり,現在は腕まくりをしたシャツを大きくはだけて大人の色気を醸し出すイケオジになった。
新作でも才気が爆発している。
静謐さと熱量がぶつかり合うような作品だ。
年明けには来日も決定しているアークティック・モンキーズ。
コロナ禍以降初めての日本のステージで,アレックスらがどのようなステージを見せてくれるのか,楽しみだ。
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3位 ハリー・スタイルズ
絶賛爆売れ中のハリー・スタイルズ。
私も年末に「ロッキング・オン」の年間ベストを読んでから「ハリーズ・ハウス」を購入した。
頭の中を空っぽにして聴ける軽やかなポップ・ソングの連打で,タイトル通りに一人で部屋に聴くのにちょうどいい。
ジャケットに写るハリーの格好は目を引く。
トップスは,襟の形やシルエットが中性的な雰囲気を醸し出すフレア調のシャツ。
この特徴的なトップスに合わせているボトムスのシルエットが秀逸。
70年代に流行ったベルボトムっぽいけど太腿部分もゆったりした造りになっていて,実は今っぽいデザインだ。
自分では絶対に着れないアイテムだけど,スーパースターならではですね。
シングル「アズ・イット・ワズ」はなかなか爽快な一曲です。
ハリー・スタイルズのPVは初めて観たけど,印象としてデヴィッド・ボウイっぽいなあと感じた。
似せているというより,色使いとかファッションの感覚が似ているというか。
中性的なところなんかだと思うけど。
まあ,ハリー・スタイルズのほうがだいぶ男臭いですけどね。
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ということで,「音楽と服」が勝手に選ぶ2022年アーティスト・ベストドレッサーでした。
本当は他にも取り上げたいアーティストはたくさんいました。
飾り気のないブラウンのスウェット上下姿でアルバムのアートワークを飾っていた宇多田ヒカル。
ハットにサングラス,上半身裸に手袋,ボクシングパンツにブーツという(いつも通り)奇抜な姿でアルバムジャケットに収まっていたアンソニー(レッチリ)など。
もし,皆さんが
「このアーティストのファッション,気になってるんだけど…」というものがありましたら,ぜひ教えてください。
さ,年末ですね。
早く仕事を片付けて,年越しモードに突入したいところです。
ロックの「思春期性」が凝縮されたTHE 1975「外国語での言葉遊び」
師走の週末,博多駅は人で溢れ返っていた。
今年の3月までは3年間毎日のように通った駅構内に,足を踏み入れた。
まだ一年経っていないが,ここを通っていた日々が遠い過去のことのように思える。
腕時計を確認すると,17時45分。
時間まではまだ30分ある。
大学の部活の同期と飲む約束をしていた。
外での飲み会は約一年振り。
そして,場所が博多駅横のビルだったので,予め予定より少し早く行き,阪急に入っているタワレコに寄ろうと決めていた。
こういう機会がないと,タワレコに行くこともない。
家の横のイオンに入っているCD屋には,洋楽のCDと言えばイーグルスやストーンズなど所謂「大人のロック」がほとんど。
Amazonでだいたいの物は買えるが,やはり自分の目で作品を見て,視聴して選ぶという体験に勝るものはない。
ということで,短い滞在時間ではあったが,タワレコにてTHE 1975の「外国語での言葉遊び」を購入。
この作品は「ロッキング・オン」が選ぶ2022年年間ベストアルバムにも選出されていた。
ところで,タワレコの袋が少し薄くなっている気がした。
昔はこんなに避けてなかったような。
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早朝5時,二日酔いの脳天を衝く極上メロディー
久しぶりの集合で思い出話からこれからの話まで四方山話は尽きず,結局終電近く,日付が変わる頃に帰宅。
シャワーを浴びたあと,いつもは3時にセットするアラームを5時にセットして就寝。
翌朝,予定通り5時に起きる。
頭が少し痛むが,二日酔いだろう。
寝ぼけ眼で米をとぎ,炊飯器にセットする。
昨日のバッグに入れていたタワレコの袋から買ってきたCDを取り出し,仕事部屋にあるチボリのオーディオにセットする。
二曲目の「Happiness」があまりにキャッチーで,親密で,まさに私が好きな「UKのメランコリックなバンド」ど真ん中路線だったので,思わず仕事の手を止めて
「なんだよこれすげーな。」
と呟いていた。
曲の後半鳴り響くサックスの音色は,高らかにアルバムの始まりを告げる。
デヴィッド・ボウイが自身のラストアルバムで,サックスを終末的雰囲気に生かしたことは全く逆の方法論。
続く三曲目,「Looking For Somebody」はまさしく80年代ネオアコの現代版。
わかりやすいダンスサウンドを疾走感たっぷりに聴かせる。
これは久しぶりに出会った,直球どストライクの作品だ。
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イギリスの伝統的なバンドへのリスペクトが根底にあった
83年生まれの私には,物心がつくかつかないかの頃にラジオから流れてきていた,ひたすらに明るい80年代ポップソングのリズムが染み付いていて,たまにこういう曲(「H appiness」のような)聴くと無性に懐かしさを覚える。
私はTHE 1975というバンドのアルバムを初めて聴いたのだけど,彼らは「外国語での言葉遊び」(今作)「仮定形に関する注釈」(前作)という邦題が示すように,社会に対してシニカルなメッセージを内包された作品を提示し続けているイメージが強い。
ただ,その音楽に初めて触れて思うのは,彼らがザ・スミスやスタイル・カウンシルなどイギリスの伝説的なバンドに対して敬意をもち,自らの音楽的ルーツを自分たちなりに解釈し,咀嚼した上で「自分の言葉」で語っているという点だ。
ここで重要なのは「解釈し,咀嚼した上で」という点。
ただ雰囲気を真似ただけでは単なるギミックとなってしまい,そこには空虚な音しか生まれない。
THE 1975のフロントマン,マシュー・ヒーリーは冒頭のバンド名を冠した曲「THE 1975」で,自らのキャリアを自虐的に振り返っている。
自分の20代が情けない 仕事のコツを覚えながら
考えるより先に口に出してしまいがちだった
"ポストモダンなレンズを通して僕らは人生を経験している"
ああ,はっきり言おう!!調子の悪さを美学に仕立て上げ
ファンが乗り気な間に自分の売れると思う部分を利用し尽くしているんだよ
アーティストとしてのエゴをこれでもかというくらい真っ正直に歌詞にしていて痛々しくもある。
不器用だが,非常に真摯だ。
こういうバンドは信用に足る。
この「外国語での言葉遊び」は5作目ということ。
過去のディスコグラフィーを遡って聴いてみるだけの価値は大いにある。
ということで,最後に紹介するのは「Happiness」。
ロックのもつ「思春期性」をたっぷりと詰め込んだ,ポップソングの極地です。