グッバイ,青春
トレッキングシューズが壊れた。
先日,とあると事情で登山をすることになって,久しぶりに靴棚から出して履いて行ったのだが,写真でお分かりの通り,ソールがつま先の部分から剥がれ,無残にも壊れているのが確認できる。
七合目あたりで,やたらに靴の底がカパカパするなと思って確かめると,ソールが爪先から半分くらい剥がれていた。
さすがに全部剥がれることはないだろうと思ったが,もし剥がれたら悲惨である。
残りの行程はかなり,歩くのに神経を使わねばならなかった。
無事下山できたが,降りてきて再度確認すると,ソールが踵の手前まで剥がれてきていて,手の施しようのない壊れっぷりだ。
残念ながら,この靴はもう使えないだろう。
このトレッキングシューズはアウトドアブランド「Columbia」の10年以上前のモデルで,主にフジロック参戦時に必ず履いて行った,いわば旅の相棒だった。
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初めてフジロックに行ったのが2006年。
友人と参戦した。フジロック10周年のメモリアル・イヤーだった。
その年夏前に発売された「ロッキング・オン」はフジロックの10年が特集してあり,波乱含みでのスタート,そして10周年に至るまでの道のりが回顧されていた。
当然,第一回台風直撃による悲惨な状況のレポートなども残っていた。
注釈を加えると,第一回のフジロックは富士天神山スキー場で開催されたが,台風直撃の憂き目に遭い,二日目は中止をせざるを得なかった。
加えて,まだフェス文化が定着していなかった頃なので,集まってきたオーディエンスも,雨合羽やテントなどの装備もなく軽装で来てしまったばかりに,嵐の中かなりの混乱状態になったようだ。
泊まろうにもテントがない人が大勢いるので,主催者側がやむなくステージを開放して寝床にしたという逸話もあるくらいだ。
ところで,この特集で最も衝撃的だったのが,泥濘に頭から突っ込んで,脚だけが見えている男?の写真だ。
何が起きてこのような状況になったのか,皆目分からない。
しかし,
「野外フェスというのは,ともかく恐ろしい場所だ。舐めてはいけない。」
という,野外フェス,というか山に対する畏怖の念だけはしっかり植え付けられた。
当然,私の初めてのフジロックへの準備は,念には念を入れたものになった。
雨合羽は勿論,着替えは一日三枚と計算して,計十枚。
・・・どんな暴れ方をしようとしていたのか,今となっては笑うしかないが,兎に角私は野外フェスを,山を恐れていたのだ。
それにしても,上の重装備に比べると下はかなり手を抜いていて,足元は使い古したスニーカー(アディダス・ロッドレーバー)というシンプルさ。
それでも,一応予備(茶色のコンバース・オールスターハイカット)を持って行ったから,大変な大荷物となった。
まあ,幸いにも?実際は同行した私の友人の靴が泥濘にはまって使えなくなった時に,私の予備のコンバースを与えることになった。
結果的に持って行った甲斐があるというものだ。
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それから数年は,当時流行っていたクロックスを履いて行ってた。身軽ではあったが,さすがに軽装過ぎた。
雨が降ると,ふくらはぎから下のこびり付いた泥がなかなか取れなかった。
4回目の参戦時に,ようやく「トレッキングシューズを履いて行こう」という当たり前の考えに思い至り,ファッション誌の「夏フェス特集」を読んでいる時に見つけたのが,上のColumbiaの靴だった。
ライトグリーンとパープルの配色が「新世紀エヴァンゲリオン」の初号機を彷彿とさせ,一目見て「これが欲しい!」と思った。
それから二,三軒アウトドアショップを巡るうちにとうとうこの「エヴァ靴」を見つけた。
安くはなかったが即買いだった。
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それから,私のフジロックでの思い出は常にこの「エヴァ靴」と共にあった。
私はこの靴以外にトレッキングシューズというものを履いたことがないので比較のしようがないが.これは素晴らしい代物だった。
グリップ力があるので山道でもしっかり歩けるし,何より雨に濡れたり泥の中を歩いても,一切浸水しない。
この「エヴァ靴」のおかげで,どれだけ快適にフジロックライフを送ることができるようになったか。
ザ・ミュージックのラストライブで熱狂した時も
炎天下の下いとうふみおの「モンキー・マン」で踊り狂った挙句熱中症に倒れた時も
グリーンステージを素通りしようとしたら,聴こえてきたSuperflyの「愛を込めて花束を」につい足を止めて聴き入ってしまった時も。
いつも「エヴァ靴」と一緒だった。
こいつは私の青春そのものです。
グッバイ,青春。
