アーティストに「中年の危機」は存在するのか?〜アラフォー時の作品を基に検証〜
ここ最近,アークティック・モンキーズ関連の記事を書くことが多いのだけど,フロントマンのアレックスが今年36歳ということを聞いた時には,驚いた。
彼らは18かそこらでデビューしてすぐに世界的に騒がれたので,あれから倍の時間の人生を過ごしていることになる。
私は来年いよいよ40歳を迎えるが,アーティストたちが自分と同じくらいの年齢の時に,どんな作品をリリースしているのか以前から気になっていた。
一般的には「不惑」とされる年齢だが,人生も折り返しに差しかかり,「本当に今のままでいいのか?」と迷いが生じることも多いと聞く。
私が「アラフォー」のアーティストの作品に注目し出したのは,以前コールドプレイのフロントマン,クリス・マーティンが新作を発表した際に,どこかの雑誌のインタビューで
「僕たちは30代のうちに,まだいいレコードが出したかったんだよ。」
みたいな発言をしたのを覚えていたからだ。
アーティストにとって,1stアルバムを超える作品をつくるのは至難の業だと言われている。
最初のアルバムは,試行錯誤する時間がたっぷりあるし,それまでの自分たちのすべてを出すことができる。
一方で1枚目が売れてしまえば,2枚目以降は限られた期間で制作しなければならないし,1枚目が評価された分,ハードルはより高くなっている。
これまで,1枚目が売れた後,2枚目,3枚目が尻すぼみに終わって消えていったアーティストのいかに多いことか。
アラフォーのアーティストとなると,キャリアで言えば20年前後になるだろうが,荒波を潜り抜けてきた彼らにも「中年の危機」は存在するのか?
3組のアーティスト(バンド)の作品から,紐解いていきたい。
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1 コールドプレイ
「A Head Full Of Dreams」(2015)
クリス・マーティン38歳
最初は,前述のコールドプレイ。
フロントマンのクリス・マーティンが38歳時のアルバムだ。
コールドプレイは二作目「静寂の世界」から五作目「マイロ・ザイロト」まで4作それぞれの売り上げが1000万枚を超えているという破格のモンスターバンドだ。
2000年代におけるロックシーンで,世界一の影響力を持っていたのがレディオヘッドなら,世界一の人気を誇っていたのは間違いなくコールドプレイだろう。
そんな彼らの6作目となるオリジナルアルバムだ。
このアルバムは前年にリリースされた5枚目のアルバム「ゴースト・ストーリーズ」の対になる作品と言われている。
つまり,内省的だった前作と対照的に,意識的にポップに振り切った作品と言える。
私個人的には,コールドプレイの作品の中でも3本の指に入るくらい好きな作品だ(あと二つは,名盤「ビバ・ラ・ビータ」と「マイロ・ザイロト」)。
彼らの一番の強みは,ポップな作品でも壮大さと親密さが奇跡的な塩梅でバランスを取っていること。
悪く言えば優等生過ぎる印象もあるが,おかげで大衆に受け入れられるという側面にもなり,彼らのメガセールスを支える一つの特徴にもなっている。
ある意味「開き直り」とも取れるこのポップ回帰の潔さが吉と出た,良作。
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2 オアシス
「Don't Believe The Truth」(2005)
ノエル・ギャラガー38歳
オアシスの6作目,「ドント・ビリーヴ・ザ・トゥルース」は,過去の記事でも何度か「後期オアシスの最高傑作」と言及している作品だ。
この作品では,リアム,アンディ,ゲムというノエル以外のメンバーも曲づくりを手がけるようになり,表情豊かで,かなりのクオリティを誇る楽曲が入っている。
この作品に出会ったとき私は大学四年生で,それ以前は邦楽ならハイスタ,ハワイアン6,ブラフマン,洋楽ならグリーンデイ,サム41,ゼブラヘッドと言ったパンク!メロコア上等!な,いわば流行りのシーン(日本においての)しか知らなかったのである。
結局,
「ポップで激しい音楽には勝たん!」
と信じて疑っていなかったわけだ。
ところがたまたま行きつけのタワレコのポップを見て,あのオアシスの新作か,じゃあ買ってみるか,と「ドント・ビリーヴ・ザ・トゥルース」の輸入盤を手にしたその日から始まった道が,今に続いている。
