音楽と服

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リアム・ギャラガーの「物語」がかくも人々を惹きつける理由

1 リアム・ギャラガーについて(オアシス解散後の雑感)

ここのところ,リアムのソロ作品を繰り返し聴いている。

理由は,先週ノエルのソロについての考察記事を書いたから。

 

sisoa.hatenablog.com

 

リアムの作品についても,少し掘り下げてみたいと考えたからだ。

 

私は,リアム・ギャラガーを三回観たことがある。

 

一回目は,2009年3月。

インテックス大阪でのオアシス単独公演だった。

この時は,会場の音響がよくなかったのもあるのだろうけど,リアムの喉の調子もよくなかったようで,その声には伸びやかさがなかった。

 

二回目は,同年の7月。

フジロック初日のグリーンステージで,オアシスがヘッドライナーとして出演した時だった。

この時のステージはよく覚えている。

バンドの演奏も,リアムの声も,春の単独公演の時とはまるで別物だった。

私が体験してきた様々なライブの中でも,一,二を争う素晴らしい思い出となった。

 

三回目は,2012年7月。

オアシス解散後に,脱退したノエル以外のメンバーで結成した,ビーディ・アイとしての出演。

この時のことは,実はほとんど記憶にない。

次の日にヘッドライナーとして出演したノエルのステージは覚えているのだが,リアムがビーディ・アイとして,どんな立ち居振る舞いをしていたのか,うまく思い出せないのだ。

 

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なぜだろう?

 

ビーディ・アイは嫌いではない。

 

2枚出たアルバムは勿論どちらも持っているし,買った当初はそれなりに聴き込んだ。

 

しかし曲もライブ体験も,不思議なことに記憶に残っていないのだ。

アルバムに収録されている曲も,個々はそんなに悪くないのに。

 

ビーディ・アイのアルバム2枚は,ビートルズのアルバム「Let it be」にどこか似ている。

シングル曲や有名な曲が多数収録されているにも関わらず,アルバムをトータルで聴いたときに,刺さるものがない・・・という感じ。

 

「Revolber」なんかは有名な曲はほとんど入っていないが,その統一感というか,作品全体を覆う空気感というか気迫みたいなものがビシビシ伝わってくる。

 

ビーディ・アイのアルバムからは,そういった空気感や気概が伝わってこなかった・・・と言えばよいのだろうか。

 

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そんなこともあってか,私はオアシス好きを公言しながら,2017年に出たリアムのソロアルバムはスルーしていた。

 

 

リアムのソロアルバムを聴くようになったのは,ここ2年くらいのことだ。

 

まず初めにソロ2ndの「Why Me? Why Not」を聴き,次に今年はじめに出た3rd「C'mon You Know」。

そして,先日ソロデビューアルバム「As You Were」を購入し,ようやくリアムのソロ3作をコンプリートした。

 

3作を聴いてみて初めて分かったことがある。

この3作には,ビーディ・アイでの2作や2000年以降の後期オアシスにはなかった「何か」がある。

 

それは,「魂」などと言った言葉で表現してしまうと,とんでもなくダサく聞こえてしまうのだけど,要するにそんな意味合いのことだ。

 

ちょっと伝わりづらいので言い換えると,リアムが自身の「弱さ」と向き合っているということだ。

特に1st「As You Were」には,その傾向が強いように思える。

Liam Gallagher(「As You Were」ブックレットより)

 

2 リアムの挫折

ソロでのデビューとなった「As You Were」のライナーノーツには,「ロッキング・オン」の元編集長,粉川しの氏が以下のような文章を書いている。

 

「ロックンロールっていうのは,超最高のバンドにいることなんだよ。ひとりじゃロックンロール・スターになれねえから」ーかつて,リアムはこんなことを言っていた。オアシス解散後すぐさまビーディ・アイを結成したのも,頑にソロ活動を拒んでいたのも,かつてのリアムのロックンロールはバンド幻想を前提にしたものだったからだ。

しかし,彼はついにひとりで立つことを選んだ。

バンド幻想のために他者と集うのではなく,新たなソングライターとして,真のロックンロール・スターとして自力するために他者に協力を求めることを選んだ。

text by 粉川しの 「AS YOU WERE」ライナーノーツより

 

リアムは,オアシスが解散してすぐ,残ったオアシスのメンバーを集めてビーディ・アイを結成した。

「超最高のバンド」オアシスがなくなってしまったので,代わりになるバンドを結成した。そして,オアシスで見た夢の続きを見ようとした。

 

しかし,ノエルのいないオアシスで,オアシスのような音楽を鳴らそうとしても,オアシスよりもよくなる筈はない。

 

