音楽と服

音楽と服について好き勝手に語ります

ジャズとコーヒーと伯父

先週の土曜日は体調を崩して一日寝込んでいた。

 

本当は土曜日にブログ更新をしたかったが,できなかったのはそのせいだ。

 

一日寝ていたら,何とか日曜の朝には普段通り元気になって,ルーティン通り2時過ぎに起きて仕事をすることができた。

 

早朝に熱いコーヒーをわかして飲むのも二日ぶり。

体調を崩していたらコーヒーを飲みたいとも思わない。

 

日曜の朝のコーヒーは格別だ。

経口補水液やゼリーしか受け付けなかった,五臓六腑に染み渡る。


BGMは何にしようか考えて,ソニー・ロリンズの「サキソフォン・コロッサス」にした。

このロリンズのアルバムの1曲目「セント・トーマス」では,軽快に跳ねるようなロリンズのサックスのリズムがとても心地いい。

2分40秒過ぎから入ってくる,マックス・ローチの息もつかさぬスリリングなドラムソロも必聴だ。

 

なぜだろう,ジャズという音楽はイヤフォンで聴こうとは思わない。

カーステでかけても眠くなるので,車の中ではかけない。

だから,私がジャズを聴くときは自分の部屋で愛用のチボリのオーディオを通してからだけだ。

 

誰も起きてこない休日の早朝,コーヒーを飲みながら,もしくは本を読みながらジャズを聴くのは,ある意味とても贅沢な時間あると言える。


まあ,朝6時を過ぎて子どもたちが起きて来れば,そこからは自分の時間は1秒もなくなるのだけど。

 


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それにしても,なぜこの日に限ってジャズを聴きたくなったのだろう。


ソニー・ロリンズのアルバムを聴き終わり,次のCDを探す。

その中から,マイルズ・デイビスのアルバムを選んで,オーディオにセットする。

そういえば,初めて買ったジャズのアルバムもマイルズ・デイビスだった。

 

sisoa.hatenablog.com

 

ジャズを聴き始めた20代半ばの頃,東京に住んでいた伯父が湯河原に新居を建てて,引っ越した際にその新居に招かれたことがある。

 

そこで私は二つ違いの従兄と一緒に,湯河原の伯父の家まで出かけて行った。

 

到着した私たちを伯父夫婦は駅まで迎えてくれて,そのまま漁港の近くにある小さな居酒屋で乾杯した。

 

伯父の生い立ちは複雑だった。

祖父の連れ子で,私の父とは腹違いだ。

そのせいか,高卒で実家を離れて,東京で生活を始めたそうだ。

 

腹違いであっても,末の弟だった父のことをよく可愛がってくれたそうだ。

おかげでその息子である私のことも目にかけてくれていた。

 

そんな伯父が定年を前にしてようやく建てることができたマイホーム。

 

新居は,漁港を見下ろす小さな山の中腹にあった。

広々とした庭には芝生が一面にはられ,風呂場からは海が見渡せた。

 

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風呂上がりにリビングでコーヒーを淹れてもらい,従兄といただいている時に,伯父がオーディオにCDを入れた。

 

流れ出したのが,ジャズナンバーだった。

 

「ジャズやね。」

熱いコーヒーに口をつけながら私が呟くと,伯父は得意そうに

 

「誰の演奏だと思う?」

と訊き返してきた。

 

そう言われても,ジャズを聴き始めたばかりの若造が演奏者の名前をそんなに知っているわけもなく。

隣の従兄は私よりも2つ上だったが,首を傾げている。

 

私もしばらく耳をすませていると,儚げなトランペットの音色には聴き覚えがあった。

ひょっとして…。

 

マイルス・デイビス?」 

 

と聞いてみると

 

「正解!」

 

との答えが返ってきた。

 

 

「ジャズってよくわからんよねー。」

 

と私が言うと,伯父も

 

「俺だってそんなのよくわかんねえよ。」

 

と髭面を震わせながら笑った。

 

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伯父はその5年後,私が結婚した年に逝ってしまった。

まだ60代半ばだった。

 

亡くなる前の年,珍しく湯河原から九州に出てきたので,私の父と湯河原に一緒に行った従兄と一緒に天神で飲んだことがある。

 

数日後が誕生日と知っていたので,洒落者だった伯父に,こっそりプレゼントを買っておいた。

 

TOMORROWLANDカフスボタン

 

決して安くはなかったが,受け取った伯父はネクタイを頭に巻きながら

「これ付けて俺にパーティーに行けってのか?」

と,満更でもなさそうだった。

 

私が結婚すると知らせた時には既に病気が分かっていたが,何とか式には出席したいと治療を頑張ってくれていた。

しかし式を1週間前に控えた日,体調が戻らず出席できないと連絡があった。

 

伯父の訃報を聞いたのは式の約3週間後。2月末のことだった。

 

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マイルズの曲を聴くと,今でも伯父と伯母と従兄と四人でコーヒーを飲んだ夜のリビングを思い出す。

 

60前の伯父が「わかんねえ」と言っていたジャズのよさを,まだ40にもなっていない私が分かるはずもないが,今でも思い出したようにCDを取り出しては,伯父のことも一緒に思い出している。

 


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あとで思い出したが,ふと思い立ってジャズを聴いた日曜日。

あの日は,確か伯父が亡くなって9回目の命日だった。

 

「たまには俺のこと思い出せよ,おい。」

 

と伯父が,例の髭面を震わせながら笑っていた気がしてならない。