私のことである。
なぜか昔から,UK(イギリス)のバンドがつくる曲に惹かれていた。
アメリカのスカっとしたパンクや,大仰なメタルではなく。
ロンドンの曇り空を想像させるような,イギリスのギターロック。
最近,昔買った本を読み返している。
今読んでいるのは,山崎洋一郎の「激刊!山崎」だ。
山崎洋一郎とは,「ロッキングオン」「JAPAN」2誌を掛け持ち現役編集長で,ロックファンの間ではわりに名を知られている。
昨年だったか,コーネリアス小山田の過去のインタビュー記事が問題になった時に,そのインタビューをしていた当人でもある。
あの問題に関しては,話していた内容はもう残念なくらい言語道断なわけで,本人も謝罪コメントを出していたけど弁解の余地がないのが実情だろう。
しかし,山崎という人物を語る上で,「あの問題」だけで片付けてはいけないと思う。
彼は狂気を孕んだ人間であると同時に,深い知性を兼ね備えた人間であるとも,その文章を読んでいると感じるも多いからだ。
山崎洋一郎が編集長を務める「ロッキング・オン」で毎月書いているコラムが「激刊!山崎」なのだ。
このコラムの中で,山崎は表題の通り「UKのメランコリックで内省的なバンド」について書いていた。
僕はUKのメランコリックで内省的なバンドが大好きだ。しかも,バラードに好きな曲が多い。昔から好きな女の子にベスト・テープを作るとUKアーティストのバラードばかりになるという恥ずかしい前科もある。たぶん,いま作ったとしてもそうなるんじゃないか。不思議なことにUSロックのバラードにはあまりはまった事がない。なぜだろう。トッド・ラングレンとルー・リードくらいかな。新しいアーティストでは思い当たらない。
好きな女の子のために作ったテープにメランコリックで内省的なバラードが多くなるという僕の恥ずかしい前科からもわかる通り,メランコリックで内省的なバラードというのは切実なコミュニケーション願望とその挫折感,である。君には僕のこの思いがきっと伝わっていないんだ,それでも僕は何とかして君にだけは伝えたい,わかってもらいたい,でもダメだろう,という,「切実な衝動」と「敗北感」との間にある甘くて苦いエモーション。そこからメランコリックで内省的なバラードは生まれる。もし好きな女の子が自分の事も好きでわかり合えているなら,わざわざ悲しい曲なんて贈らずに,楽しい曲をいっぱい入れて楽しい気持ちにさせてあげたいと思うだろう。
そうそう,そうなんだよな。
この文章には深く共感した。
「伝えたい,でも伝わらない」そんな持って行きようのない感情がくすぶっている感じ。
きっと,うまく伝えられない自分を重ねているから共感できるのだろう。
さらに,山崎自身はなぜ「UKのメランコリックで内省的なバンド」にはまるのかを以下のように分析している。
おおざっぱな捉え方になってしまうが,アメリカは国もでかいし,人種も本当にミクスチャーだし,大きな声で明確に意思表示しないと日常生活が成り立たない。だから「コミュニケーションの闘い」が外部化しやすい。だがUKは戦いが内側へ向かいやすく,内省化し,挫折も内部に宿り,純化していく。そのあたりは日本/日本人に近い。だからUKのロックが伝統的にあの湿り気を帯びたメランコリーに向かうのはある意味必然なのだ。よくどんよりと曇ったロンドンの空とカリフォルニアの青空の違いなどと説明しているのを見かけるが,全然違う。沖縄は青い海と空に恵まれているが,メロディーは暗い。天気なんかそんなに重要ではない。コミュニケーションの問題なのだ。
山崎洋一郎「激刊!山崎」より引用
「メランコリックで内省的な」という表現は,私が当ブログで度々述べている「侘び寂び」の概念と重なるところが多いように思える。
アメリカンロックとの気質の違いを「コミュニケーションの闘い」として考えるのは,なかなか面白い視点だと思う。
アメリカ人とイギリス人はコミュニケーションにおける傾向が全く異なることを,私自身も経験からある程度把握している。
アメリカ人のP氏はいつも表情豊かで,私と話すときはよく日本語のダジャレで笑わせようとしてくれた。
イギリス人のS氏は思慮深い人で,口数は多くないがウィットに富んだ話を,はにかみながらしてくれていた。
ただ,これもあくまで経験に基づく「傾向」でしかない。
何事も一面的な見方をするのはよくないと思う。
山崎自身は否定していたが,「天気」も気質を分けるポイントの一つであるのではないだろうか。
それに,地政学的な影響もおそらくある。
島国で,四季がある日本人には,やはりここでしか生まれえない繊細な感性が身についているのと言えると思うからだ。
そういう点では,イギリスは、緯度は日本よりだいぶ北であるものの,島国という共通点はある。
ロックとその知性という点においては,日本人はイギリス音楽というものに,ある種の敬意を抱いているように思う。
ビートルズが偉大だったのは,ジョンとポールという2人の天才ソングライターが在籍していたことに加え,コンセプトアルバムという概念や,逆回転再生や多彩な楽器を使ってのレコーディングなど,ロックに革新をもたらしたことにある。
ケミカルブラザーズが偉大だったのは,ダンスミュージックを,フロアで盛り上がるだけの音楽としてだけでなく,そこに「侘び寂び」に近い概念を取り入れることにより,ダンスミュージックの可能性を押し広げたことにある。その系譜は,チェインスモーカーズなど後進に受け継がれている。
「メランコリックで内省的なバンド」という表現は,そうした英国ロック史をある意味総括したような言葉であるようだ。
だからと言って,アメリカのロックが内省的でないとか,知性に欠けるということではないことは断っておかねばなるまい。
ルー・リードやストロークスの鳴らすロックは,時に本国イギリスのバンドよりも深く内省的で,アメリカにおける評価よりもイギリスにおける評価が高いこともしばしばある。
あくまで傾向として,ということ。
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ところで,「メランコリックで内省的なバンド」と聞いて私が真っ先に思い浮かべるのは,ザ・ヴァーヴだ。
彼らの代表曲「ビター・スウィーツ・シンフォニー」は,「メランコリックで内省的」の権化のような曲だ。
皮肉の効いた歌詞やMVなんかは本当に,イギリス人らしいというか。
メロディー自体は,すっと入ってくるんですけどね。
素晴らしい曲です。