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失われた一日~「ポートレイト・イン・ジャズ」とコルトレーン~

どんな人生にも「失われた一日」がある。「これを境に自分の中で何かが変わってしまうことだろう。そしてたぶん,もう二度ともとの自分には戻れないだろう」と心に感じる日のことだ。

  「マイルズ・デイヴィス」の章より引用 「ポートレイト・イン・ジャズ」

 

先日の記事で「ジャズはイヤホンでは聴かない」と書いておきながら,その3日後には初めてジャズナンバーをiPhoneに入れて,ぬけぬけと通勤中にイヤホンから聴いている私である。

 

理由は単純。

「ポートレイト・イン・ジャズ」を読んでいるからだ。

 

この本は,和田誠が描いたジャズミュージシャンのイラストに,村上春樹がちょっとした文章を加えたようなエッセイ形式の本だ。

 

この本を電車の中でめくりながら,イヤホンを通して流れてくるのははローリング・ストーンズ…。

なんか違うんじゃないかと思った。

 

やはり読む本によって,ふさわしい曲とそうでない曲がある。

少なくとも,「ポートレイト・イン・ジャズ」とミック・ジャガーの声は相性がいいとは言えない。

 この本は,ただのジャズミュージシャンの紹介本ではなく,そこは和田誠村上春樹のコンビな訳で,人生において何かしらかの教訓を授けてくれる。

 

 上の引用文もそう。


「失われた一日」

「もとの自分には戻れない」


言葉では説明しづらいが,どんな物事においても

「これ,いいな。」

という感覚と

「これだ。」

という感覚は似ているようで,実は天と地ほどの開きがあるように思う。


「これだ。」

という瞬間は閃きというか,何かが降りてきたようなそんな感覚になる。


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前置きが長くなってしまったが,ジョン・コルトレーンの「マイ・フェイバリット・シングス」だ。

 

 iPhoneにジャズを取り込んだ私は,帰宅時にはこのアルバムをチョイスしていた。

朝は「スタン・ゲッツ・プレイズ」を聴いていたが,いまいち音の輪郭がはっきりしないので,コルトレーンに切り替えたのだ。


このアルバムに関して言えば,コルトレーンはかなり明確な音を出している。


特に3曲目の「サマータイム」。


聴いてると,なんだか意思表明みたいである意味潔いとも思えてくる。


ソロでの自己主張はかなりの迫力だ。

音が矢継ぎ早に出てくる。

これはイヤホンで聴いてるからだろうか?

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まさに無双

イメージは上のような感じです。

ともかく手数が多いのだが,一つ一つの音はくっきりしていて(録音技術が優れているのだろうか),聴いていてもすこぶる気持ちがいい。 

 

そんなコルトレーンの,長いソロがやがて一息つく。


私はちょうどそのタイミングで,マンションの階段を昇っていた。

運動時間を確保するために,通勤時と帰宅時は10階の我が家まで階段を使って移動しているのだ。


6階と7階の間の踊り場あたりで,ソロが途切れ,一瞬の静謐が耳を包む。

私も静かに息を整え,次の音に意識を向ける。


静かなピアノの音色が聴こえ出す。

3分50秒過ぎだ。

抑制された,インテリジェンスな音色。


ピアノソロは徐々に熱を帯びていき,鍵盤を叩く音が激しさを増していく。

こちらも,コルトレーンのソロに負けない迫力だ。


私はこのカルテットの演奏に,気づいたら聴き入っていた。


まるで目の前でテナーサックスの咆哮が鳴り響き,ピアノの鍵盤を叩く振動まで感じられそうな,そんな感覚。


そしてドラムソロが始まる。

息もつかさぬドラミングだ。

こちらも随分聴かせる。


おいおいどうなってるんだこのカルテットは?

テナーサックスだけじゃない。


ベースもがっちりとリズムを刻む。


やがて,ドラムソロの終わりを告げるとともにすかさず,コルトレーンのサックスが唸りを上げる。


これはたまらない。

聴き応えのあるピアノソロ,ドラムソロだったが,主役は渡さないとばかりにコルトレーンも吹きまくる。


最早無双状態だ。


気づいたらもう家の玄関の前に立っていたが,私はこの演奏が終わるまではドアを開けられないだろうと思った。


最後はカルテットが一体となってリズムを刻む。

テナーサックスの一吹きで,曲は一気にクライマックスを迎えた。


「もう戻れないだろう?」


呆気に取られている私を,嘲笑うかのようなフィニッシュだった。



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イヤホンでジャズを聴くという体験がそうさせているのだろうか。


確かにこれまでは,ジャズはBGMのような感じで何か作業をしながら聴いていたことが多かったけど,しっかり意識を集中して聴いたことはほとんどなかった。


本当に聴こうとはしていなかったのだろう。


本当に聴こうとした時に,聴こえてくる音やその裏側の熱量は確かにあるような気がする。


お仕着せの良さではなく,ジャズの面白さが初めて実感として自分の中に湧いてきた感覚がある。


新しい世界が広がったようだ。


そして,多分もう

「もとの自分には戻れない」。


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ちなみに,「ポートレイト・イン・ジャズ」には,なぜかジョン・コルトレーンは取り上げられていない。


でも,私にはジョン・コルトレーンからジャズに入ることはとても正しいことのように思える。


私が最初にジャズを聴いて

「これ,いいな。」

と思ったのはコルトレーンの「ブルートレイン」だった。


そして

「これだ。」

と思わせてくれたのも,やはりコルトレーンだった。


しばらくはジャズの話題が続くかもしれません。


とりあえず,Amazonで注文しておいたモダン・ジャズ・カルテットのCDが届いてないか,ポストを確認してから帰ろう。


よい週末を!