音楽と服

音楽と服について好き勝手に語ります

「1984」が教えてくれる,本当に恐ろしいこと

いつかは連中にやられるぜ

 それは判るだろう

奴等は嘘をついていたこともあったし

変化というものも無償ではやってこないんだ

紅茶の色ににていて 

テレビに指の跡がついている

1984年の未開の狭い入り口に気をつけるんだ

1984デヴィッド・ボウイ

 

デヴィッド・ボウイが1970年代にリリースしたアルバム「ダイヤモンドの犬」に収録されている曲の中に「1984」という曲がある。

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タイトルから想像がつくと思うけど,この曲は,ジョージ・オーウェルの小説「1984」にインスパイアを受けたものだと考えられる。

 

「いつかは奴等にやられるぜ。」

「変化というものも無償ではやってこないんだ。」

 

不穏な未来への警笛にも聴こえる。


www.youtube.com

 

ジョージ・オーウェルの「1984」を読んだのは数年前になるが,コロナ禍になって以後2年間の世の中の動きを振り返ると,いよいよあの小説が鳴らした警笛が,リアリティを帯びてくるように感じる。

 

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1984」は,1949年に刊行されたSF小説だ。

世紀末(1984年)に,世界は「ビッグブラザー」という政治組織によって統治されていて,監視カメラに見張られる中,人々が生活する様子が描かれている。

 

私がこの小説を読んでいて,最も恐ろしいと感じたのは,統治者たちが人々の語彙を奪っていく描写だった。

 

ビッグブラザーたちは,意図的に,計画的に人々が使う言葉を制限していく。

辞書に載る言語を削っていくのだ。

 

言葉を奪われた人々はどうなるのか。

 

想像してほしい。

 

例えば,「悲しみ」を表す表現というのは多様だ。

 

「彼は沈鬱な表情を浮かべた。」

「胸が張り裂けそうだ。」

「彼女の目には泣きはらした痕があった。」

 

など,それこそ感情の動きによって様々な表現の仕方がある。

 

ビッグブラザーは,これらを全て捨てさせたのだ。

 

では,「悲しみ」の感情をどう表現させたのか?

 

「非 楽しい」だ。

 

それだけ。

 

最低限の意思疎通さえ図れればいい,ということだ。

 

では,言葉を奪われた人々はどうなるか?

 

語彙を失うということは,思考力を奪われるということだ。

人は,言葉を知っているからこそ考えることができる。

言葉同士が関連し合ってイメージが生まれ,思考が成立するのだ。

 

悲しみの感情を「非 楽しい」としか表現できない人間には,それ以上の感情の深みや思索に達することができない。

 

つまり,統治者に対して立ち向かう術を失っていくということだ。

考える必要はない。

決められた言語が理解でき,言われた通りに動ければそれでよいのだ。

 

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もう私が何を言いたいのかお分かりだと思う。

 

私が子どもの頃からしても,世の中は大きく変わった。

 

昔は何か調べごとがあると,本で調べるか,直接人に聞いたり現場に行ったりしないと確かめることができなかった。

 

分からない言葉があれば国語辞典を引いていた。

 

そうやって自分の目で見たり,体験したり触れたりしたものが本当に自分の血肉になっていった。

 

それが普通のことだったのだ。

 

 

今では,ネットで調べればなんでも分かる。

と思っている。

 

でも,本当のところ何も分かっちゃいないのだ。

PC画面上に出てきた文字をスクロールして斜め読みしただけで,何が分かる?

 

 

言葉についてもそう。

 

ネットスラングについては詳しくないが,

「ワロタ」って何。

「草」って何。

 

そもそも誰がつくった言葉なのか。

 

そのような得体の知れない言葉が,当たり前のように溢れかえっている現状には,どうしても違和感を感じてしまう。

 

私たちは私たちの親が,祖父母が,祖先が脈々と受け継いできた言葉をもっと大切にすべきではないのだろうか。

 

安易な言葉に頼らず,自分の感情を言い表す言葉について,少し立ち止まって考えてみてもいいのではないだろうか。

 

奴等は嘘をついていたこともあったし

変化というものも無償ではやってこないんだ

 

便利になって世の中は確かによくなった。

 

でも,私たちは自分の言葉を失ってはいけないと思う。

自分の感情を,考えを,思いを伝える言葉をしっかり持っておく必要があると思う。

 

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だからこそ,自分はいまブログをやっているのかもしれないな・・・。

なんてことをふつふつと考えていた木曜日の午後なのでした。