音楽と服

音楽と服について好き勝手に語ります

「縛り」の中でより「自由」に~ジャック・ホワイトの考え方~

私の仕事机の横には、バーのカウンターなどに使われてそうなちょっと高めのスツールが置いてある。

 

そのスツールの高さが、丁度机の高さと同じくらいなのをいいことに、買ってきたCDを積んでいる。

愛用のチボリのオーディオがすぐ横の棚の上に置いてあるので、CDを取り換えやすいのだ。

 

500枚収納のCD棚がもう既に一杯になっているので,新しく買ったCDはひたすらスツールの上に積まれていくことになる。

現在、スツール上には30枚ほどのCDが2列に積まれている。

 

毎朝仕事をするときに,このCDの山の中から聴く音楽を選ぶのだが,ここ数日選ばれているのが,ジャック・ホワイトが今春~夏にかけてリリースした2枚のアルバムだ。

 

sisoa.hatenablog.com

 

ジャック・ホワイトという男は本当に底が知れない男で,これまでリリースしてきた数々の形態(バンド,デュオ,ソロ)において一作も駄作を残していない稀有の存在だ。

 

今年リリースされた2作も,聴き込んで初めて気づく仕掛けが施されており,聴くたびに新たな刺激を受ける。

 

 

ホワイト・ストライプス終焉の作品を回顧する

なぜ私が今回,ジャック・ホワイトのことを話題にしているかというと,現在に至るまでの彼の作品を聴き返す作業を行う中で,非常に興味深い事実と突き当たったからだ。

 

それは,彼の音楽との向き合い方にも通じるのだけど,それを深堀しようと思った経緯は,まず私がは久しぶりに車の中で聴いた「イッキー・サンプ」に衝撃を受けたことから始まる。

Jack White(「rocking on」07.2007)

Meg White(「rocking on」07.2007)

この「イッキー・サンプ」というアルバムは,ザ・ホワイト・ストライプスの6作目にして,最後のオリジナルアルバムでもある。

 

ホワイト・ストライプスというバンド(というかデュオ)は,ギターとドラムスのみという特異な編成で,その部分ばかりがクローズアップされる節がある。

 

今回,久しぶりにこの作品を聴いてみて衝撃だったのは,ジャック・ホワイトという男がこのフォーマットの中でこうも自由に,そして自身を解放して爆発させていた事実に改めて突き当たったからである。

 

ジャックは,この「イッキー・サンプ」のインタビューの中で,曲作りについて興味深いことを語っている。

 

ただ僕としては曲が僕に語り掛けてきたものを,そのまま作っているに過ぎないんだよね。だから,例えば”ブリックリー・ソーン,バット・スウィートリー・ウォーン”なんかは僕が家にあるオルガンで弾いたんだけど,曲がここはバグパイプが必要なんじゃないかと言ってきたからーそう,実は僕はオルガンだと思っていたんだけどー曲のほうがバグパイプだって言うから,そうするまでだっているね。

つまり、僕らは単に生まれてくる曲に雇われている人間でしかなくて,曲が語ったことをやるしかないんだよね。

「rockin'on」07.2007より引用

 

「僕らは単に生まれてくる曲に雇われている人間」と,ジャックは言う。

 

曲の方が最初にあって,それが語り掛けてくるのを形にしていく作業が,自分の仕事であると彼は言っているのだ。

 

実際,ホワイト・ストライプスは「イッキー・サンプ」の前作(ゲット・ビハインド・ミー・サタン」)ではギターを弾かず,木琴をメインに演奏を行うという試みを実践している。

 

彼のこのインタビューを読んでいると,昔ある本で読んだ著名な彫刻家の話を思い出す。

「作品は既にそこにあって,自分は槌でその作品を削り出すだけなんですよ。」

という話だ。

 

それにしても,この時期のジャック・ホワイトの熱量と抒情性の充実は凄まじい。

激しい曲はマグマの如く押し寄せ,静かな曲でさえ感情が洪水のように溢れ出す。

様々な感情が一つの作品に同居しているのだが,不思議とアメリカ南部の牧歌的な空気感を有しているのも「イッキー・サンプ」が持つ特異な要素だ。

 

 

ラカンターズの2作目と地続きになっていた

ホワイト・ストライプスはこの「イッキー・サンプ」で解散してしまうが,この作品と地続きになっていたのが,ジャックの別プロジェクト,ラカンターズの2作目「Consolers Of The Lonely」だ。

Consolers of the Lonely

Consolers of the Lonely

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私が,ジャック・ホワイトの凄まじさに初めて気づいた作品だ。

この前作であるラカンターズの1stもよかったが,2作目となる本作のテンションの高さには圧倒された。

 

私が人生において,一番ロックを聴いていた2008年時点においてもベストと断言してもいいくらい素晴らしい作品だ。

 

しかし,ホワイト・ストライプス最後の作品「イッキー・サンプ」を聴き込んだ後に改めて聴き直してみると,メリハリといいアメリカ南部を思わせる抒情性や牧歌的な空気感は,相通じるものがある。

 

それもそのはずで,この2作品は同時進行で制作されていたのだ。

 

バンドとしての形態は全く異なるが,前述のとおりジャックは「曲に雇われた人間」であるわけで,形態が異なるからと言ってつくる音楽を意図的に変えるような真似はしないだろう。

 

「縛り」のなかでより「自由」になるジャックの考え方

ところで,ジャック・ホワイトはホワイト・ストライプス時代から自らに課しているルールがあって、それは「3」という構成要素で曲作りや活動を行っていくというものだった。

 

「赤・白・黒」

「ボーカル・ギター・ドラムス」

 

様々な決めごとを3つに集約し,その縛りの中で自分たちが表現できる最高到達点を目指すという試みだ。

 

しかし,縛りには囚われ過ぎないというところも重要だ。

 

前述の「イッキー・サンプ」制作時にはその縛りを「若干緩めた」とジャック自身が語っているように,最低限のルールはあるが,時にはそれを緩くすることで,新たな可能性も探ることができるというのだ。

 

曲が語りかけてくるものに耳を傾け,受け取ったものを自らが課したルールの中で最大限に表現する。

 

このような考え方は,何もロックンロール・スターだけでなく,生き方やビジネスにも生かしていけそうな気がする。

 

ジャック・ホワイトの凄さは,ルールを設定しながら,そのルールがあたかも無かったかのような破天荒なサウンドを創り上げるところにある。

 

しかし,出来上がった曲をよく聴き込んだり背景を探ったりしていくと,しっかりと自分たちのルールを意識して(遵守していようが緩めていようが)作られたものであることに気づかされる。

 

要は天才なのだろうけど,その意識の持ち方を知れば知るほど学びがあるなあと思ってしまう。

 

そんなジャックのディスコグラフィーの中から,「イッキー・サンプ」をご紹介。

凄まじいギター・ノイズです。

目覚ましにはもってこいでしょう。

 


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