音楽と服

音楽と服について好き勝手に語ります

ブラーの成長と「罪の意識」

夏が過ぎ去ってしまった。

 

現在台風が北上中で,早朝からおどろおどろしい風のうねりが聞こえているが,もうじきやむことだろう。

 

この台風が過ぎれば,いよいよ秋めいてくるのではないだろうか。

 

ところで夏の盛りの頃,一枚のアルバムを購入していた。

それはブラーの2003年発表の7枚目のオリジナルアルバム「シンク・タンク」だ。

 

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私はブラーという英国のバンドが好きだ。

 

ブラー(「モダン・ライフ・イズ・ラビッシュ」ブックレットより)

 

それについては当ブログでも何度となく紹介しているが,このアルバム「シンク・タンク」は彼らのディスコグラフィー中唯一まだ手に入れていない作品だった。

 

私がブラーを本格的に聴き始めたのが2000年代中頃だ。

その時期のブラーは,ギターのグレアムが脱退した3人編成で,ちょうどキャリアの空白期間に当たっていた。

 

だからその空白期間のうちに私は初期からの彼らの作品を遡って聴いていった。

 

そのうちにグレアムが復帰,4人でのライブ活動再開~デーモンのソロを経ての2015年の新作という一連の流れの中で,空白期間直前(2003年)リリースの「シンク・タンク」は最後まで後回しになっていたということだ。

 

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ところで,なぜ私がブラーという英国のバンドを好きなのかという話なのだが。

 

一言でいえば,彼らの「シニカルさ」の裏返しである「人間くささ」と,それをポップソングに仕立て上げていくセンスに惹かれているのだと,最近になって分かってきた。

 

というか,それはブラーのフロントマン・デーモン・アルバーンの個性でもあると言い換えることもできるだろう。

 

デーモンについては,ゴリラズの仕掛け人としての考察も以前書いたことがある。

 

sisoa.hatenablog.com

 

デーモン,グレアム,アレックス,デイヴの四人組からなるブラーはイギリスで90年代から活動しているロックバンド。

 

90年代にブレイクした頃のイメージが強い人たちからは,極めて英国的なメロディーを奏でるバンドと思われがちだが,2000年以降の彼らのサウンドはかなり多様だ。

デーモン・アルバーン(Fujirock2014グリーンステージにて)

彼らのサウンドについて,大まかに時期を分ければ,90年代初頭~90年代半ばまではブリットポップを牽引し,英国的なサウンドを鳴らし続けた初期。

 

90年代後半からはアメリカでの成功を意識して,ヒップホップやメタルの要素も取り入れたサウンドを志向する中期前半。

2000年代初頭,バンド内の軋轢からグレアムが脱退し。残る3人でアフリカでのレコーディングを行った中期後半。

この後バンドの歩みはいったんストップする。

 

そして,グレアムが復帰した後,4人でのライブ活動を経て香港でのレコーディングで新作を生み出した後期。

 

母国イギリスから始まり,アメリカ,アフリカそして香港などの多様な音楽性を吸収しつつ自らの血肉とし,作品に結実させてきたデーモン・アルバーンは,「シンク・タンク」時のインタビューで,自身の音楽的探究心について以下のような興味深い話をしていた。

 

「アフリカの国々を侵略したヨーロッパ白人としての罪を償うために,僕らは彼らアフリカの人々の暮らしや文化,歴史をしっかりと学ばないといけない。僕がアフリカの音楽に魅せられて現地のミュージシャンたちと作業しているのも,その贖罪の意識の現れでもあるんだ。いい作品を作って残していくことが使命なんだとね。」

ブラー「ザ・マジック・ウィップ」ライナーノーツより引用

 

デーモンには,侵略者の子孫としての「罪の意識」が常にあるのだ。

それは,彼の生まれがイギリス中流階級の比較的裕福な家庭であることもおそらく影響している。

 

同じイギリス人でも,労働階級出身で幼少期から「のし上がるにはシンガーかサッカー選手になるかしかない」環境に生まれ育った,オアシスのノエルやリアムが鳴らすラッドな音楽とは根本的に異なるのは,そうした生まれ育った環境も関係しているだろう。

 

