音楽と服

音楽と服について好き勝手に語ります

表現することの意味について考えた〜あるハルキストの戯言2〜

 昨年の秋だったか。

村上春樹の文体と音楽についての簡単な考察記事を書いたことがある。

sisoa.hatenablog.com


 最近,よく購読させていただいてるブロガーさんがサブブログを立ち上げられたり,毎日更新を悩んでいたり,という記事を目にして,ここ数日

「自分はなぜブログで記事を書いてるのだろう?」

という根本的な問いについて,ぼんやり考えている。


これまでのいくつかの記事で書いてきたが,私は連続更新100を目前にしていたブログを閉鎖した後,数ヶ月後に再び趣味に特化した当ブログを立ち上げた「出戻り組」である。

なぜ戻ってきたのかというと,一番にはこんなふうに自分が普段からふつふつと考えていることを形にして残しておきたかったからだ。

表現欲求に抗えなかったと言い換えることもできる。


そこでふいに思い出したのが,村上春樹のエッセイだ。


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村上春樹といえば小説なのだけど,実はエッセイも面白くて,私みたいな理屈っぽい人間にもすんなり入ってくる。

キャッチーな文体なのだけど,実は結構深いことを伝えようとしてくれているというか。

村上さんのところ」は,「村上ラジオ」というラジオ番組の企画で,村上さんに質問してみよう!という趣旨でインターネット上で期間限定で募集されたもの。


村上氏は一つ一つのメールに目を通し,返信をしたらしい。


平気で万を超えるメールが来たそうだ。

想像を絶する。


その中から厳選された数百の質問と,村上氏による回答が載っているのが上記「村上さんのところ」である。


この質問の中に,

「小説なんて読んでも意味がない。ビジネス書を読んでいたほうがよほどためになると思うがどうか?」

という意味の,小説家に対してするにはいささか挑戦的なものがあった。


この質問に対して,村上氏は以下のように答えていた。

でも僕は思うんですが,小説の優れた点は,読んでいるうちに,「嘘を検証する能力」が身についていくることです。小説というのはもともとが嘘の集積みたいなものですから,長いあいだ小説を読んでいると,何が実のない嘘で,何が実のある嘘であるかを見分ける能力が自然と身についてきます。これはなかなか役に立ちます。実のある嘘には,目に見える真実以上の真実が含まれていますから。

引用:「村上さんのところ」 新潮文庫 村上春樹


「実のある嘘には,目に見える真実以上の真実が含まれている」

と村上氏は表現する。


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実は,彼は似たような表現で同じようなことを何年も前から書いている。


村上氏は1995年に起きた地下鉄サリン事件に関しての著書を2冊出している。

一冊は,事件の被害者へのインタビューを中心にした「アンダーグラウンド」。

もう一冊は,事件の加害者へのインタビューを中心にした「約束された場所で」だ。


内容はそれぞれ本人たちへの承諾を得た上で出版されており,事件に関わった人々の生々しい体験であったり,思いに触れることができる貴重な資料になっている。


この2冊のうち加害者へのインタビュー中心にまとめられた「約束された場所で」の中で,村上氏が繰り返し述べていたのが,「よき物語を広めていくことの大切さ」だ。


事件の加害者になったオウム真理教関係者の人々は,非常に有能な人が多かった。

幼少期から理数系の勉強がよくでき,有名大学の出身者も多かったそうだ。

しかし一方で,事件の首謀者である松本死刑囚の創り出した「悪しき物語」に取り込まれてしまい,実行犯になり果ててしまった。


村上氏が言うに,日本には昔から語り継がれてきた民話や昔話がある。

時代の洗礼を浴び続け,生き残ってきたそれらは何かしらの教訓を私たちに与えてくれる「よき物語」が多いのだと。


そのような「よき物語」は,これまでも誰もが空で言えるくらい語り継がれ,大切に読み継がれてきたものだ。


しかし昨今は,情報過多になり過ぎた影響か,そうした「よき物語」の教訓が見過ごされがちだ。 


小説や物語は,実効性には薄いものだと思われがちだが,私たちは自分が直面する現実を目の前にして,それが「よき物語」なのか「悪しき物語」なのか,見極める眼を持つことが大切だ。


そのために,様々な作品に触れることも大切だ・・・と。


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ここで,冒頭の

実のある嘘には,目に見える真実以上の真実が含まれている。」

という言葉を思い出す。


小説は「実のある嘘である」という定義を前提とするなら,最近私が最もそこに「真実を見た」と感じた作品は,遠藤周作の「沈黙」だ。


この作品が,どの程度史実に基づいて書かれているかははっきり分からないが,迫害を受ける宣教師の苦悩と葛藤が迫ってくるような緊張感とリアリティがあり,それでいて文体は非常に読みやすいものになっており,あっという間に読んでしまった。


私の拙い文章で,その文体のもつ磁力のようなものを伝え切ることは到底できないが,この小説は何かしらの真実を伝えていると感じたのだ。


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同じようなことは音楽についてもいえるのではないか。


例えば,私は竹原ピストルという歌手について詳しいことはほとんど知らない。


だけど,彼がいつかのMステで歌っていた「アメイジング・グレース」という曲を忘れることはできない。


「たとえ刺し違えようとも

 あなたを蝕む癌細胞をぶっ殺してやりたい」


ギター一本で泥臭く歌い上げた彼の姿を見て,

「これが本当の歌だ。」

と思った。


実際に呟いてもいたと思う。


それは,他でもない彼自身が絶対に伝えたい言葉だったからだ。

本当に伝えたい言葉が歌になった時,それは聴くものの心を容赦なく揺さぶるのだ。


それこそが,本当の歌なのだと思った。


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「よき物語」を見極める眼を持つために, 様々な文学作品,音楽に触れることも大切だろう。


そして,できれば私自身も「よき物語」を綴ることができる書き手でありたいなと思う。


竹原ピストル凄いな,と思う。


村上春樹の小説に関しては最近メタファーに富み過ぎていて,その作品のどこに「よき物語」的要素を見つければいいのか,最早読者との謎解き合戦になってる感もあるが,相変わらず新作が楽しみな作家です。


長々と書いてしまいました。

最後まで読んでいただきありがとうございます。


最後は口直しに,村上作品によく登場するビートルズ「ラバーソウル」から,「ドライブ・マイ・カー」。


それではまた。

 


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