そして
次はこいつで2nd青春を謳歌したいです。
ずっと好きだったんだぜ。
相変わらずクールだな。
こうなれば一生青春だ。
待ってろ,青春。
1989年のThe Stone Rosesは,現在のトレンドの源流である説
誰しも,これまでの人生における「忘れられない一枚」があるのではなかろうか。
私にとってのそれは,ザ・ストーン・ローゼズの「 THE STONE ROSES」である。
このアルバムの魅力を言葉で表現するのはなかなか難しい。
音の輪郭ははっきりしていないし,ボーカルが際立って上手いわけではない。
それでも,このアルバムには魔法が宿っていると私は思っている。
ところで,久しぶりにこの「THE STONE ROSES」を聴きながらブックレットを眺めていると,あることに気づいた。
「メンバーの服,今っぽくない?」
ということだ。
それが上の写真なのだが,これは1989年にリリースされたアルバムだ。
ボーカルのイアン,ギターのジョン,ベースのマニ,ドラムのレニのコーディネートやサイズ感が,現在のトレンドに非常に近いように感じられたのだ。
当ブログでは,これまで年代ごとのアーティストのファッションと時代性との関連を紐解いてきた。
しかしヒッピームーヴメントや,70年代のストーンズのファッションなどと現在のトレンドを比べると,さすがに隔世の感がある。
ところが,「THE STONE ROSES」のブックレットに写ったメンバーの装いからは,あまり古臭さを感じなかったのだ。
どうだろう,感覚的なものかも知れないので,実際に現在のモデルと比較して検証してみる。
比較対象は,雑誌「メンズ・ファッジ」の今年の号のモデルだ。
1 ポロシャツとイアン・ブラウン
まずは,ポロシャツを比較してみる。
上が今年の「メンズ・ファッジ」,下が1989年のイアン・ブラウンだ。
二人ともポロシャツを着ているが,まずは襟元に注目。
どちらも,襟が立ったタイプではなく,ぺたんと寝ているタイプ。ルーズになり過ぎないよう,一番上のボタンまで締めているのも共通点。
次に,サイズ感に注目。
ファッジのモデルも,イアンも袖の長さは肘のあたりまで。
ゆったりした丈で,ルーズなシルエットでありながらも清潔感を失っていないあたりも共通していると言えそう。
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2 スウェットとジョン・スクワイア
次に,ギターのジョン・スクワイアが着ているようなスウェットで比較してみる。
上がメンズ・ファッジのモデル。
下が,ローゼズのギタリスト,ジョン・スクワイア。
二人の着ているスウェットは,おそらく生地等は違うだろうけど,大きめのサイズ感でゆったり着ているのはポロシャツと同じ。
スウェットにもポロシャツにも共通して言えるのは,ゆったりとしたサイズ感だけではない。
ルーズな中に清潔感を失わない着こなしも同じ。
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1970年代後半,イギリスが発端となりパンクムーヴメントが巻き起こった。
あらゆる権力に「NO」を突きつけたパンクの精神は,当時少年だったストーン・ローゼズのメンバーの心を動かした。
ジョン・スクワイアは後のインタビューで,クラッシュのジョー・ストラマーに憧れていたことを告白している。
同時に,成功を収めたロック・バンドについては,その槍玉に上がっている。
以下は,「ロッキング・オン」に掲載されたインタビュー記事だ。
「マニが加わった時,俺たちはユニットになったんだよ」とイアンは語る。
「これで俺たち対世界っていう構図になったんだ。あの頃キッチンでフライドポテト用の芋を切っててU2がラジオで流れてたのをよく覚えてるよ。あの頃,U2は世界で最も成功してるバンドだったんだ。でも,本当に尊大で虚しい音にしか聴こえなかった。だから,俺は思ったよ。俺たちはあいつらよりルックスはいいし,あいつらより音もいいし,俺たちはあいつらよりいいんだってね。
text by Paul Moody/Translation by 高見展 「rockin'on」2012.1
ベースのマニがバンドに加入したのは,1987年。
U2の歴史的名作「ヨショア・トゥリー」が出るのが87年なので,この年はまさにキャリアの頂点に達した時期であると言える。
煌びやかなステージ衣装を着て歓声を受ける「ロック・スター」にNOを突きつけ,彼らは普段着でステージに上がった。
そして,ライブでは自分たちにはスポットライトを当てず,ひたすら観衆を照らし続けた。
イアンはステージから叫んだ。
「これからは,オーディエンスの時代だ!」
イアン・ブラウンはこき下ろしていたが,その後時代の荒波をサバイヴしたのはU2のほうだった。
ストーン・ローゼズはどうなったか?