リアム・ギャラガーは労働者階級出身である自分を真っ正面から見据え,「俺は俺である必要がある」と歌った。

これもロックの一つの形。

 

デーモンのように,「罪の意識」が音楽活動のモチベーションになっているというのも,一つのロックの在り方なのかなと思う。

 

初期・中期・後期にリリースされた彼らの作品の,歌詞を読み解いていくと,ところどころでデーモンの「罪の意識」が見え隠れしている。

 

時期ごとに「罪の意識」を感じる対象が異なっていて,それが彼自身の音楽的成長にも直結していて非常に興味深い。

 

 

1 イギリス「モダン・ライフ・イズ・ラビッシュ」(1993年)

 

初期の代表作「モダン・ライフ・イズ・ラビッシュ」に収録の「サンデイ・サンデイ」の歌詞から。

 

じいさんは言う

イギリスはすっかり変わっちまった

毎週「日曜讃歌」に合わせて歌うが

必ず途中で居眠りしちゃうって

日曜のまどろみには勝てないもんね

「サンデイ・サンデイ」

 

「ブラーは英国的なバンド」というイメージが根強い。

しかし,この「サンデイ・サンデイ」の歌詞では,イギリスにおける古くからの風習も形骸化してしまっているもの悲しさを,自虐的に笑うデーモンの心象風景が歌われている。

 

ここでは,「英国人であることの罪深さ」を斜めから見ている若きデーモンが顔を出している。

 

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2 アフリカ「シンク・タンク」(2003年)

シンク・タンク

シンク・タンク

  • アーティスト:ブラー
  • ユニバーサル ミュージック (e)
Amazon

 

2000年代初頭,グレアムとの決別を経てバンドはアフリカのモロッコへと赴く。

この時期のインタビューが最初に引用したデーモンの言葉である。

 

この「シンク・タンク」という2003年の作品は,「難解過ぎる」と酷評されたこともあった。

実際に聴いてみると,幾分内省的なところもあるが,ハードロックあり,ジャズの要素を取り入れた曲もあり,全編通して非常にタイトにまとまっていて聴きやすい。

 

従来の「英国的な」ブラーを期待したファンには不評だったろうが。

 

印象的だったのは「スウィート・ソング」の歌詞。

 

誰もが死んでいく

泣くのはよせよ

ほら日が昇る

君を傷つけるつもりじゃなかった

やったことに気づくには時間がかかる

だから僕は

ゆっくり遠ざかっていく

「スウィート・ソング」

 

これは明らかに決別した友・グレアムへの言葉だろう。

 

この「シンク・タンク」が「侵略者の子孫としての贖罪」というテーマのもと作られたことは間違いないが,「友に対する罪」についての側面もあったのではないか。

 

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3 香港「ザ・マジック・ウィップ」(2015年)

 

2015年の「ザ・マジック・ウィップ」では,グレアムと再び邂逅し,4人組としてのブラーが復活している。

 

今回の舞台は,香港だ。

言うまでもないが,香港は97年まではイギリスの統治下にあった。

 

デーモンが4人組としてのブラーの再出発の地として香港を選んだのは,必然だった。

 

西洋人が多すぎる

一番上のボタンを開けて

横柄なのが彼らのしるし

贅沢を売り歩く行商人

贅沢なやり手が集まるスカイ・バー

「ゴー・アウト」

 

「ゴー・アウト」の歌詞は一目見て分かるシニカルなもの。

香港の街を歩く中でも,彼らは英国人である自分たちを俯瞰的に見ることを忘れていない。

 

そんな「罪の意識」を内包しつつも,「僕は君と一緒にいたい」と歌う「オン・オン」はコミカルで,泣ける。

 


www.youtube.com

 

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英国人であることと向き合い続けた途上で一度は友を失い,そして再び4人になったブラー。

彼らに次はあるのか。

 

私は「きっとある」と思う。

 

アメリカ,アフリカ,そして香港・・・。

 

世界中を巡ったデーモンの「音楽的探究の旅」は,最終的には母国イギリスに帰ってくるだろうから。

 

その時に鳴らすのは,やはり「罪の意識」だろうか。

個人的には,それが英国人であることを誇る作品になっていることを願う。

 

そこに,デーモンの本当の声が宿っているはずだから。