パンク・ファッション先駆者は,かく語りき
私が,初めて洋楽のロックで夢中になったのはグリーンデイだった。
シングル「マイノリティ」のキャッチーさに心を奪われ,高三の時にはライブにも足を運んだ。
グリーンデイの面々は,チェックのジャケットやライダース・ジャケットなど,所謂パンク・ファッションに身を包んでいる。
この「パンク・ファッション」というのは,1970年代末期にイギリスで勃興したパンク・ムーヴメントに端を発する。
そのムーヴメントの仕掛け人とされる音楽マネージャー,マルコム・マクラーレンは,パンクの原型となるニューヨーク・ドールズの活躍をアメリカで目の当たりにし,その衝撃を母国イギリスに持ち帰ったとされる。
その辺りの経緯は,青野賢一氏の「音楽とファッション」に詳しい。
一方,マルコム・マクラーレンがロンドンに持ち帰ったパンクの種子はどうなったか?まずよく知られるエピソードは,1971年からロンドンのキングス・ロードにあったヴィヴィアン・ウエストウッドとマルコム・マクラーレンのブティック「レット・イット・ロック」の常連だった若者を,アメリカ帰りのマルコム・マクラーレンが焚き付けて結成させたバンドがセックス・ピストルズ,という話だろう。グレン・マトロックはこの映画のなかで「土曜の午後,よくレット・イット・ロックへ行った」「ジョニーも客の一人だった」と述べ,こう続けている。「ある日,彼とギグをやってみた。バンドはセックス・ピストルズ。最悪で最高だった。」ジョニーとは言うまでもなくジョニー・ロットン(ジョン・ライドン)のことである。
グレン・マトロックとは,セックス・ピストルズのオリジナルメンバーのベーシストで,メンバー中最も常識人で演奏能力も一番高かったそうだ。
故に向上心も高く,フロントマンであるジョニー・ロットンとの衝突が絶えず,1stアルバムリリース前に脱退してしまう。
グレン・マトロックの後に加入したのが,かの有名なパンク・アイコンの一人,シド・ヴィシャス。
演奏能力は限りなく低かったらしいが。
彼ら(セックス・ピストルズ)が着る服はヴィヴィアン・ウエストウッドの手になるもの。パンクのアウトフィットのイメージとして長らく定着している数々のアイテムはこの取り組みに端を発するのであれば,そこにもマルコム・マクラーレンのアメリカでの体験が部分的に反映されている。リチャード・ヘルが着ていた安全ピンだらけの服をマルコム・マクラーレンがアイデアとして持ち帰り,プロダクトに展開したことで安全ピン=パンク・ファッションのイメージが確立されたのだ。この映画(「パンク・アティチュード」ドン・レッツ監督によるパンクロックのドキュメンタリー映画)のDVDに付属しているエクストラDVDの「ファッション」の項目によれば,リチャード・ヘルがたんに服の破れていた部分を留めるために安全ピンを使っていたことや,ホチキス留めした服–ボブ・グルーアン曰く,これは自ら解体したものを再度ホチキスで留めなおしたのだそう–も着ていたことがわかるが,その狙いは路上生活をおくる貧しい若者を想起させることだったという。それをマルコム・マクラーレンが表層的に切り取って,ヴィヴィアン・ウエストウッドが「ファッション」として表した。
「音楽とファッション」青野賢一
どのようなムーヴメントも,はじめは強烈なメッセージを内包している。
パンク・ムーヴメントでは「反体制」を掲げ,社会的に虐げられている若者たちのアティチュードを伝える手段として,その音楽とともにファッションでも当時の若者たちが主張を強めていった。
音楽とカルチャーのムーヴメントというのはそれまでも存在しているが,ここで特筆すべきは,このパンク・ムーヴメントの仕掛け人はアーティスト本人ではないということ。
つまり,ファッションの側(マルコム・マクラーレンとヴィヴィアン・ウエストウッド)から発信されたムーヴメントという事実だ。
それ故,パンク・ファッションそのものの形骸化も早かったわけだが,「ファッション」としては息が長く,今や定番化している感もある。
それが,ファッション側から発信されたムーヴメントだからなのかどうかは分からない。
ヴィヴィアン・ウエストウッドは言わずと知れたファッションデザイナー。
彼女の名に由来する同名のブランドは,今でも先鋭的なファッションを提案し続け,多くの若者に支持されている。
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ところで,一時期はムーヴメントの旗手として持て囃されたが,結局はマルコム・マクラーレンとヴィアン・ウエストウッドの広告塔として利用される形になってしまったジョニー・ロットンはその後どうなったのか?
彼はピストルズの解散後,パブリック・イメージ・リミテッド(P.I.L)を結成し,80年代のヒット・チャートをしばし賑わした後,表舞台から姿を消す。
2009年に再結成した後は,各地のフェスにも出演し,往年のファンのみならず若いファンからも熱い声援を受けている。
セックス・ピストルズ時代からすると一回り大きくなった身体にオーバーサイズの服を纏い,元気に歌い続けるジョン・ライドン(ジョニー・ロットン)は,2015年に「ロッキング・オン」のインタビューを受け,自身のファッション観について語っている。
「俺の生き方では,多様性がなによりも重要なことだし,役立つものなんだ。俺のこれまでの生のすべては,あらゆることを意識して,自分の思考を決して抑えないことに費やされてきたと言っていい。社会が俺の身体を制限することはできるけど,俺の思考を閉じ込めることは決してできないはずだからね。俺はファッションのボンデージ(縛り)の奴隷にはなりたくない。確かに俺はかつてそういうものを身にまとっていたことでも知られているけど(笑)。俺は服で人を判断したりしないけど,ただ,その服をどのように着ているのかということでは判断するよ。」
「rockin'on」 2015.10
彼自身は,セックス・ピストルズ時代のことを振り返ると,ヴィヴィアン・ウエストウッドらとの関わりはあまりいい思い出として残っていないそうだ。
しかし,彼が最後に語っている言葉に私は強く共感する。
「俺は服で人を判断しない」
「その服をどのように着ているのかということでは判断する」
元ジョニー・ロットンであるジョン・ライドンは,もうタイトなジャケットやスラックスを着ることはない。
でも,最近の彼が着ている,オーバーサイズのTシャツやブルゾンや髪型は,今の彼にとてもよく似合っている。