94年に2ndを出した後に解散,2012年には再結成して来日も果たしたが,その後2017年には2度目の解散。
私も2012年のフジロックで,彼らのステージを観ることができたが,ローゼズの魔法は彼らの最初のアルバム「THE STONE ROSES」にのみ宿っていることを再確認しただけだった。
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それでも,「THE STONE ROSES」と出会っていなかったら,私はUKロックにそこまで入れ込むことはなかっただろう。
オアシスのアルバムからは,ロックンロールが与えてくれる刺激,奔放さを知った。
ザ・ストーン・ローゼズのアルバムからは,ロックンロールが持つ中毒性を知った。
酒も煙草も要らない。
マニとレニが生み出すグルーヴ,ジョンのギター,イアンの歌が織りなす音楽は,素面でも全く別の世界へトリップさせてくれる。
それはあの時期,1989年前後にだけ彼らに与えられた「魔法」だったのだろう。
その「魔法」の一端をご紹介。
アルバム「THE STONE ROSES」収録の「エレファント・ストーン」。
アルバム通しで聴いてこそ伝わる彼らの魔法だが,この一曲でもマジックはかかっています。
1970年代,世界で最も影響力のあるファッション・アイコンだったキース・リチャーズ
先日,博多駅の大型書店を訪れたら,ずっと探していた「ロッキング・オン」の最新刊がようやく見つかった。
「JAPAN」は小さい書店の音楽コーナーに置いてあることも多いが,「ロッキング・オン」は最近ではまず見かけない。
タワーレコードなどの大型CDショップか,規模の大きな書店に行かないと買えない。
それか,Amazoneなら買えるのだけど,注文して数日待たねばならないから二の足を踏んでいたのだ。
とりあえず買えてよかった。
表紙は,ザ・ローリングストーンズの四人だった。
今回は,結成60周年記念特集。
60~2010年代まで,年代ごとに彼らの歴史を振り返り,総括する気合の入った特集である。
この号を読んでいたら,我が家のCD棚には昔友人からプレゼントされたストーンズのDVDがあったことを思い出した。
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それは2010年頃映像化された,「ストーンズ・イン・エグザイル~『メインストリートのならず者』の真実~」という作品だ。
この作品は,ストーンズ最高傑作のひとつとされるアルバム「メインストリートのならず者」の制作過程で,南仏にあったキース・リチャーズの邸宅の地下室で行われたレコーディングの様子が収められたドキュメンタリー・ビデオだ。
70年代初頭,ストーンズの面々はマネージメントの不行き届きにより,イギリス国内で多額の税金支払いを要求されたため,それから逃れるためにフランスへの移住を図ったのだ。
フランス国内で適当なレコーディングスタジオを見つけることができなかったメンバーは,結局キース邸の地下でのレコーディングを敢行することになる。
ストーンズのメンバーは30代を少し過ぎたくらい。
サポートやエンジニアも含め,家族で移住しているメンバーもいて,それらが一堂に会したため,さながら「ストーンズ一族」のようになった。
地下では夜な夜な楽器が鳴り響き,煙草やウイスキーでは飽き足らず,あろうことかドラッグまで入り乱れるカオス状態になったという逸話だ。
そのようなカオス状態でも,完成したアルバムは驚くほどハイ・クオリティーな作品となった。
ルーズさと精緻さが奇跡的なバランスで共存しているのだ。
私は,数多くあるストーンズの作品の中でも必ず聴かなければならないものが4枚あると思っているが,当然この「ならず者」も入っている(ちなみに,あと3枚は「スティッキー・フィンガーズ」「レット・イット・ブリード」「イッツ・オンリー・ロックンロール」)。
ところで,このDVDを10年ぶりくらいに観たが,当時よりも彼らの曲や人間関係についての理解が深まっているので,大変面白く観ることができた。
そしてもう一つ。
当時の彼らがいかに世界的に影響力を持ったアーティストであったかを映像で改めて確かめることができた。
「ストーンズが動けば人々が動く」というのは,決して大げさな表現ではない。
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今回は,ザ・ローリング・ストーンズの象徴ともいえるギタリスト・キース・リチャーズにスポットを当てる。
なぜキースか?