Beady Eye(「rockin'on」2011.01より引用)

 

結局,ビーディ・アイもデビューから3年で解散となった。

独りになったリアムは,それから3年ほど,シーンの表舞台から姿を消す。

 

その間に,兄ノエルは「チェイシング・イエスタデイ」「フー・ビルト・ザ・ムーン」というキャリアを決定付ける名盤を立て続けにリリースした。

 

リアムはと言えば,音楽以外のネタでゴシップ紙を賑わすばかりで,全く浮上のきっかけをつかめずにいた。

ビーディー・アイ解散後,2010年代半ば頃はリアムにとっては暗黒期といってもいいだろう。

 

兄のノエルはメディアを介して「ソロをやればいいのに」と何度かリアムを激励していたようだ。

 

そのたびにソロ活動を強く否定していたリアムだったが,2016年夏にソロ開始を明言し,翌年のソロデビューの運びとなった。

 

彼は一人で立つことを決意したのだった。

 

Liam Gallagher(「MTV UNPLUGGED」ブックレットより)

 

3 「物語戦略」とリアム

以前読んだ印象深い本に,「物語戦略」という本がある。

この本では,ヒットする商品や成功するプロジェクトには必ず「物語」があるということが書かれている。

 

リアムで言えば,「オアシス」という世界一の人気を誇った最強のロックン・ロールバンドのフロントマンだったリアムが,その解散後に残ったメンバーと新バンド,ビーディ・アイを結成。

 

しかし,そのビーディ・アイも思い描いていたようなセールス,評価を得ることなく約4年で解散(2ndアルバム「BE」に至っては,『NME』をはじめとする英米の主要音楽誌の年間ベストでもほぼ無視されるという散々な評価だった)。

 

その後プライベートな問題で引退同然の状態まで堕ちたリアムが,ソロとして起死回生の復活を遂げる・・・という物語であろうか。

 

要約してみると陳腐に聞こえるが,現在のリアムの趨勢には「勢い」だけで語れない「何か」あることも見逃せない。

 

リアムの「復活」について,最新作のライナーノーツで,粉川しの氏は以下のように語っている。

 

「オアシスはローリング・ストーンズのようになるんだと思っていた」と,かつてリアムは言った。喧嘩や衝突を懲りずに繰り返しながら,それでも人生を共に生きていく「バンド」を彼はずっと夢見ていた。

一方のノエルはオアシス解散の遥か以前から「ストーンズにはなれない,死ぬまでまだツアーを続けるなんて無理だ」と言っており,事実,オアシスはノエルの言うとおりになった。

そうしてバンドの夢が潰えたリアムが,ビートルズ解散後のジョン・レノンをロール・モデルとして再起の道を歩み始めたのが「アズ・ユー・ワー」と「ホワイ・ミー?ホワイ・ノット」だったわけだが,本作が証明した彼の純音楽的な充実は,オアシスやジョン・レノンに象徴されるロックンロールの精神性から,ある種解放された境地でもある。

text by 粉川しの 「C'mon You Know」ライナーノーツより

 

オアシス時代のリアムは奔放な振る舞いで有名だったが,バンドのイニシアチブはあくまで兄のノエルが握っていた。

 

リアムは口ではあれこれ言いながらも,兄に依って立つことで,自身のアイデンティティを確立してきたとも言える。

 

しかし,自らが依存してきた「バンド」という形態で二度までも挫折を味わった彼は,裸一貫で自分のロックン・ロールを鳴らすことを決めた。

 

リアムのソロでは,作品全体から感じられるテーマは,それぞれで異なる。

 

一枚目では「覚悟」を。

二枚目ではロックを鳴らし続けられる「喜び」を。

三枚目では自身がもつ「可能性」を。

 

いずれにせよ,彼の「復活」の物語をリアルタイムで目撃できていること自体に,いちファンとしては喜びを禁じ得ない。

 

オアシスが解散したことは非常に残念な出来事だったが,翻って言えば,もしオアシスが解散しなければ,自らの力で立とうとするリアムの今の姿も見ることが出来なかっただろう。

 

かつて彼は10人にも満たないオーディエンスの前で,

「俺はロックンロール・スターだ!」と歌い,失笑を買った。

 

そんな男は,オアシスのフロントマンとして,世界中のキッズの羨望の的となった。

 

そして今では,ソロとしても正真正銘のロックンロール・スターとして,誰もが認める存在だ。

 

「元オアシスのリアム」ではなく,ソロ・シンガー「リアム・ギャラガー」として,再び苗場の地に(できればヘッドライナーとして)降り立ってくれることを待っている。

 


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