ある世界最高のロックンロールバンドのドラマーについての話
先日,久しぶりに子どもたちを連れて地域の図書館へ行ってきた。
我が家の隣には区役所の出張所があり,そこには地域図書館も併設されている。
やや小ぢんまりしているものの, 子ども用の絵本が充実していて,読み聞かせスペースもあるのでたまに利用している。
図書館の入り口から入ってすぐの場所に「館員のおすすめ」というコーナーがあった。
そこで,私の目に飛び込んできたのが「チャーリー・ワッツ論」という本だった。
表紙には,ドラムセットに座る男を後ろから撮った写真が使われている。
その男は,チャーリー・ワッツというザ・ローリング・ストーンズのドラマーで,彼の視線の先にはグループのボーカル,ミック・ジャガーがいる。
チャーリーは昨夏,惜しまれつつこの世を去った。
ザ・ローリング・ストーンズは数十回目かになるツアーを回っているさ中の訃報だった。
予めチャーリーの体調不良によりツアーには代替ドラマーが参加するという発表はされていたものの,衝撃は大きかった。
ストーンズのメンバーだけでなく,ロック界の著名人がこぞって哀悼の意を表明した。
私自身にも,ザ・ローリング・ストーンズを20歳前後で聴きはじめると,5,6年はどっぷりとはまった時期があった。
おもに60年代から70年代のアルバムを買い漁り,一時期「ダイスを転がせ」は私の一番のお気に入りロックン・ロールナンバーだった。
その頃公開された,マーティン・スコセッシ監督によるライブドキュメンタリー映画「シャイン・ア・ライト」も,一人で2回も観に行った。
ザ・ローリング・ストーンズに関しては,バンドの中心であるミック・ジャガーと,ギターのキース・リチャーズについては,わりと多く評論の的にもなるし,関連書籍も多く出ている。
実際,私もミックとキースの自伝本は既に読んでいた。
しかし,チャーリーについて言及した書籍には初めて出会った。
チャーリー・ワッツのバンドへの貢献というのは,ミックとキースが最もよく理解していて,あちこちのメディアにも話をしている。
それでなくても,結成当初からのたった3人のオリジナルのメンバーの一人である(残る二人は言うまでもなく,件のボーカリストとギタリストだ)。
私は今更ながら,チャーリー・ワッツのことをもっと知りたいと思った。
そこで,小学生の長男に頼んで,彼が借りるはずだった9冊のうちの1冊にその本を加えてもらうことにした。
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この本を読み始めてから数ページで,印象的な一節にたどり着いた。
以下,引用する。
これらのことについてはまた別の機会に話そう。今はザ・ローリング・ストーンズが「ロック(貫通=penetration)」の前に必ず「ロール(予兆=anticipation)」するジャズ野郎をバンドに迎え入れるという賢明さを持っていたということだけで十分である。つまりどれだけの音符を演奏できるかということによって自分の力量を測らず,自分の仕事,つまり歌を理解し,バンドを素晴らしく響かせるることを最優先にすることでエゴを抑えるような人間だ。他のドラマーがドラムスと格闘していた一方,チャーリーは手腕を揮うたのだ。彼はいつスイングするべきか,そしていつストンプするべきか分かっていた。チャーリーはドラムソロを演奏しなかったが,技量がなかったからではない。そんなことをする必要などなかったからだ。
マイク・エディソン著 稲葉光俊訳「チャーリー・ワッツ論」
ギターのキースが
「最近のバンドの奴らは,ロックしているかもしれないが,ロールしている奴はいない。」
と話していたことは,過去の記事でも触れたことがある。
ストーンズが生み出す独特のグルーヴは,まさしく「ロール」する様だったのだ。
この一節は,チャーリーのドラマーとしての資質や立ち位置を,非常に的確に言い表している。
チャーリーは決して目立ったプレイはしなかった。
しかし,間違いなくあのグルーヴの源泉は,チャーリーのドラムプレイだった。
ちなみに「ジャズ野郎」とは,チャーリー自身のことだ。
チャーリーはもともとジャズに造詣が深く,サックス奏者でもあったとのこと。
知らなかった。
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そもそも私がザ・ローリング・ストーンズの楽曲に興味を抱いたのは,あるテレビCMがきっかけだった。