私は「ドント・ビリーヴ・ザ・トゥルース」に出会わなければ,ビートルズやローリングストーンズ,デヴィッド・ボウイを聞くこともなかっただろうし,フジロックに行くこともなかっただろうし,音楽ブログを書くこともなかっただろう。
今日,仕事帰りの車中でこのアルバムを久々に通して聴いたが,ここにはロックの持つ抒情性,パンク精神,エバーグリーンの煌めき,全てがある。
「ポップ?激しい?そんなん知るか。俺たちは,オアシスだ。」
リアム・ギャラガーはそんなことは言わないかも知れないが,少なくとも「俺たちはオアシスだ。」という強烈な意思表示が伝わってくる。
この「ドント・ビリーヴ・ザ・トゥルース」は「ロッキング・オン」が選ぶアルバム年間ベスト(2005年)に選ばれた。
そのテキストを書いた粉川しのさんの,最後の一文が痺れる。
そして,新たな黄金の10年の始まりを告げる「ドント・ビリーヴ・ザ・トゥルース」で初めてオアシスと出会ったあなたは、「ディフェニトリー・メイビー」でオアシスに出会ったかつての我々の次に幸せな十代であると信じていいはずだ。
私はまさに,「ドント・ビリーヴ・ザ・トゥルース」でオアシスと出会った世代なのだ(十代ではなかったが)。
だからこそこのアルバムへの思い入れも,ひとしおなのだ。
「新たな黄金の10年」は結局,「オアシス」という形態では実現しなかったけど,ソロになったノエルとリアムは,それぞれ素晴らしいアルバムを世に送り出している。
その出発点となった,この「ドント・ビリーヴ・ザ・トゥルース」がオアシスとの出会いであったことは,誇らしいことだなと思う。
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3 ベック
「Modern Guilt」(2008年)
ベック38歳
さて,最後はベックである。
彼は,当ブログの常連と言ってもいいほど登場回数が多い。
単純に,私が彼の音楽とファッションが好きだからという理由だけど。
このアルバムもまた,私がベックにはまるきっかけをつくってくれた重要な作品だ。
やはり今日,帰りの車中で全曲聴き直してみたが,ポップな曲は一つもない。
普通はキャッチーな,ちょっとアガるような曲が1曲か2曲あってもいいものだけど,このアルバムに関して言えば,そういうチャラついた曲は一つもない。
一曲単位で聴いていくと,地味な曲が多い。
でも不思議と全曲通して聴くと,漂っているような心地よい浮遊感があるのだ。
それでいて,作品全体からは張り詰める緊張感も感じられる。
「はじまり」から「おわり」に向かう物語が,ドラマチックに動いているような。
一曲ずつではなくて,10曲をひとつとして聴いてほしい・・・と提案されているような,そんな一体感を感じるのだ。
一つは,プロデューサーとして起用されたデンジャー・マウスの仕事だろう。
彼の真骨頂は「引くこと」。
無駄を極限までそぎ落とし,残ったもので勝負する。
ベックの場合は,そぎ落としてそぎ落として,最後に残ったのは,聴き手を捉えて離さない「アルバムトータルとして」のポップ感覚だ。
ベックの本質と言えよう。
この作品を出発点として,彼が2010年代に作り上げた二つの傑作が「モーニング・フェイス」と「カラーズ」だった。
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最後に
アーティストに「中年の危機」は存在するのか?
という主題で,3組のアーティストのアラフォー時代の作品について検証した。
結論から言えば,傑作揃いである。
では,アーティストに「中年の危機」はないのか?
これは,「否」であろう。
例えば,オアシスにとっては,2000年前後(ノエル30代前半)が最も人気や評価が下降した時期である。
ベックにとっても,同じ2000年前後の時期はポップに振り切るのか,フォーキーな感じでいくのか,はたまたヒップホップか,方向性を見失いそうになった時期でもあるようだ。
コールド・プレイにしても,前作「ゴースト・ストーリーズ」は商業的に成功したとは言えなかった。
つまり,彼らはアラフォーになる前に十分辛酸をなめてきているのだ。
そこでもがいて,もがいて,ようやく復活の一撃を見舞っているということなのだ。
そう考えれば,勇気が湧いてくる。
アラフォーでキャリアアップに留まらず,新しい自分たちの姿を発見し,さらなる成長の足掛かりにしている。
まだまだ,これからが面白いところだ。