レッド・ツェッペリン,その音楽性とファッション
まだガラケーを使っていた頃,たぶん2008~10年頃だと思う。
当時は「着うた」というのが流行っていて,携帯電話の着信音をお気に入りのアーティストの曲にする者が多かった。
私は電話着信をオアシスの「ヒンドゥ・タイムズ」にしていた。
そして,目覚ましで流れる曲はレッド・ツェッペリンの「聖なる館」であった。
当時は朝4時起きで身支度をし,5時半くらいの始発に乗って出勤していた。
早朝からあの強靭なギター・リフが鳴り響き,目覚めていたのはだいぶ前のような感じがしていたけど,気づけばもう10年以上の歳月が過ぎていた。
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レッド・ツェッペリンの音楽が持っていた革新性
レッド・ツェッペリンは,主に活動していた70年代に出したレコード全てが名盤と言ってもよい評価を受けているが,私が一番愛聴しているのは75年に出た「フィジカル・グラフィティ」である。
この作品で,彼らのもともと持っているヘヴィーさと繊細な芸術性のバランスが,最も高みで噛み合っていたのではないだろうか。
ジミー・ペイジの独特の「間」を生かし切る,ジョン・ポール・ジョーンズとジョン・ボーナムの鉄壁のリズム隊,”第四の楽器”としてバンドの音となることに徹しているロバート・プラントのボーカル。
ツェッペリンの音楽において,”主役”はあくまでジミー・ペイジのギターである。
彼らの曲を想起するときに,真っ先に頭の中に流れてくるのは,ロバートの「声」ではなく,ジミーが奏でるギター・リフではなかろうか。
そういう意味でもレッド・ツェッペリンは,バンド・サウンドの概念を根本から変えた革新的なバンドであったと言ってもよい。
この記事を書きながら,久しぶりに「フィジカル・グラフィティ」を聴いているが,私の陳腐な文章力では表現しきれない,素晴らしい作品だ。
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レッド・ツェッペリンのファッション
今年夏に出た「ロッキング・オン」8月号では「70年代ハードロック伝説」と銘打って,70年代に活躍したハードロックバンドを一挙紹介しているが,「70年代」「ハードロック」というワードが並べば,主役はレッド・ツェッペリンのものであろう。
事実,特集の巻頭ページには,腰に手を当てたロバートの写真が使われていた。
上の写真であるが,長髪に胸毛やヘソを見せるというスタイル。
こんなスタイル,今ではまず考えられないが70年代には同じように前をはだけているミュージシャンは驚くほど多い。
ディープ・パープルも,ジューダス・プリーストも,キッスもクイーンもみんな胸毛を出していた。
でも,60年代はそうでもなかった。
ビートルズも,ストーンズも,60年代はきちんとハイネックのセーターにジャケットを羽織って演奏をしていた。
そうした「既存のロックスター」への反骨心の表れなのか。
ともかく,70年代以降はデヴィッド・ボウイなど,ファッションで自らのアティチュードを表現するアーティストが多く出てきた印象がある。
大きめバックルのベルトに,タイトなジーンズ。
隣のジミー・ペイジもやはり柄シャツの下は裸。
ヒッピームーブメントの名残もあるのだろう。
それでも,彼らの奏でる音楽はともかくクレバーだし深淵だし,そのビジュアルを含めて何か有無を言わさぬ説得力があった。
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2007年,O2アリーナでの一夜限りの再結成ライブ
ドラムスのジョン・ボーナムが1980年に急逝して以降,基本的にはバンド活動を停止しているツェッペリンだが,節目ごとに数回の再結成ライブを行っている。
その中でも,最も評価が高かったのが2007年12月にO2アリーナで行われたアトランティック・レコード創始者,アーメット・アーティガンの追悼チャリティコンサート。
このライブの模様は日本でも大きく報道された。
翌日,朝の報道版組を観ていたら現地入りして再結成ライブを聴いたらしい女優の沢尻エリカが
「ツェペリン,最高~♪」
と軽い調子でリポートしていたのが妙に印象に残っている。
まあしかし,彼女が「最高」と言ったことはもあながち間違いではなかったようだ。
1か月後,ロッキング・オンに詳細なライブレポートを書いた渋谷陽一の記事を読んでも,ジミー・ペイジらがこの再結成ライブに向けて並々ならぬ意気込みをもって準備を重ねてきた様子は伺うことができた。
ちなみにこの再結成ライブにおいて,ボンゾ(ジョン・ボーナム)の代役は息子のジェイソン・ボーナムが務めた。
少し横道にそれるが,以下はこのO2アリーナでのツェッペリン再結成ライブを観た渋谷陽一によるレポート記事の引用だ。
個人的にはこれまで20年近く読んできた渋谷の記事の中でも,最も胸を打つ文章になっていると思う。
ツェッペリンは曲に宿り,ツェッペリンはグルーヴに宿っているのである。それを導き出すのはメンバーだが,あくまで彼ら自身がツェッペリンであろうとする覚悟と準備がない限り,ツェッペリンのマジックは降臨しないのである。そのことに,ようやく彼らは気づいたのである。ジェイソンもそうだ。彼はこのバンドが要求するドラムとは何かを徹底的に考え抜き,そこと向き合った。チューニングも父親と全く同じにしたのではないか。本当に素晴らしいドラミングであったが,痛々しいほどにストイックであった。それはメンバー全員に共通するものである。
NYで観たペイジ・プラントのライブで,ジミー・ペイジはサイド・ギターを弾いていた。そのときも何曲もツェッペリン・ナンバーが演奏されたが,そこにはツェッペリンは存在しなかった。ロバート・プラントのボーカルも,ツェッペリンと向き合っているとは思えなかった。僕は,今回の再結成がその再現になることを,本当に怖れていた。それは,ツェッペリンに対するメンバー自身による裏切りである。
しかし予想は,嬉しい方向にはずれ,ツェッペリンは僕達の前に出現したのである。
特にジミー・ペイジは素晴らしかった。自分がツェッペリンにとって何であるかに自覚的なプレイに徹底していた。
ロバート・プラントも,ジョン・ポール・ジョーンズもそうであった。自分にとってのツェッペリンが問題なのではなく,ツェッペリンにとって自分がなにであるかが問題なのである。
そのことに全員が気づいたとき,本当にツェッペリンは復活したのである。信じられないが,本当にレッド・ツェッペリンは復活したのである。
Text by 渋谷陽一「rockin'on」2008.02
この日のツェッペリンの面々のファッションは,追悼ライブということで,ロバートは黒シャツ,ジミーも黒いジレに白シャツという至って地味なものだった。
「ツェッペリンは曲に宿り,ツェッペリンはグルーヴに宿っている」
彼らと同世代もしくは後進のハードロックバンドの中には,今でも当時と同じように,もしくは当時以上に煌びやかな衣装でステージに上がるバンドも少なくはない。
エアロ・スミス然り,キッス然り,ガンズ然り…。
しかしツェッペリンは,自らを衣装で記号化する必要はない。
本質は,その音に宿っているのだから。
最後に,「フィジカル・グラフティ」から「聖なる館」を。
稲妻のようなギター・リフだ。
いつ聴いても,聴く者に清新な驚きを与えてくれる。