理由は簡単である。
格好いいから。
DVD「ストーンズ・イン・エグザイル」を観ていると,キースの格好よさは抜きんでている。
勿論,ミックだって若くて精気に溢れているし,チャーリーだって落ち着いていて気品のあるファッションはさすがデザイナーの卵だった人とうなってしまう。
だけど,キースは飛びぬけて格好いい。
もともと無頼漢的な雰囲気は漂わせていたキースだが,この時期は子どもが生まれて父親になった頃で,家族を養う男としての色気も出てきている。
例えば下の写真。
シャツの下は裸という,こんな格好,なぜか当時のミュージシャンには多い。
ジミー・ペイジもロバート・プラントも胸毛とおへそがいつも出ていた。
キースは腕まくりした白いシャツを無造作に羽織り,煙草をふかしている。
ボトムスもベルトはしておらずリラックスした雰囲気で,休暇っぽい雰囲気。
次の写真は部屋の中での一枚。
総柄シャツ・・・紅葉柄だろうか?
よくよく見るとかわいらしい絵柄のシャツを着ている。
煙草を片手に,こちらもリラックスした表情。
彼の表情から,あまりストレスなくレコーディングに取り組んでいる様子が想像できる。
3枚目はギターを抱えた一枚。
襟と袖口が花柄になっているウエスタンシャツだろうか。
ヒッピームーブメントの影響が見受けられる。
流行を追うことが好きで,その影響はファッションや音楽性にも顕著に表れるボーカルのミックに比べると,キースという男は音楽はあくまでルーツであるブルース,そして服もあまりゴテゴテしてなくてさらりと羽織れるものを好むようだ。
今でも転がり続けるオリジナル・ストーン,キース。
今後も,その奔放なギタープレイとファッションに注目していきたいものです。
最後にご紹介するのは,「メインストリートのならず者」から,今でもライブの定番となっている「ダイスを転がせ」。
リラックスした雰囲気で唸るグルーヴが,休日にぴったりです。
よい休日を。
ポップ・ミュージックの本質を射抜くベックの矜持
最近,ケンドリック・ラマーのアルバムを聴いている。
ヒップ・ホップだけは,昔からどうも食わず嫌いしていたのだが,ここ数年のポップ・ミュージックの動向を見ていると,どうにもそこはスルー出来ないと思うようになったからだ。
デヴィッド・ボウイも,最後のアルバム「★」を作る時にはケンドリックの「トゥ・ピンプ・ア・バタフライ」にインスパイアされたらしいし。
それで,ここ数日聴いているんだけど,ヒップホップやラップやらのジャンルって,やはりリリックの意味や背景が分からないと,聴いててもよく分からないので,2010年代後半の「ロッキング・オン」を見返していたのだ。
そしたら,まだほとんど未読の一冊を見つけた。
2017年のアルバムトップ50の特集号だった。
トップ5の顔ぶれはこんな感じ。
2位:ケンドリック・ラマー「ダム」
3位:ベック「カラーズ」
4位:ノエル・ギャラガー「フー・ビルド・ザ・ム-ン?」
5位:ウルフ・アリス「ヴィジョンズ・オブ・ア・ライフ」
うーん・・・。やっぱり覚えていない。
読んだ覚えがない。
この号を捲っていくと,ベックのインタビュー記事が載っていた。
なんとこれも未読だった。
過去記事でも何度か紹介しているように,私はベックというアーティストに特別な愛着を持っている。
そんな私が読んでいないのだから,本当に買っていたことすら忘れられた号だったのだろう。
このベックのインタビューを読んでいたら,ポップ・ミュージックにおける彼なりの捉え方が分かりやすく語られており,非常に興味深い記事だった。
ということで,ケンドリックのレビューはまた今度(笑)。
このインタビュー記事で,ベックが語っているのは以下のような内容だ。
ぼくとしてはロックを傍流にしておくつもりはないんだよ。みんなはあっちに行ってるよ,あっちはポピュラーやラップ,ヒップホップ,EDMだよ。じゃあ,俺たちはここでかくれてようかって(笑)。そんなのはぼくは嫌なんだよ。
