「根無し草」の生き方
まだ何者でもなかった頃。
心理学的にいう「モラトリアム期」の真っ只中にあった学生時代。
その頃に撮ったのがこの写真。
太平洋の彼方に何を見ようとしていたのか。
場所はマレーシアのランカウイ島。
今のところ,海外旅行に行ったのはこの時の一回きり。部活の同期と行った時のものだ。
アメフト部の野郎共11人が大挙して押し寄せ,飲めや食えやの大騒ぎをしたのだから現地の人たちはさぞ迷惑だっただろう。
今回の記事ではこの時の思い出話を書く気はさらさらない。
男だらけのむさ苦しい旅のエピソードなんぞ,誰も読まされたくはなかろう。
ただ,先日ある方のブログ記事(※1)に
僕にとってのエモい景色の大半は夏なんだろうか。
という一節があり,ふと立ち止まって考えさせられたのだ。
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その曲を聴くだけで,聴いていた当時の心象風景を思い起こさせてくれる曲というのは確かにある。
そして,そういう曲というのは,思春期であったり,先に挙げたモラトリアム期などに聴き込んだ曲に多いようだ。
私にとって,そういう「心象風景を思い起こさせてくれる曲」として最も印象深いのがGRAPEVINEの「放浪フリーク」という曲だ。
本当は,「印象深い」なんて生ぬるい表現ではなくて,例えばiTunesのシャッフルでたまたまこの曲が流れだしたら,思わず「おぉ・・・っ!」と声に出して呟き,イヤホンのボリュームを少しだけ上げ,姿勢を正すくらいのことはする。
そして,あの「景色」を思い出すのだ。
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「俺はまだ,何も為していない。」
というのが,当時の口癖だった。
口癖といっても,頭の中で呟いていたので口癖と言えるかは分からないが,しょっちゅうこんなことばかり考えていたのは覚えている。
何も為してないのは大学生だから当たり前だとして,大学4年生の2月。
一緒にいる部活の同期の大半が銀行や大手の製薬会社などに就職を決めていた。
私は一応専門職を志望していたものの試験に通らなかったので,嘱託としての就職は決まってはいたが,その未来は彼らと比べると極めて不明瞭なものだった。
そんな時期の海外旅行だ。
川に飛び込んだり,ロブスターを丸々一匹食べたり,腹を抱えて笑った思い出ばかりだが,一人になるとふと,先の口癖が頭の中に浮かんできた。
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「放浪フリーク」を聴くときに思い出すのは,ランカウイ島を離れる時に飛行機の中から見た,空と海と島だ。
自分はどこに向かっていくのか。
不安と焦燥と,でもそれを俯瞰する自分もどこかにいて,ただ流されることに心地よさを感じてもいて。
「青臭い」と言い切ってしまえばそこまでだけど,その言葉だけでは消化しきれないモヤモヤがずっと腹の底に蠢いていた。
人込み 一呼吸
皆牽制して 外見と想像で
身の振り 利口な振り
いつか見た夢
やばい 宿題終わったっけ
目の前だけ見て
やり過ごしてきた日々で
はずみでそれは
歌になってしまうそれは
風になってしまう
「放浪フリーク」の歌詞はとても抽象的だ。
青臭い自分に寄り添ってくれたわけではない。
「目の前のせいにして ただ過ごしてきた日々で」
そんな日々を,過ごしていた。
歌詞を書いた田中和将は,そのことについて否定も肯定もしていない。
ただそんな日々が「歌になってしまう」「風になってしまう」と。
そんな距離感を保ってくれるのが,逆に心地いい。
これが本当にいい曲なんです。
「放浪フリーク」は彼らが2005年にリリースしたアルバム「deracine(デラシネ)」に収録されている。
デラシネとは,フランス語で「根無し草」を意味するそう。
「根無し草」とは深いなあと,いま改めて思う。
「いつまでもモラトリアムぶってんじゃねえよ。」
と学生時代の自分に突っ込まれそうだが,
「ここまで突っ走ってきたんだから,少しくらい立ち止まって考えてもいいじゃないか。」
と言い返す自分もいる。
一つだけ言えることは,「根無し草」と名づけられたそのアルバムは,一人の男の心を15年の時を経ても動かし続ける,まごうことなき名盤ということです。
※1 むらよしむらよしさんのブログ