20年の時を超えて響いた宇多田ヒカルの言葉
私は宇多田ヒカルと同じ1983年生まれである。
学年は彼女のほうが一つ上だけど,まあ同世代と言ってもよいだろう。
この世代は,なんとも中途半端な世代で,いわゆる就職氷河期世代の下,ゆとり世代の上で,その狭間世代と言ったところか。
物心がついた頃に年号が昭和から平成に変わり,小学校高学年の多感な時期に地下鉄サリン事件や阪神大震災が起こり,バブル崩壊による不況も長引いて,なんとも暗い時代の空気を感じながら育った記憶がある。
宇多田ヒカルがブラウン管に登場したのは,98年も末のことだった。
深夜の音楽番組で,MVがバンバンかかっていた。
「Automatic」でデビューした彼女は,わずか15歳だった。
音楽は生粋のR&B。
後から振り返ると,MISIAの「包み込むように」や,デズリーの「Life」が前後でヒットしており,彼女の音楽が受け入れられる下地はできていた。
しかし,ダボダボの服を着て,焦点の合わない目で屈んだりウロウロ歩いたりしながら
「イッツ,オートマーティック」
と歌う彼女が同じくらいの年齢の女性とは思えず,どこか違う星から来た宇宙人ではないかと思っていた。
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「First Love」(1999年)
宇宙人のようだった彼女は,翌年「First Love」というシングルを出して,これがまたバカ売れした。
仲間とカラオケに行くと,結構な確率でこの曲を歌う女子がいた。
歌い出しはこうだ。
最後のキスはタバコのFlavorがした
なんだこの歌詞は?
「最後のキス」と「タバコのFlavor」とは。。
この当時「JAPAN」の編集長をしていた山崎洋一郎は,宇多田ヒカルの同名の1stアルバムが出た時,自身のコラムの中でこんな記事を書いていた。
このデビューアルバムは,凄まじく日本の音楽シーンを変えるだろう。歌のレベルとかリズム感覚ではなく,「きちんと傷つき,きちんと悲しみを受け入れることに関して女の子は15歳でこのレベルなんだよ」ということがまんまあらわになっているからだ。
山崎洋一郎「激刊!山崎Ⅱ」より引用
山崎はこのように書いているが,少なくとも私の周囲には,異性との恋愛模様について
「昨日の彼とのキスさあ,煙草のフレーバーがしてさあ。。」
なんていう文学的な表現をする女の子は一人もいなかったし,例え似たような感情を抱いていたとしても,言語化できる者などほとんどいないだろう。
それでも,彼女の曲がたくさんの人に支持されたのは,彼女が紡ぎだす言葉が広く共感を呼ぶものだったからに他ならない。
彼女の言語についての鋭い感覚というのは,音楽プロデューサーと歌手を両親に持ったバックボーンが影響しているのか,アメリカで生まれ育った環境が影響しているのか,はっきりとは分からないが,10代の頃からいろいろな経験を経ていることが関係しているのは間違いないのだろうと思う。
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私は宇多田ヒカルとは同世代だが,彼女のアルバムを買ったことは一度もなかった。
一番売れた時期(最初のアルバムの頃)は天邪鬼根性が炸裂して流行りものに手を出したくなかったし,2000年代になってからは洋楽のほうに傾倒してしまった。
そうこうしているうちに彼女は「人間宣言」を表明して,無期限の休養に入ってしまった。
そして2016年に6年ぶりに「復帰」し,2022年に復帰後2作目となる「BADモード」をリリースした彼女は母となり,2度目の離婚を経験していた。
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「BADモード」(2022年)
これまで一度も宇多田ヒカルのアルバムを買ったことのなかった私だが,この作品に関しては発売当初から買おうか買うまいか逡巡を重ねてきた。
近所のCD屋には立ち寄るたびに手に取って見るのだけど,そのたびに迷っているもう一つのCDを選ぶことが続き(ちなみにもう一つとは藤井風であったりチェイン・スモーカーズであったり),なかなか縁がなかった。
結局夏前に,彼女のアメリカの一大ロックフェス,コーチュラへの出演が報じられたのを機会に踏ん切りをつけて購入することにした。
アルバムの1曲目,タイトルトラックの「BADモード」冒頭。
彼女は次のように歌っている。
いつも優しくていい子な君が
調子悪そうにしているなんて
いったいどうしてだ,神様
そりゃないぜ
そっと見守ろうか?
それとも直球で聞いてみようか?
傷つけてしまわないか?
宇多田ヒカル「BADモード」
抽象的な表現は一つもなく,感じたことや迷いが率直な言葉で語られている。
この曲には「BADモード」というタイトルがついているが,これは単に調子が悪い状態を表す意味ではない。
「絶好調でもBADモードでも君に会いたい」
との歌詞があるように,「どんな状態でもあなたの支えになりたい」というメッセージを内包している。
先月だったか,久しぶりにテレビで彼女を観た。
歌う前のインタビューで
「人を頼ることって,私はいいことだと思うんです。」
と語っていた彼女。
「人間宣言」の後,結婚して子供が生まれて,子育てをする中で,これまでの価値観と変わってきたものが当然あった筈だ。
等身大の言葉が,20年の時を超えてようやく私にも刺さった。
私自身も子育てをする親になったからだということも大きいのだろう。
私にとって「宇宙人」だった彼女の言葉が,今では隣人のような温かみを持って響いてくる。
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ところで,件の「BADモード」について,私と妻の間でちょっとした論争が勃発した。
この曲に登場する「君」は誰なのか問題である。
私は「恋人」,つまり男性であろうと推測した。
妻は「友達」,つまり女性ではないかと言うのだ。
「いつも優しくていい子な君」という歌い回しが女の子っぽいと主張するのだ。
そうかな?
いや,絶対恋人だと思うのだけど。
メール無視してネトフリでも観て
パジャマのままで
ウーバーイーツでなんか頼んで
お風呂一緒に入ろうか
なんて言ってるけど,友達と一緒にお風呂なんか入るかな?
どうでしょうか。。
どうでもいいんだけど妙に気になります。