音楽と服

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「伝統」を学び,真の「オリジナル」に達したマイルズ・デイビス

以前,「ロッキング・オン」の記事で,「ロック・ミュージシャンが好きなジャズのアルバム」みたいな特集があって,一位に選ばれていたのがマイルズ・デイビスの「ビッチェズ・ブリュー」だった。

 

BITCHES BREW

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この「ビッチェズ・ブリュー」というアルバムはモダン・ジャズの巨人であったマイルズ・デイビスが,ロックとジャズを融合させたジャンル(フュージョン)を新たに開拓した記念碑的な作品だ。

 

一般的にみられるような,サックス,トランペット,ピアノ,ドラムス,ウッドベースといったジャズの伝統的な編成に拘らず,ギターサウンドやパーカッションを取り入れた革新的なサウンド

 

主役は勿論マイルズのトランペットだが,複雑なギター・リフとパーカッションが不穏な世界観を醸し出す,全く新しいジャズの世界。

 

ロックとも違う,誰も聴いたことのない新境地を切り拓いている。

 

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ロックとジャズ。

意外な組み合わせに思えるかも知れないが,楽器やアレンジなどでジャズの要素を取り入れているアーティストは結構多い。

 

例えば,ノエル・ギャラガーが2015年にリリースした2ndアルバム「チェイジング・イエスタデイ」の1曲目「リバー・マン」では曲の終盤にサックスが鳴り響き,ノエルが言うところの「スペース・ジャズ」が高らかにアルバムの始まりを告げている。

 

また2016年,デヴィッド・ボウイはラスト・アルバム「ブラック・スター」で大胆にジャズを取り入れた流麗なサウンドで私たちに鮮烈な驚きを残し,この世を去った。

 

これらロックの名盤に見られる「ロック×ジャズ」のアプローチも,マイルズの「ビッチェズ・ブリュー」がなければ存在しなかったかもしれない。

 

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モダン・ジャズとマイルズ・デイビス

私が最初に買ったマイルズ・デイビスのCDは,「サムデイ・マイ・プリンス・ウィル・カム」だった。

 

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このアルバムでマイルズは,「いつか王子様が」などのスタンダード・ナンバーを数曲演奏している。

 

1961年の録音で,一聴して彼のものと分かる儚げなトランペットの音色が伝統的なナンバーに彩りを加えている。

モダン・ジャズ時代のマイルズの作品で、私が一番好きな作品だ。

 

ちなみにこの時のマイルズのコンボには,ジョン・コルトレーンが在籍していた。

 

モダン・ジャズ時代のマイルズ・デイビスは,写真のようにシャツにスラックス,ダブルのスーツといった正装。

 

演奏する曲同様,スタンダードな装いである。

Miles Davis(「Kind Of Blue」(1959年)ブックレットより

私個人的には,このモダン・ジャズ期のマイルズの演奏は,彼の生涯を通じても一番好きなところである。

 

若くて勢いがあるとか言うことではなく,むしろその反対で演奏自体の迫力は後年のほうに軍配が上がり,この時期のマイルズのトランペットは,印象としては繊細で,儚い。

 

加えて,スタンダードなスタイルなので単純にジャズとして聴きやすいという理由もある。

 

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ジャズ・フュージョンとマイルズ・デイビス

 

1969年。

40代を迎えたマイルズは,冒頭に紹介した「ビッチェズ・ブリュー」をリリースした。

 

従来のスタイルからはかけ離れた新しい演奏手法は,古くからのジャズ・ファンから大きな賛否を持って迎えられた。

 

トランペットとエレキギターを組み合わせた新たなサウンドからは,確かに不穏な空気が漂ってくるものの,唯一無二の世界観を有していることもまた間違いない。

 

そして,この時期にはマイルズ本人の装いにも変化が見られる。

Miles Davis(「Biches Brew」(1969年)ブックレットより

それまでの「正装」ではなく,大きなサングラスに派手なレザーのジャケット,ストライプのインナーシャツ,アクセサリー。

 

こんな奔放な格好で演奏するジャズ・マンなんて,歴史上初めてだっただろう。

 

しかし,マイルズ・デイビスははなから伝統を無視していたわけではない。

 

そのキャリアにおいて10年以上,スタンダード・ナンバーをはじめ伝統的な楽曲を,伝統的な奏法や編成で演奏してきた。

そして,モダン・ジャズのカテゴリーにおいて,ナンバー1と呼ばれるまでに実力をつけた。

 

彼はモダン・ジャズの伝統も様式も全て理解していたはずだ。

 

「型」を知らなかったわけではない。

「型」を知っていたからこそ,「型破り」になれたのだ。

 

先日惜しくも亡くなられた,朝日新聞の解説委員を務められていた轡田(くつわだ)隆史さんが,自身の著作の中で次のようなことを述べられている。

 

科学であろうと芸術であろうと,前のものを否定したり肯定したりする中から「オリジナル」が出てくるのである。伝統や先人の足跡なしに突然,天才が文字通りのオリジナルを生み出すということはない。

アメリカの発明王エジソンは,「天才とは1%のインスピレーション(ひらめき)と99%のパースピレーション(汗)である」といっている。「99%の汗」とは,伝統や先人の業績を学んだうえで新しい工夫を凝らす努力をいう。

これをいいかえるならば,「オリジナルとは1%のひらめきと99%の伝統を学ぶ努力である」というようになろうか。

轡田隆史「『考える力』をつける本」三笠書房 より引用

 

「オリジナルとは1%のひらめきと99%の伝統を学ぶ努力」。

 

「日本再興戦略」(2018年)がベストセラーになり,これからの日本社会について独創的な提案を発信し続けているのが,メディアアーティストの落合陽一氏である。

 

まだ30代前半と若い落合氏だが,実は日本の政治史や文化史に深く精通している。

歴史を学び,それを拠り所にしつつも,「デジタルネイティブ」としての強みを生かして未来社会をデザインしているのだ。

 

だからこそ,彼の発想は革新的で,リアルだ。

 

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マイルス・デイビスの「ビッチェズ・ブリュー」は間違いなく「オリジナル」である。

 

それは,マイルズ自身がジャズの伝統を学び続け,自らの血肉としていった結果,生み出された新しいジャズ・・・いや新しい音楽だったからだ。

 

そして,彼が蒔いた種は,現代を代表するロック・アーティストらによって受け継がれ,見事に花開いている。

 


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