音楽と服

音楽と服について好き勝手に語ります

つくり手の顔が見える逸品にひかれるという話

3回目のワクチン接種から丸一日経った。

昨日はなんともなかったが,今朝目が覚めてからは体中の倦怠感がひどく,予想はしていたが朝の仕事はできず。

 

熱は高くないものの,接種部位の痛みに加え,倦怠感がなかなか抜けず,昼前まで寝込む羽目に。

 

昼を過ぎてからようやく起き上がることはできたものの,食欲はあまりない。

でも多少腹は減ったので,手を抜いてこんな感じになった。

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コーヒーにシュガートースト。

腹にきそうかと思ったけど,パンも小さいのでわりと進んだ。

 

写真のマグはかなり大ぶりな作りで,「小石原焼」という焼き物だ。

コーヒーを淹れる時には大体がこのマグでいただく。

かれこれ五年以上の付き合いになる相棒だ。


この小石原焼,仕事で取材したのをきっかけにその魅力にはまってしまい,現地を訪れる際に購入していたので,気づけば我が家の食器の半数を占めるほどになった。


例えば先述のマグはペアで買ったが,同じ作家さんの作品で湯呑みもある。

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この作家さんは私と同世代で,伝統のとびかんな製法(器につけられた点々の模様)を維持しつつ,モダンなデザインを取り入れて女性にもファンの多い方だ。


他にもお皿がいろいろと。

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洒落てるでしょう?

どれも,作品がつくられている集落まで出かけて行って,購入したものだ。


私が住んでいる地域からは車で高速をかっ飛ばしても1時間半はかかる。

山間にある小さな集落だ。

九州にある地域だが,冬は積雪も多くなかなかに山深い場所だ。


私が取材でよく訪れる作家さんは,もう還暦が近い方だが,物静かで無駄なことは話さない職人気質の方だ。

かわりに奥さんが社交的で,私が訪れるとよくコーヒーを振舞ってくれる。


電動ろくろの前で,薪ストーブに当たりながら仕事の話をとつとつと話してくれたこともある。


製作過程を見せてもらったが,まず土をこねる時に空気が入らないようにする技術を習得するところから数年の修行が要るそう。

ろくろを回して形を作ったり,乾燥させた後にろくろで「とびかんな」模様をつけたり,仕上げに10時間ほど焼成したり,一つ一つが手作りで結構な手間がかかっている。


そして,これら製作過程における技術は,何年も修行を積んでようやく,自分の作品としての「味」を作品に表現できるようになるという。


私は,そんな製作過程を経てつくられ,今自分の目の前にあるこれらの作品を飽くことなく眺めることができる。


取材でお世話になっている作家さんの作品は,派手さはないが使えば使うほどに味が出る逸品だ。(上の3枚の皿の写真の一番左のもの)


この小石原焼,この山間部の集落で取られた土でつくられていることがその名を名乗る条件らしい。


一度,原料となる「陶土」の取材に行った時には,あと300年分は余剰があるという,陶土のもとになる土を見せてもらった。

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うず高く積まれた陶土

小石原焼は,350年ほどの歴史をもち,作家さんの中にも代々続く窯元の看板を守り続けている方が多い。

私が世話になっている作家さんも,先祖代々の窯元で,13代目だそう。

現在,息子さんも跡を継ぐために修行されているそうだ。

 

今週のお題「わたしのコレクション」 


ここ数年,お気に入りに囲まれて生活することが喜びになってきた。


小石原焼は決して安くはない。


100均で買えるような皿も,一枚三千円なんてざらにする。

それでも,作品を通してそれを作っている人の顔が見えるのは,なんかいいなあと思っている。


朝,コーヒーをこのマグで淹れて飲むたびに,あの山深い集落で出会ったさまざまな人たちの顔を思い出す。


今,商品に付加価値がつくとしたら,そういうことではないかなと思う。

作品そのものの価値もあるけど、作り手の顔がその向こうに見えること。


なんでもないことのように思えるけど,そんな小さなことが,人生をほんの少しだけ,豊かにしてくれる気がする。


最後は,取材に向かっていた道中でよく聴いていた曲を。

ジェイソン・ムラーズで「リビング・イン・ザ・モーメント」。



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まだちょっと調子悪いな。

あと少し寝ます。

おやすみなさーい。