虹は見えたかい?
薄暗い部屋で目が覚めた。
ステレオからは,無機質な電子音のイントロが鳴り響いている。
これで何回目のリピートだろう。
天井を見つめながら,引っ越し祝いで訪れたKの部屋で鍋をつついた後,そのまま寝てしまったことを思い出した。
壁には,アンディー・ウォーホールのデザインした「The Velvet Underground」の1stのアルバムジャケット・アートワーク(バナナ)を引き伸ばしたポスターが無造作に貼られている。
引っ越し祝いに,私がビレッジ・バンガードで買ってきたものだ。
2008年の正月三が日の最終日。
Kは学生時代に同じゼミだった友人だ。
私たちはまだ24歳だった(Kは浪人しているので数日後には25になるのだが)。
一晩中流れていたのは,レディオ・ヘッドの「イン・レインボウズ」。
年末にCDとしてリリースされて,私がタワレコで購入したものだった。
30分弱のアルバムなので,夢うつつに聴き流してたら,すぐに最初の曲に戻っている。
カーテンの切れ間から漏れる朝日をボンヤリ眺めながら一服していると,やがて一曲目の「15ステップス」が終わり,唸るような力強いイントロが流れ出す。
二曲目の「ボディ–・スナッチャーズ」だ。
レディオ・ヘッドには珍しくスピード感のある曲だ。
一曲目とは相対して,ジョニー・グリーンウッドのギターを前面に押し出した疾走感溢れる曲構成。
曲の最後にはボーカルのトム・ヨークが「走り込め!」と何度も叫ぶ。
「走り込め」と言ってるようにしか聞こえない。空耳アワーだと思うけど。本当は何と言っているのかは今でも知らない。
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「イン・レインボウズ」は2007年10月に,インターネットでのダウンロード限定という形でリリースされた。
現在では割と当たり前のリリース方法だが,当時はCDとしてリリースする形態が当たり前だったので話題になった。
特に斬新だったのが,リスナー自身が値段を決めてその金額を支払い,ダウンロードするというやり方だ。
この方法は当時音楽関係者の間だけでなく,ファンの間でも賛否が分かれた。
どうやら平均で1リスナー当たり10ドル(1000円程度)支払ってダウンロードしたらしいが,聴く音楽の価値をリスナーに委ねるという彼らの態度を称賛する声が上がる一方で「音楽業界を破壊する行為」として鋭い批判を浴びたのも確かだ。
私も以前からレディオ・ヘッドの曲を愛聴するリスナーの一人ではあったのだが,そこまで熱心なファンというわけでもなかった為,この論争には加わらず,どうやら年末になるらしいというCDでのリリースを待つことにした。
そうして,ようやく聴くことができたのが,冒頭で流れているくだりというわけだ。
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初めてレディオ・ヘッドをまともに聴いたのは大学生の頃だった。
高校生の時に洋楽に目覚め,グリーン・デイから入ってオアシス,コールドプレイなど王道を聴いていけば,当然レディオ・ヘッドに行き着く。
しかし,初めて買ったレディオ・ヘッドのアルバム「OKコンピューター」の感想は,「難解な音楽だなあ」というもの。
「エアー・バッグ」など聴きやすい曲もあったが全体的にポップさよりは実験的要素が大きいような印象で,世間での「歴史的名盤」といった評価がいまいちピンとこなかった。
その後「ベンズ」「KID A」など彼らの代表作を買い足していったが,そこまではまることもなく,好きでも嫌いでもないバンドという印象はずっと変わらなかった。
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話を再び,2008年1月のKの部屋に戻す。
曲は四曲目の「ウィアード・フィッシズ」になっていた。
私は,この曲の流れるような落ち着いた雰囲気が,非常にその時の気分に合っているような感じがして,心地良さを感じていた。
気づいたらKも起きていた。
マイルド・セブンをくわえたまま,「この曲いいやね。」とKが言った。
私は今でも「ウィアード・フィッシズ」を聴くと,ベルベッツのポスターが貼られたKの部屋の風景がありありと目の前に思い出される。
それほど劇的な思い出というわけでもないが,忘れられない心象風景のひとつだ。
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それから4年後。
2012年8月。
私とKはフジロック,グリーンステージの後方に折り畳み椅子を設置し,あるバンドの登場を待っていた。
あるバンド。
勿論レディオ・ヘッドだ。
レディオ・ヘッドフジロック初参戦ということで,この日は三日間の中でも最高動員を記録していた。
しかし,私はさほど期待していなかった。
だってレディオ・ヘッドだぜ?
どう考えてもスタジオバンドでしょ。
ライブで聴かせるイメージが湧かない。
これまで,散々期待した挙句残念な結果に終わったライブ体験は数えきれない。
というか,ほとんどのライブは期待を上回らない。
で,逆はあるかというと,それもほとんどない。
期待できない場合もやっぱりその通りになることが多いのだ。
そりゃそうだと思う。
だってスタジオ録音って何回も録り直して,編集してるんだから。
いつもステレオで聴くような音と同じものを期待したらいかんのだ。
ところがだ。
レディオ・ヘッドは違った。
CDと同じなのだ。
いや,むしろCDよりも良くなってる。
そして,これは不思議なのだが,CDで聴くときには全く思いもしなかったが,踊れるのだ。
レディオ・ヘッドで踊れるなんて!
でも,グリーンステージに集まった聴衆は皆踊っていた。
信じられないことに,レディオ・ヘッドは真性の「ライブバンド」だったのだ。
2時間近くしっかり聴衆を踊らせて,長い髪を後ろで束ねたトム・ヨークは気持ちよさそうに手を振りながらステージを去っていった。
「虹は見えたかい?」
私とKには,そう語りかけたように思えた。