(中略)それにポピュラー・カルチャーとしては,ロックは必要なはずだから。だけどそのためには斬新なアイディアが必要だし,アートが必要だし,オリジナリティが必要で,それだけのものを持ってメインストリームに身を投じて変えていかなきゃいけないんだよ。そういうことを実現してきた時が,音楽が一番刺激的だった時なんだよ。たとえばポピュラー・カルチャーの頂に達しながら,アヴァンギャルドの最高峰にも達してみせたビートルズみたいにね。
interview by 高見展 「rockin'on」2018.1
ベックがこの記事で明かしているのは,ポップ・ミュージックの本質ではないかと思うのだ。
つまり,
「斬新なアイディアが必要だし,アートが必要だし,オリジナリティが必要で,それだけのものを持ってメインストリームに身を投じていかなきゃいけない」
ということだ。
これって,僭越ながらこのブログ「音楽と服」の基本コンセプトと,すごく近いのではないかと思うのだ。
アーティストが紡ぎ出す「音楽」と,そのイメージを伝えるファッション,「服」。
その変遷や関連性を紐解いていくのって,なんだか面白そうじゃない?と思って始めたブログなのだから。
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先述の記事は,2017年のベックの作品「カラーズ」のためのインタビュー記事だ。
この「カラーズ」のデラックスエディションのDVDでは,日本の歌手Daokoとコラボしてシングル曲「アップ・オール・ライト」を歌う様子が特典映像としてついている。
そこで,ベックは黒のハット,黒のスーツに花柄黒地のシャツとバリバリにキメた格好ながら,青のワンピースのDaokoと共に飛び跳ねたり手拍子したりしながら乗り乗りで歌うのだ。
こういうコラボっていうのは,バラードでしっとり演りました,ていう感じが多いのだけど,「Up All Light」はアップテンポでコーラスとのシンクロが非常に難しい曲。
恐らくだけど,かなりバンドとのリハも重ねたんじゃないだろうか。
Daokoの透明感のある歌声が,この曲のドラマ性をよく惹きたてている。
ベックというアーティストの感性からすると,このようなコラボにしても,自分や相手の見せ方などもかなり考えているのだろう。
そして,彼はこのアルバム「カラーズ」のジャケットアートワークも,自分自身で基本のデザインを考えていたというから驚いた。
「ポピュラー・カルチャーには,斬新なアイディア,アート,オリジナリティが必要」
と彼自身が語っていたように,アートワークも含めた総合力で勝負するという頭があるからだろう。
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だからこそ,私はベックのことを「アーティスト」と呼びたいのだ。
「ミュージシャン」ではなく,「アーティスト」。
ベック自身も言及しているが,1960年代後半のビートルズも,実験性と大衆的なポップを追究し続け,最高沸点を記録し続けた。
その最たる作品が,この「リボルバー」だと思う。
印象的なアルバムアートワークは,メンバーの旧友クラウス・フォアマンによるもの。
最初の曲「タックスマン」は,カッティングギターとブリブリのベース音がいかしたナンバーで,ジョージ作。
最後の曲「トゥモロー・ネヴァー・ノーズ」は逆回転されたギターやドラム音がレコーディングで使われており,実験的でありながらポップとしての完成度の高い奇跡のような曲だ。
ビートルズのような先達の作品は,勿論ベックの創作活動においても大きな影響を及ぼしていることだろう。
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ベックの「カラーズ」は,おそらく2010年代に私が一番聴いたアルバムだ。
当時私は職場まで車を運転して通っていた。
朝4時過ぎに家を出ていたが,この時間は当然まだ道路は薄暗い。
毎朝「カラーズ」をかけて口ずさみながら運転していると,20分ほどで職場に到着する。
