ロックの「思春期性」が凝縮されたTHE 1975「外国語での言葉遊び」
師走の週末,博多駅は人で溢れ返っていた。
今年の3月までは3年間毎日のように通った駅構内に,足を踏み入れた。
まだ一年経っていないが,ここを通っていた日々が遠い過去のことのように思える。
腕時計を確認すると,17時45分。
時間まではまだ30分ある。
大学の部活の同期と飲む約束をしていた。
外での飲み会は約一年振り。
そして,場所が博多駅横のビルだったので,予め予定より少し早く行き,阪急に入っているタワレコに寄ろうと決めていた。
こういう機会がないと,タワレコに行くこともない。
家の横のイオンに入っているCD屋には,洋楽のCDと言えばイーグルスやストーンズなど所謂「大人のロック」がほとんど。
Amazonでだいたいの物は買えるが,やはり自分の目で作品を見て,視聴して選ぶという体験に勝るものはない。
ということで,短い滞在時間ではあったが,タワレコにてTHE 1975の「外国語での言葉遊び」を購入。
この作品は「ロッキング・オン」が選ぶ2022年年間ベストアルバムにも選出されていた。
ところで,タワレコの袋が少し薄くなっている気がした。
昔はこんなに避けてなかったような。
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早朝5時,二日酔いの脳天を衝く極上メロディー
久しぶりの集合で思い出話からこれからの話まで四方山話は尽きず,結局終電近く,日付が変わる頃に帰宅。
シャワーを浴びたあと,いつもは3時にセットするアラームを5時にセットして就寝。
翌朝,予定通り5時に起きる。
頭が少し痛むが,二日酔いだろう。
寝ぼけ眼で米をとぎ,炊飯器にセットする。
昨日のバッグに入れていたタワレコの袋から買ってきたCDを取り出し,仕事部屋にあるチボリのオーディオにセットする。
二曲目の「Happiness」があまりにキャッチーで,親密で,まさに私が好きな「UKのメランコリックなバンド」ど真ん中路線だったので,思わず仕事の手を止めて
「なんだよこれすげーな。」
と呟いていた。
曲の後半鳴り響くサックスの音色は,高らかにアルバムの始まりを告げる。
デヴィッド・ボウイが自身のラストアルバムで,サックスを終末的雰囲気に生かしたことは全く逆の方法論。
続く三曲目,「Looking For Somebody」はまさしく80年代ネオアコの現代版。
わかりやすいダンスサウンドを疾走感たっぷりに聴かせる。
これは久しぶりに出会った,直球どストライクの作品だ。
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イギリスの伝統的なバンドへのリスペクトが根底にあった
83年生まれの私には,物心がつくかつかないかの頃にラジオから流れてきていた,ひたすらに明るい80年代ポップソングのリズムが染み付いていて,たまにこういう曲(「H appiness」のような)聴くと無性に懐かしさを覚える。
私はTHE 1975というバンドのアルバムを初めて聴いたのだけど,彼らは「外国語での言葉遊び」(今作)「仮定形に関する注釈」(前作)という邦題が示すように,社会に対してシニカルなメッセージを内包された作品を提示し続けているイメージが強い。
ただ,その音楽に初めて触れて思うのは,彼らがザ・スミスやスタイル・カウンシルなどイギリスの伝説的なバンドに対して敬意をもち,自らの音楽的ルーツを自分たちなりに解釈し,咀嚼した上で「自分の言葉」で語っているという点だ。
ここで重要なのは「解釈し,咀嚼した上で」という点。
ただ雰囲気を真似ただけでは単なるギミックとなってしまい,そこには空虚な音しか生まれない。
THE 1975のフロントマン,マシュー・ヒーリーは冒頭のバンド名を冠した曲「THE 1975」で,自らのキャリアを自虐的に振り返っている。
自分の20代が情けない 仕事のコツを覚えながら
考えるより先に口に出してしまいがちだった
"ポストモダンなレンズを通して僕らは人生を経験している"
ああ,はっきり言おう!!調子の悪さを美学に仕立て上げ
ファンが乗り気な間に自分の売れると思う部分を利用し尽くしているんだよ
アーティストとしてのエゴをこれでもかというくらい真っ正直に歌詞にしていて痛々しくもある。
不器用だが,非常に真摯だ。
こういうバンドは信用に足る。
この「外国語での言葉遊び」は5作目ということ。
過去のディスコグラフィーを遡って聴いてみるだけの価値は大いにある。
ということで,最後に紹介するのは「Happiness」。
ロックのもつ「思春期性」をたっぷりと詰め込んだ,ポップソングの極地です。