音楽と服

音楽と服について好き勝手に語ります

老人と海

「カラン,コロン」

 

少し重い扉を引くと,呼び鈴が乾いた音を立てた。

 

昔のまんまだ。何もかも。

 

お店の中はきちんと整理されていた。

カウンターにはカップやグラスが整然と並び,5,6あるテーブルの向こう側には,白いピアノが静かに佇んでいる。

 

30年前には年代物の赤いロールスロイスが展示されていた気がするが,今回は見当たらなかった。

 

老人は,カウンターに一人座っていた。

 

30年前には,初老ではあったがよく日に焼け,引き締まった体に白い歯が印象的な生気溢れる男性であった。

 

体全体が小さくなったようだ。

腰を曲げて一心に帳簿に目を落としている。

 

「やってますか?」

 

私が扉を半開きにしたまま尋ねると,彼はその時初めて私に気付いたようで,ゆっくり顔を上げた。

 

顔にいくぶんか脂肪がつき,たるんではいたが,目の横の染みは昔のまんまだった。

しかし,目には光がない。

視力が弱くなっているのだろう。

 

「やってませんよ,ごめんなさいね。」

 

老人はいくぶんかすれた声で言った。

その声は,扉の呼び鈴のように乾いた響きがして,どこか違う世界で鳴っているようだった。

 

海岸通りは30年前と違って,大賑わいだった。

サーフショップやカフェが林立し,堤防と建物の間に通る一本の細い道はしじゅう,横切る人や写真を撮る人であふれ返っている。

 

そんな中にあって,この喫茶店兼ペンションだけは,時が止まったように昔のままであった。

半開きにした扉から,静かな波の音が聞こえてくる。

 

「そうですか,ごめんなさい。」

そう答え,扉を閉めようとしたがふと思い返し,私は老人に向かって話しかけた。

 

「実は昔,ここによく泊まりに来てたんです。」

 

老人はそれを聞くと,微かに目を見開いた。

「そう。名前は何と仰るのかな。逆光でよく見えないな。目もだいぶ見えなくなっててね。」

 

私が中に入ろうとすると,私の陰に隠れていた次男が

「怖いよ。」

と小さく呟く。

 

次男にしてみれば,得体の知れない老人は警戒して然るべき存在なのだろう。

私は中に入ることを諦め,扉のところから名乗った。

ただ,30年くらい前のことだから…とも付け加えておいた。

 

老人は,私の名前を聞いても覚えがないようだった。

仕方がない。

 

私が礼を言って扉を閉めようとすると,次男が

「お店開いてないの?」

と無邪気に聞くものだから,

 

「ごめんね。おじさん歳をとったからお店やめちゃったんだよ。もう86になったからね。」

 

老人は次男のほうを向いて語りかけてくれた。

 

86か。

私がここに毎年のように来ていた頃は,50代半ばだったということか。

お店の様子があまりにも変わらないので忘れかけていたが,ずいぶん長い時間が経ってしまっていることに改めて気付く。

 

店内には奥さんの姿が見えなかったが,聞かないでおくことにした。

時間の流れというのは時に残酷だ。

聞かないほうがよいこともある。

 

私は礼を言って扉を閉めた。

今度は呼び鈴は鳴らなかった。

 

車に乗って海岸通りに出ると,先程の喧騒が戻ってきて,

「ああ,やっぱりあれから30年経っているんだな。」

と実感した。

 

 

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私が生まれ育ったのは,福岡南部の田舎町で,海とは無縁の土地だった。

近くにある海と言えば,車で30分くらい走ったところに広がる有明海くらい。

ご存じのように有明海は「泥の海」として有名で,砂浜はなく,代わりにあるのはムツゴロウがとびはねる干潟だけだ。

 

そのため,私は幼少の頃から真っ青な海と白い砂浜に強い憧れを抱いてきた。

だから,年に一回の夏の旅行を心待ちにしていた。

 