それは「ファイナルファンタジー」というゲームのCMで,ゲームキャラのクラウドが剣を2回振りおろすタイミングに合わせて「ジャ、ジャーン!」というご機嫌なギターリフが鳴り響く曲だった。
「なんだこの曲は!?」
と稲妻に打たれた私は,テレビ画面の右下を注視した。
たまにだが,作中歌が表示されることがあるからだ。
期待通り,画面右下にはグループ名と曲名が表示された。
そこには白のゴシック体で小さく,「The Rolling Stones『Jumpin'Jack Flash』」と書かれていた。
私はすぐさま脳内にその曲名をメモして,翌日タワーレコードへと向かった。
そこで出会ったのが,このアルバムである。
「ジャンピン・ジャック・フラッシュ」は一曲目にクレジットされていた。
1972年のライブアルバム「ゲット・ヤー・ヤー・ヤズアウト!」だ。
ちなみに,ジャケットに写っている男性が,チャーリー。
後から知ったが,このライブアルバムは数多く出ているストーンズのライブ盤の中でも,最も評価の高いアルバムらしい。
偶然ではあるが,私はこのアルバムがザ・ローリング・ストーンズとの出会いになって,本当に幸せだったと思う。
今となって振り返ると,このライブ盤には,彼らの本質がしっかりと詰まっていたと思うからだ。
このアルバムの6曲目に,「Sympathy for the Devil」という曲が収録されている。
邦題「悪魔を憐れむ歌」と言えばご存知の方も多いだろう。
しかし私は,オリジナルのスタジオ録音盤よりも,こちらのライブ音源のほうが遥かに好きだ。
曲の冒頭,「ペインテッド・ブラック!」と叫ぶ女性の声が入っている。
初期のヒット曲「黒く塗れ」を期待するファンの声だろうか。
しかし,おもむろに流れ出したのは,くぐもるようなギター・ノイズ。
少しタイミングをずらして入ってくるのは,まるで機械のようなチャーリーのドラムだ。
昨夜,久しぶりにこの曲「Sympathy for the Devil」を聴いてみた。
以前聴いていた時には,唸るような彼らのグルーヴを生み出しているのは,リードギターだと思っていた。
おそらくミック・テイラーの演奏と思われるそのギター・プレイは,まるで黒い波のように重くのしかかってくるようだ。その波が生み出すのが,彼らの「グルーヴ」だと想像していたのだ。
しかし,それをザ・ローリング・ストーンズの「グルーヴ」たらしめているのは,実は巧みなキースのリズム・ギターと精緻さを極めたチャーリーのドラミングだった。
ミックのボーカルも,放蕩をきめているようで,実はしっかりとドラムに合わせてリズムを取っている。
この「Sympathy for the Devil」の,地の底で蠢いているような,それでいて一度聴いたら忘れられない印象的なサウンドを,がっちりと支えていたのがチャーリー・ワッツだったのだ。
若い頃,アルバム「ゲット・ヤー・ヤー・ヤズアウト!」を聴いていて,「Sympathy for the Devil」が始まり,あのくぐもるようなイントロが流れてくると,いつも言葉では言い表せない感情に包まれていた。
「切なさ」と言ってしまえば陳腐になる。
胸をしめつけられるような,そんな感情。
それでも,この曲を聴きながら曇り空を見上げるのは好きだった。
青空ではいけない。
絶対に曇り空なのだ。
それはもう,絶対に。
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今年,ザ・ローリング・ストーンズは結成60周年を迎えた。
既に存命のオリジナルメンバーは,ミック・ジャガーとキース・リチャーズだけになっている。
ザ・ビートルズも存命中のオリジナルメンバーは,ポール・マッカートニーとリンゴ・スターの二人だ。
ジョンが亡くなった時も,ジョージが亡くなった時にもビートルズはすでにこの世にはなかった。
しかし,オリジナルメンバーがたった二人になった今日も,ザ・ローリング・ストーンズは転がり続けている。
チャーリー・ワッツは既にこの世にない。
でも,世界最高のロックンロール・バンドの唯一無比のグルーヴを生み出し続けたのが,無口で,勤勉で,目立つことは好まない実直な男だったことは覚えておきたい。
本をとじて,ベランダの先に広がる空を見上げてみる。
やっぱりというか,どんよりとした曇り空が広がっていた。