「想像すること」からしか行動は生まれない〜ベルアンドセバスチャンの新曲に寄せて〜
毎日購読させてもらっているradiomusicさんの記事に,ベルアンドセバスチャンの新曲が貼り付けてあった。
ベルアンドセバスチャン,通称ベルセバは,ずっと以前に一枚だけアルバムを買っていた。
確か「天使のため息」という作品で,「ロッキング・オン」が別冊で出しているディスクレビュー集に出ていたので興味を持って中古CD屋で見つけた時に購入したものだ。
何度か聴いてみて,内省的でメランコリックな曲を書く人たちだなという感想をもった。
私は直接観たことはないが,ホワイトステージのトリを務めたこともあるそうだ。
radiomusicさんの記事で紹介されていたのは,「Unnecessary Drama」という曲だ。
この曲が,私のそれまでの「ベルセバ像」を打ち崩すような,アップテンポで高揚感あるナンバーに仕上がっていたので,動画視聴して一発で気に入り,下にあるAmazonバナーをクリックしたのだ。
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新作のリリースは1週間後だったので,届いたのがゴールデンウィークの後半だった。
その日から,朝の時間は常にコーヒーとベルセバの曲とともにある。
届けられたアルバム「A Bit of Previous」のライナーノーツを開いて,歌詞を読みながら曲を聴いていると,驚いたことにウクライナ侵攻をテーマにした曲があった。
先行シングルの一曲「If They're Shooting at You」だ。
(ちなみにもう一曲の先行シングルは前出の「Unnecessary Drama」)
退廃的なイントロから,リラックスしたスチュアートのボーカルで幕を開けるこの曲。
手拍子でリズムをとるあたりのセンスとか,ゴスペルを取り入れているあたりとか,90年代初頭にロック,テクノ,ダンスの融合で中毒性のあるサウンドを生み出した「スクリマーマデリカ」で一世を風靡した当時のプライマルスクリームを彷彿とさせる。
一聴して牧歌的にも響く「If They're Shooting at You」の歌詞は,その実哀しみで覆いつくされている。
僕が求めているのはほんの少しの安らぎだけ
温かく心地よい家と,家族が僕を
連れ戻してくれること,そうだよ,彼らが恋しいから
息子たちが恋しい,その母親が恋しい,彼らにキスを
でもそうはいかない,僕にはもう時間がないんだ
息が苦しくて,残念だけど死にかけているに違いない
「こっちにきて」と君は言った
「苦痛にさよならして」
「この手の中にいれば,向こうはあなたを殺せない」
「あなたは私の息子」
「あなたは私の愛しい人」
「さあ,優しく抱きしめてあげる」
「そばにいるからね,ほら捕まえた」
If They're Shooting at You
死にゆく兵士の見ている幻なのか。
最後の,幻覚と思しき会話のくだりに関しては,もはや「 哀しみ」という言葉を使うのもあまりに陳腐な気がする。
歌詞を書いたスチュアートが,一体何を伝えたかったのかは想像するしかない。
一つだけ言えることは,当事者である人々にとっては,何が「正義」であるとか「大義」であるとかは,多分どうでもいいであろうということだ。
そこにはただ,現実しかない。
日常が情け容赦なく打ち崩されて,一瞬のうちに家族を失って。
ただ,現実しかない。
彼らは異国のメディアを前にしてこんなことを話していた。
「21世紀にこんなことが現実に起こるなんて信じられない。」
「平和な空以外,何もいらない。」
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侵攻の当事者はその正当性を,「正義」を説くのに躍起になっているようだけど,ふりかざした「正義」の下でどのような「現実」が繰り広げられているのか,見ようとしなくなった時に悲劇はもう始まっていたのだ。
スチュアートの綴った,ため息のような,昼下がりの会話のような曲が内包する意味というか,情念はあまりにも深く,そして重い。
戦時下にも一人一人の日常があって。
訳の分からない痛みや哀しみとも判別できないような感情を背負わなくてはならなくなった人がいて。
想像して世界を変えられるわけではないけど,想像しないことには何も始まらない。
最後に,ライナーノーツは以下のようなスチュアートの言葉で締められていた。
中心人物のスチャート・マードックは,同シングルのリリースにあたって以下のようにコメントした。
「ウクライナの情勢が始まったとき,そこにいる人々の生活,そしておそらく『私たち』の生活も,決して以前のようには戻らないことが明らかになりました。この曲は迷い,傷つき,暴力の脅威にさらされていることを歌っています。私たちはウクライナの人々と連帯し,彼らの痛みと苦しみが一刻も早く収まることを願っています。