私の家族は毎年夏に,県内の海岸に旅行に行くのが例年の行事になっていた。

普段は仕事で休日の休みがとれない父も,その時ばかりは1週間の休みを取ってくれた。

 

その海岸は西向きで,玄界灘に面している。

広々としたビーチで,波も穏やかな場所だ。

 

私たち家族は毎年,海岸にある喫茶店兼ペンションに予約を取り,1週間近く滞在していた。

自宅からは車で2時間ほどの小旅行だ。

ペンションは壮年の夫婦が経営していた。

 

もっとも,切り盛りしているのは主に奥さんの方で,おじさんはほとんど店にいなかった。

奥さんは眼鏡をかけていて小柄で細身であるが,背筋が「ぴしっ」としていて面倒見のよい方だった。

 

宿泊客である私たちの名前も覚えていて,カウンターでジュースを出してくれた。

店の中で私たちを遊ばせながら,いろいろ話をしてくれた。

 

おじさんは一応ペンションの主人らしかったが,絵を描いたり流木で作品を作ったりして,わりと自由な感じの人だった。

 

東南アジア風の不思議な絵を描く人で,私たちが泊まる部屋の襖にもおじさんが描いた踊り子の絵がそれぞれにポーズをとっていた。

夜になるとその襖の絵が白く浮き上がり,子ども心には結構不気味だった。

 

数年前,地元の新聞の地域欄に,おじさんの写真とあの不気味な襖の写真が出ていた。

確かおじさんが,ペンションにある襖絵などの作品を自治体に寄贈したという内容だったと思う。

その頃にはすでに80を過ぎていたそうだが,私はおじさんの消息を知ることができたことと,あの襖絵などがペンションからなくなってしまうことに寂しさを覚えたので複雑な気持ちになったことを覚えている。

 

ペンションに泊まりに行っていた頃の話。

一度大潮の時期に当たったことがあり,その時には沖の方まで砂浜が露わになった。

砂浜からは様々な貝やカニなどが姿を現した。

私は珍しいヒトデを見つけて捕まえた。

妹たちはヤドカリを見つけて喜んでいた。

 

この日は大漁のアサリや魚介類で,ペンションの庭でバーベキューをした。

おじさんもどこからか現れ,釣ってきた魚を提供してくれた。

玄界灘の西日を浴びながら,皆で食べた海の幸は美味かった。

 

幼少期の幸せな思い出として,これから先も色褪せることのない記憶だろう。

 

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老人のペンションから,車で3分くらいのところに,今回私たち家族が泊まるグランピング施設があった。

 

コテージを一棟貸し切って,家族水いらずで過ごすことができる。

息子たちは二階から見える海の景色に大興奮。

 

夕飯はテラスでバーベキュー。

このサンセットだけで飲めるんだな。

 

夕日の美しさは,30年前と何も変わらない。

というか,ここから見える海の様子も,波の音も何も変わらない。

 

おじさんは年老いて,老人になった。

私も子どもをもつ親になり,また息子たちを連れてこの場所に戻ってきた。

 

これからさらに時間が経ち,おじさんも,私もいなくなっても,おそらくこの海は変わらない。

 

追憶の風景を眺めていると,つい感傷的になってしまう。

きっと,夕暮れの海があまりにも美しいからだ。

 

子どもの頃は,海で泳ぐことばかりが楽しみで,景色とかこれっぽっちも意識してみたいなかったと思うが,案外覚えているのはふとした時に見た沖にある島の形だったり,砂浜から眺めたペンションの様子だったり。

 

でも,景色と同じくらいにおじさんやおばさんとの会話や関わりを覚えているものなんだ。

そういう体験を,コロナ禍とはいえ我が子に十分させてやれないのは少し残念に思う。

 

旅のよさというのは,その場所そのものの魅力も勿論だが,その場所での人との関わりもきっと含まれるだろうから。

 

そんなことを思いながら帰りの車でハンドルを握っていると,後部座席に座っていた次男が,

 

「また来ようね。」

 

と言ってくれた。

 

そうだね。


また来年,行こうね。


きっと。