足元をごらんよきっと転がってるさ
ちょうど一年前のことだ。
底冷えする夜だった。
帰宅ラッシュの電車からやっとのことで降り,厚く垂れ込めた雲を見上げつつ帰宅した。
マスクを外し,手洗いをしていると,早々に買い物に行くようにと頼まれた。
三男のオムツが切れたらしい。
帰り際に買ってくるようLINEを入れていたらしいが,そんなもん見てない。
まあ,コートも着たままだし散歩がてらドラッグストアへ行ってくるか。と,財布と鍵だけ持って外に出た。
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マンションのエントランスを出ると,はらりと雪がまっていた。
どうりで冷えるわけだ。
雪はしんしんと降っている。
冷たい空気を吸い込むと,なんだかいつもより気持ちがいいことに気づいた。
あれ?
何かいつもと違う。。
!!
そこで気づいた。
立ち止まる。
マスクをしてない。
家に戻るか。
少し歩けば戻れるけど。。
5秒ほど逡巡した結果,そのままドラッグストアに向かうことにした。
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店内では極力俯いて,店員や他の客の視線を避け,必要なもの(オムツ)だけを買うと,すぐに外に出た。
雪はまだはらはらと舞っていた。
白い息を吐きながら,外をマスクなしで歩くのはいつ以来か記憶を辿っていくと,前の年(2020年)の3月からなので,約一年ぶりということになる。
いかんな,やらかした。。と思いつつ。
マスクなしで外を歩くのがこんなに気持ちいいことだったなんて。
10年以上前に流行った「脳内メーカー」で表現すると,そのとき脳内を占めていたのは
◯罪悪感・・・・・40%
◯世間体の悪さ・・45%
◯爽快感・・・・・15%
みたいな感じ。
ただ息をするだけで,こんなにも気持ちがいいなんて。
生まれて初めての感覚だった。
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思えば,私はもともとはマスクをするのが嫌いな人間だった。
コロナで世間がこんなになる前は,マスクをして仕事や学校に行ったことなんて,人生で3回くらいしかなかった。
それがコロナ以降,毎日マスクだ。
単純計算で,コロナまで約13240日生きてきて,マスクをつけた日はそのうち3日程度なのに,
コロナ以降は,約1100日間毎日マスクをつけてることになる。
生活変わり過ぎ。
これは誰か早めに検証したほうがいいと思うが,マスクをつけて仕事や勉強をすることで,呼吸や体感温度などに変化が起きて,仕事のリズムや思考などに影響を与えることはないだろうか?
私はこれ,少なからず影響はあるような気がする。
それに,できれば自分の息のにおいより,自然のにおいを嗅ぎたいですね。
しんとした雪の夜のつんと張り詰めた空気のにおい。
雨の降り始めのアスファルトと土のにおい。
春の若竹のにおい。
居酒屋から漂ってくる焼き鳥のにおい。
最後のはちょっと違うか。
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横道に逸れたけど,うん,マスクはできればしたくないのです。
今は周りの人の命がかかってるからしますけどね。
でも,マスクを365日つけてるからこそ発見できる幸せもあるんだなって思いました。
絶望 失望(Down)
何をくすぶってんだ
愛,自由,希望,夢(勇気)
足元をごらんよきっと転がってるさ
力一杯息を吸い込めることを「幸せだ」と思える日が来るなんて思ってなかった。
もう2年以上,さまざまな制限がある中我慢を続けてきたけど,その分,これまでの「当たり前」がどれだけ有難いことだったのかを再確認できている。
当たり前に飲みに行けたこと。
当たり前に喋りながら食事をできたこと。
当たり前にライブに行って大合唱できたこと。
当たり前に息ができること。
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ALS患者のヒロさんが著書の中で書いていた。
「ALSがもし治ったとして,まずやりたいことは何かってよく聞かれるんですけど、僕は水を飲みたいです。コーラとかじゃないんですよね。結局,本質的なものを欲してしまうというんでしょうか。」
こんなニュアンスだったと思うが,これに似た感覚ではないかと思う。
勿論,ヒロさんが抱えているものの重さと,私のそれとは比較にならない差があるだろうが,感覚的には近いような気がするのだ。
コロナによって思いがけず「不自由」な生活を強いられたおかげで,逆に忘れかけていた日々の暮らしの中にある本質的な豊かさを再確認できるのではないだろうか。
マスクを外して
大きく息を吸って
「コロナのバカヤロー!」
と大空に向かって叫ぶ日を思い描いて。
また明日からマスクをつけてがんばります。