音楽と服

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元祖「UKのメランコリックで内省的なバンド」ザ・スミスが起こした革命

年末にThe1975についての記事を書いた。

 

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彼らは2013年にデビューしたバンドだが,デビューアルバムを出した後,2作目を出すまでのタイミングでロッキング・オンのインタビューを受けていたので,その記事を読んでいた。

 

すると,彼らがルーツとする音楽が,マイケル・ジャクソンフィル・コリンズなど80年代アーティストを中心とするとの記述があった。

 

The1975の音楽を初めて聴いた時の第一印象が,UKのバンドらしいUKのバンドだなということ。

私が思う「UKらしさ」とは,「メランコリックで内省的な」要素を持っていると言うことだが,The1975はそのど真ん中を行くような雰囲気を感じ取ったのだ。

 

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この「メランコリックで内省的な」雰囲気というのは,2000年代に本格的に洋楽ロックを聴き始めた私にとっては,90年代のブラーザ・ヴァーブなどのブリット・ポップ期やそれ以前のラーズなどに代表されるようなUKバンドのように,知的で少しウィットがあって,ロンドンの曇り空(行ったことないけど)のような憂鬱さを醸し出しているようなイメージなのだ。

 

それで,80年代と言えば,そのような「UKのメランコリックで内省的な」バンドの原型が生み出された時代で,その代表格がザ・スミスではないかと思うのだ。

 

ザ・スミスは1982年にイギリスはマンチェスターで結成されたバンドで,ボーカルのモリッシーが書く詞とギターのジョニー・マーの作るメロディは,オアシスなど多くの後進のロックンロール・バンドに影響を与えたとされる。

 

スミスというバンドの革新性について触れたライナー・ノーツには以下のような記述があった。

 

こうして見ると明らかなことがある。それはスミスが救済しようとする弱者とは主に「男性原理的闘争における敗者」を指しているということだ。(中略)

何故ならそれまでのロックが仮に少数派という意味での弱者を解放してきたとしても,その方法は無神経な闘争原理に根ざしている場合がほとんどだったからだ。彼らは有無を言わさぬパワーと自信によってそれを勝ち取ってきたのだった。

しかしスミスはどうだろう。押しつけがましさのまるでないもの悲しいアコースティック・ギター,男性としての自信のかけらも見られぬ酔狂なオカマのごときダンス,そしてステージにばらまかれた数多くの花。あらゆるマッチョイズムは周到に回避され,およそポップ・スターらしからぬ”女の腐ったような”方法ばかりが採用された。そうして「弱者」は闘争によって「強者」へとチェンジすることなく,「弱者」のままで光り輝くという奇跡を成し遂げたのだ。

「ザ・クイーン・イズ・デッド」ライナー・ノーツより引用

 

ちょっと時代錯誤な表現も交じってはいるが,要するに「男らしさなんて知るか!」と歌ったのがモリッシーなのである。

 

今ではむしろ性差のことで,決めつけや人格否定をすることがタブー視されるのは当たり前の時代になってきたのだけど,当時(80年代)はまだまだ差別が残っていた。

 

だから,ザ・スミスのそのような在り方については支持する声も上がった一方で,受け入れがたいとする立場も一定数存在したし,当時は結構物議を醸したようだ。

 

まあ,アルバムのタイトル(「ザ・クイーン・イズ・デッド」=「女王は死んだ」)自体もかなりセンセーショナルなので無理もないだろう。

 

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この80年代半ば頃という時代は,ムーブメント自体が「パンク以後」という状況だった。

 

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パンクというムーブメントは,労働者階級という,所謂「社会的弱者」の側に立ったものではあったものの,社会的地位は低くとも,「雄々しさ」や「逞しさ」「反骨精神」などをもった者がヒーローになるという図式はあったのだろうと想像できる。

 

モリッシーが書く詞には,社会に受け入れられず不満を持つ情けない主人公の心情がリアルに描き出されている。

 

そのピュアで繊細な内面は,ジョニー・マーが紡ぎ出す流麗なメロディに乗ることで,まるで魔法がかかったようにクリアになるのだ。

 

心に茨を持つ少年

その嫌悪の影には愛に飢えた心が隠れている

すさまじいまでに愛を渇望する心が

僕の目を深くのぞき込むのに

どうしてみんな信じてくれないんだろう?

僕のことを

僕の言葉を耳にしながら

どうしてみんな信じてくれないんだろう?

 

ザ・スミス「心に茨を持つ少年」

 

久しぶりにこの「心に茨を持つ少年」を聴いてみて,震えるほど感動してしまった。

この曲だけでない。

「ザ・クイーン・イズ・デッド」というアルバム全編が,瑞々しいほどの輝きを放っている。

 

是非一度は手に取って聴いて頂きたい名盤だ。

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ところで,ザ・スミスのファッションについては,あまり語られることがない。

 

それは,同時代のスタイル・カウンシルほどに洗練されているわけではないし,性的マイノリティとしてポップな曲とルックスで人気を博したカルチャー・クラブのように奇抜な衣装を着ていたわけでもないからだ。

 

しかし,冒頭で紹介したように「普通の」格好をしていたザ・スミスの面々にはむしろ親近感を覚える。

 

彼らは別にダサかったわけではない。

現代のファッション感覚から見ても,「普通の」お洒落さんである。

地に足が着いた感じがする。

 

そして,実はそれが重要だったのではないだろうか。

「普通の」格好をしていても,情けない男のままでも,革命は起こせる。

 

モリッシーの,スミスのファッションはそんなアティチュードを伝えているようだ。

 

モリッシーは80年代半ばの「ロッキング・オン」のインタビューに,次のように答えている。

 

「我々は,ファッショナブルじゃないからね。実際ファッションって何なのか分からない。単純な理屈さー僕らが出てくる前には,誰もこんなふうに感情を露骨に表現する者はいなかった。上着を引き裂いて,誰かの頭の上に飛び乗ろうなんてことは,誰にもできなかったのさ。そして今しばらくは,まだまだこうしたナマの心情表現が必要とされると僕は思うよ。」

「rockin'on」11.1985

 

このような知性が垣間見えるから,私は彼らの音楽が好きだ。

 

だからこそ,UKの「メランコリックで内省的な」バンドの元祖と呼びたいのである。

 

最後に名曲「心に茨を持つ少年」をご紹介。

 


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