ナット・キング・コールの「国境の南」
ここに,ナット・キング・コールのベスト盤がある。
ナット・キング・コールは1940〜50年代にかけて活躍した,ポップス歌手だ。
「L-O-V-E」や「MONA LISA」などは日本でもよくテレビCMなどでオンエアされていて,耳にしている方も多いのでないだろうか。
私も,彼の代表的なポップスソングはいくつか知っている曲もあった。
ナット・キング・コールはもともと,ジャズピアニストだったらしい。
ところで,なぜ私がナット・キング・コールのベスト盤を買おうと思ったかと言うと,昔読んだ村上春樹の小説「国境の南,太陽の西」に彼の「国境の南」という曲が出てきていたからだ。
小説に載るくらい有名な曲なら,ベスト盤を買えば入っているだろうと思ってAmazonで購入したが,いざ届いたCDを見てみると収録されていない。
当てが外れはしたものの,まあ仕方ないと思って聴いてみることにしたが,ナット・キング・コールの声はあまりに甘過ぎて,2,3回聴いてそれっきりになっていた。
後日,村上春樹が思い入れのあるジャズ奏者について綴ったエッセイ「ポートレイト・イン・ジャズ」を読んでいると,なんとナット・キング・コールは「国境の南」という曲は歌っていないらしいということが書かれていた。
村上本人も,昔聴いた気になっていて小説に登場させたが,後日指摘されて知ったらしい。
間違いなので直そうとも思ったが,物語の仕掛けにもなっているのでそのままにしていたそうだ。
レコードを探した人がいたらお気の毒,ということだった。
それは私のことだ。
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「国境の南,太陽の西」という小説は,脱サラしてジャズバーを経営する妻子持ちの男が幼馴染と不倫してしまうという話だ。
最近の村上作品と比べると,ファンタジックな要素は希薄だ。
リアルで,結構ドロドロしている。
村上春樹の作品は時折
「エロ小説だ」とか
「不倫を肯定している」とか
批判を受けることがあるようだが,この作品が与えている影響も大きいのではないかと思う。
ところで,ジャズバーを経営する主人公が店に出ている時の着こなしについて詳しく描写している部分がある。
僕はいつもと同じようにスーツを着て,ネクタイをしめていた。アルマーニのネクタイとソプラニ・ウオーモのスーツ,シャツもアルマーニだ。靴はロセッティ。僕はとくに服装に凝るたちではない。必要以上に服に金を費やすのは馬鹿馬鹿しいことだと基本的には考えている。普通に生活している分には,ブルージーンとセーターがあればそれでこと足りる。でも僕には僕なりのささやかな哲学がある。店の経営者というものは,自分の店の客にできればこういう恰好をして来てほしいと望む恰好を自分でもしているべきなのだ。僕がそうすることによって,客の方にも従業員の方にも,それなりの緊張感のようなものが生まれるのだ。だから僕は店に顔を出すときには意識的に高価なスーツを着て,必ずネクタイをしめた。
村上春樹「国境の南,太陽の西」
村上春樹が小説家としてデビューする前,「ピーター・キャット」というジャズバーを経営していたのは有名な話だ。
この小説が実話であるとは思わないが,少なくとも下積み時代の村上自身の経験が散りばめられた作品であることは想像できる(彼自身が不倫していたのではという下衆な話ではなく,彼が昔見ていた景色であったり,想像していたことであったりという「経験」を含めて)。
特に,引用したくだりに書いてある「哲学」については,本当に村上自身の「哲学」ではないかと思うのだ。
「ピーター・キャット」時代の村上がアルマーニのネクタイをしめて,ソプラニ・ウオーモのスーツにロセッティの革靴を履いていたとは思わないが,少なくとも
「自分の店の客にできればこういう恰好をしてきてほしいと望む恰好を自分でもしているべき」
と考えていたことはおそらく間違いない。
こういう「哲学」とか「信条」みたいなところがリアルでないと共感はできないし,ここで嘘をつく小説家は信用できない。
いや,「嘘」や「虚飾」は読んでいてもすぐに見破られる。
村上春樹が書く小説やエッセイは実に率直だ。
だから私は,彼の作品については小説もエッセイも,翻訳も基本的には全面的に肯定することにしている。
一番重要な小説に関しては,最近あまりにメタファーに富み過ぎている感が否めないが。
最後に,ナット・キング・コールのポップス・ソングを久しぶりに聴いてみたけど,冬に暖炉のそばで聴いているような安心感があってなかなか素敵だった。
確かに,部屋で女の子を口説くにはもってこいのBGMなのかも。
そんな格好いいことしたことないし,しませんが。
クリスマス・シーズンにはぴったりですね。