"生命維持装置"が生み出した最高傑作〜レッチリの前ギタリスト,ジョシュ・クリングホッファーに捧ぐ〜
レッチリの今年二枚目の新作は,各所で絶賛されているようだ。
ギタリスト,ジョン・フルシアンテ復帰後の2作目とあって,試運転を終えた「最高形」の四人は本格的にアクセルを踏み,結成40年にして絶好調モードに突入している。
一方,ジョン復帰の裏では,彼の不在時にバンドを支えたギタリスト,ジョシュ・クリングホッファーの脱退という「痛み」もあった。
今月の「ロッキング・オン」では,ジョシュに「別れ」を切り出す際の一部始終が描かれたいた。
フリーがメールでジョシュを自宅に呼び出し,裏庭に集まっていたアンソニー,チャド,フリー,そしてジョンが出迎え,ジョシュに対し「お前にバンドを出てもらわなければならない」と伝えられたのだという。
この時の心境をジョシュは,
「まさしく死の宣告って感じだったよ。」
と回顧している。
しかし,現場に居合わせたドラマーのチャドは,この時のジョシュの漢気を称賛している。
「あいつ(ジョシュ)は俺たちに向き直って,『それは良かった,やっぱりあんたたちは一緒にやるべきだよな。心から祝福するよ』って言ってくれたんだ。あの潔さは天晴だったね。」
ジョン・フルシアンテを交えてのレッチリ"再始動"が大きく報道されるほど,私は,10年バンドを支え続け,志半ばで去らなければならなかったジョシュのことを思い出してしまう。
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ジョシュ・クリングホッファーが,脱退したジョン・フルシアンテの後任ギタリストとして発表されたのは2010年のことだった。
ほかのメンバーとは10歳以上の年齢差があった。
ベースのフリーは,ジョシュがバンドに加入したばかりの頃の戸惑いを2011年のインタビューで,正直に吐露している。
「ジョンとチャドと俺はがっちり噛み合ってて,あの相性の良さは否定できない。ジョシュはそれとは全く違う。やつは空気のような,雰囲気重視のプレイで,外をフワフワと漂っているような感じなんだ。だから『おい!いつになったらおなじみのあれをやってくれるんだ?』って待ってても,いつまで経っても何も起こらない。だから意識して,『まあまあ,落ち着けよ』って,自分をなだめるしかなかったね。
「ロッキング・オン」2011.10
フリー自身,いなくなって改めて,ジョン・フルシアンテとの相関性を再確認せざるを得なかったのだろう。
そして,新メンバーであるジョシュと,うまくやっていくための道を探ることになる。
ジョシュは,この時のインタビューでは謙虚に自身の立ち位置を確認しつつ,心境を明かしている。
「(ジョンの)代わりを務めるなんて,考えるのさえ無理だった。だからみんなと,今までと違う,新しいことをやろうと心に決めるしかなかったよ」
「ロッキング・オン」2011.10
「新しいこと」とジョシュは語っていたが,その言葉は加入から5年を経て実現する。
通算11枚目,ジョシュが参加後2枚目のスタジオアルバム「ザ・ゲッタウェイ」のリリース。
このアルバム制作にあたり,ジョシュはプロデューサーにデンジャー・マウスを起用することをメンバーに持ちかけ,説得した。
さらにミキシングはナイジェル・ゴドリッチに依頼した。
デンジャー・マウスはゴリラズやベックらのプロデュースで,ナイジェル・ゴドリッチはレディオヘッドのプロデュースで知られる,所謂「時代の音」を創り出す名手。
「新しい血」を入れた新生レッチリの11枚目は,夏フェスシーズンを間近に控えた2016年6月にリリースされた。
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苗場スキー場へと向かうシャトルバスの中で,私がiPhoneのイヤホンからずっと聴き続けていたのが,レッチリの「ザ・ゲッタウェイ」だった。
この年,レッチリはフジロック三日目のヘッドライナーとして出演が予定されていた。
思えば,この年のフジロックの移動中(飛行機〜新幹線〜シャトルバス)はずっとこの「ザ・ゲッタウェイ」を聴いていた。
通常,フジロックに参戦する年は私は必ずヘッドライナークラスや観に行くと決めたアーティストに関しては,CDを買って「予習」することにしている。
だからこの年も,ディスクロージャーやバトルズなどの新作を事前に聴き込み「予習」していた。
しかし,レッチリの「ザ・ゲッタウェイ」に関しては,「予習」としてではなく,もっとシンプルな理由で聴き続けていた。
素晴らしいアルバムだったのだ。
「レッチリが素晴らしいなんて当たり前じゃないか。」
という声が聞こえてきそうだが,違うのだ。
本当に素晴らしくて,繰り返し聴かずにはいられなかったのである。
レッチリというバンドは,途轍もなくエキサイティングなバンドだ。
ボーカルであるアンソニーの変幻自在のラップ,情感たっぷりの言葉に,フリーの無骨でアイデア溢れるベースプレイに,それをがっしりと支えるチャドのドラミング。
これがぴたりとはまった時の気持ちよさは他のバンドでは絶対味わえないカタルシスをもたらしてくれる。
しかし一方で,アルバムとなると曲数が多いこともあり,やや冗長になってだれてしまう面があるのも否定できない。
「バイ・ザ・ウェイ」(2002年)は確かに名盤で日本でも売れに売れたが,中盤を占めるファンク調の曲群がややくどく,もう少し曲数を絞れば最高にいかしたアルバムなのに,と個人的には思うところもあった。
そのような「課題」も,この「ザ・ゲッタウェイ」では完全に払拭されている。
軸は切なささえ感じさせる,表現力を増したアンソニーのボーカルと,フックの効いたファンキーなフリーのベースだ。
彼らの魅力が,タイトなアレンジに凝縮されている。
緩急とバランスを意識した構成が素晴らしい。
これも,バンドが築き上げた技と積み上げてきたコミュニケーションの賜物だろう。
このアルバムでは,黒子に徹したジョシュの渋いギターとコーラスワークも光る。
何より,デンジャーマウスらをプロデューサーに起用することを持ちかけ,バンドを新しい方向へ導こうとした功績は,こうした演奏面以上と言っていいだろう。
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ジョン・フルシアンテが復帰した今,彼の不在をつないだジョシュ・クリングホッファーの役割は"生命維持装置"と表現されているようだ。
確かにバンドの命を繋いだ役割としては大きかったのかも知れない。
だけど,彼にはもっと大きな功績がある。
2022年現在,私にはレッド・ホット・チリ・ペッパーズ最高傑作と断言できる一枚のアルバムがある。
そのアルバムの名は,「ザ・ゲッタウェイ」だ。
ギタリストの名は,ジョシュ・クリングホッファー。
彼は歴史をつくった。
ジョン・フルシアンテでは成し得なかったことを,彼は間違いなくそのバンドで成し遂げた。
彼が在籍していた10年の間に,レッチリのサウンドは間違いなくモダンになり,新たなファン層を獲得したことは想像に難くない。
まだ若い彼のこれからのキャリアが,光り輝くものになることを,願ってやまない。