101回目のプロローグ
Perfumeのあーちゃん,のっち,かしゆかの髪型がデビュー当初から変わらないのは,それぞれのキャラクターイメージを覚えてほしいからだそうだ。
彼女たちのように,ある種の「記号性」で売っているアーティストというのは,わりといそうであまりいない。
ぱっと思い浮かぶのは,いつも黒服を着ているサカナクションの山口一郎くらいだろうか。
この手のアーティストは,当ブログのコンセプトとしてはかなり重要な位置付けになる。
なぜなら,「記号性」はファッションと深く結びついてくるからだ。
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眼鏡にドットのシャツ,シルバーのタイ。
タイトなスーツに身を包んだエルヴィス・コステロがハッセルブラッドのカメラを構えて正面を見据えている。
中古レコード屋でこのジャケットを見つけたときには,あまりの格好良さに迷わずジャケ買いしてしまった。
エルヴィス・コステロの2nd「ディス・イヤーズ・モデル」。
このアルバムが素晴らしいのはジャケットだけではない。
内容も負けてはいない。
デビュー作(「マイ・エイム・イズ・トゥルー」)に比べて,幾分パンク色が濃くなっているが,アトラクションズによってより肉厚かつスタイリッシュに刷新され,そこにコステロの泣いてるような怒っているような声が重なる。
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コステロがデビューしたのは1977年。
世にパンクロックの嵐が吹き荒れていた時代だ。
イギリスからはセックス・ピストルズやクラッシュが。
アメリカからはニューヨーク・ドールズやラモーンズが出てきて,それぞれの怒りや何やらもろもろの感情を,叩きつけるように曲にこめて表現した。
彼らのうちほとんどが,革のライダースジャケットやタイトで破れたジーンズを履いて,煙草をくわえていた。
そんな情勢下,デクラン・パトリック・アロイシャス・マクマナスという若者は,エルヴィス・コステロという派手な芸名と眼鏡とスーツに,ジャズマスターを銃のように携えてパンクシーンに殴り込みをかけたのだ。
もし,コステロが眼鏡のかわりにサングラスをかけて,スーツでなくて黒のライダースを着て,スラックスのかわりにダメージジーンズを履いて歌っていたら。。
想像しようとしてみるけど,うまくイメージできない。
そんなマッチョなコステロはあんまり想像したくないし,眼鏡にスーツにジャズマスターでパンクを鳴らしたからこそ,クールになり得たのではないかと思う。
彼のように”紳士”然とした若者も,音楽で身を立てようとしたときにパンクをチョイスしたところに,当時のパンク・ムーヴメントの影響力の強さを感じる。
コステロの初期以降の作風を見ていくと,精神はともかく,スタイルとしてのパンクを好んでいたかどうかは疑わしいと思われるからだ。
これは好みによるのだが,私はやはり5作目までのポップでパンクなコステロの作品が好きだ。
ファッション云々も語るけど,前提として曲の素晴らしさはあるのですよ,勿論。
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今回で101記事めになります。
「音楽と服」の原点に戻って,アーティストとファッションの関係性について考えたことを,たまーに書いていこう思います。
今後ともよろしくお願いします。