帰りは少し込むが,30分前後で自宅に着く。
行きと帰り合わせて50分前後なわけで,ちょうどアルバム「カラーズ」を聴き終わるくらいなのだ。
つまり,毎日このアルバムを1回は通しで聴いていたことになる。
良質なポップ・ミュージックのアルバムっていうのは,何回か繰り返し聴いた後に必ず
「これ,めちゃくちゃいいじゃん!」
と思えるブレイクポイントがあって,飽きるまではしばらく聴き続けることになる。
こういうアルバムって,私の人生においてもそう多くはない。
ストーンズでは「メインストリートのならず者」,「スティッキー・フィンガーズ」。
オアシスなら「モーニング・グローリー」。
ストロークス「イズ・ディス・イット」。
錚々たるロック・レジェンドのアルバムとも張れるくらい,よくできた作品だと思っている。
最後に,「カラーズ」の中でも最もエッジが立っている一曲をご紹介。
シンプルなメロディーラインだけど,その分耳に残る曲です。
あの夏の「To be with you」
高校最後の夏休み。
私が通っていた高校は,地元では一応名門として認知される学校だった。
ただそれも地元の人たちの感覚で,偏差値がそこまで高いわけではなく,あくまで「田舎の名門」というくらいのレベルだった。
まあそれでも,大半の生徒が受験勉強をして進学をする。
夏休みにもなると,インターハイに駒を進めたごく一部の部活生を除くほとんどの生徒は,質や量は違えど「受験戦争」の波に飲み込まれつつあった。
そんな中,夏休みのほぼ全てを高校の放送室で過ごした男を,私は知っている。
それは私の友人で,Zと言った。
彼は勉強が出来なかったたわけではなく,むしろ成績は学年でも常に上位クラスで,授業にも真面目に出る男だった。
成績では常に下から数えた方が早く,授業中に小説や漫画を読み耽っていた私のような愚か者とは正反対だった。
Zとは同じクラスになったことはなかったのだが,共通の友人を通じて仲良くなり,メールのやり取りをしたり,カラオケに行ったりして遊ぶようになった。
真面目で勉強ができる男だったが,決してそれを鼻にかけるようなことはなく,私のようなだらしのない男に対しても,とても誠実に接してくれた。
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そんなZが,人生の方向性を決めるとも言える,重要な高校最後の夏に受験勉強もせずに一日中放送室に篭っているという。
風の噂でその情報を入手した私は,放送室にZを訪ねることにした。
学校のそばにあるコンビニで買った菓子パンとペットボトルのスプライト,コーラの入ったビニール袋を提げ,放送室のドアをノックすると,奥から声がする。
入ってもいいというようなことを言っている。
恐る恐るドアを開けると,薄暗い室内でPC画面を見入るZの姿が目に飛び込んできた。
と同時に,放送室内のもあっとした空気が,汗ばんだ肌にまとわりついてくる。
まだ学校にクーラーが設置される前の時代だ。
こんな暗くてクソ暑いところで一体何をしているのかという主旨のことを聞くと,Zは額の汗を拭きながらPCの画面を見せてくれた。
そこには,袴や学ラン姿の男たちの静止画が映っていた。
「何これ?体育祭やない。」
袴の男は応援団長で,両脇の学ランは副団長だ。
静止画の様子から見ると,動画を停止した画面のようだ。
私の質問を受け,Zは汗でずれていた眼鏡をかけ直しつつ
「ビデオを作ってるんだよ。」
と答えてくれた。
ビデオ?
なおも顔にクエスチョンマークが浮かんでいる私の様子を見て,Zが説明をしてくれた。
高校生活最後の体育祭,三年生になって自分の仲間たちが応援団やブロック対抗リレーなどで活躍し,最高の体育祭にしてくれた。
自分は応援団や花形のリレーに参加したわけではないけど,生徒会の一員として運営に携わり,皆の頑張りをビデオ撮影した。
折角なので,高校生活の思い出になるようなものを残したいと思い,撮影したビデオを編集している。
ビデオクリップが完成したら皆に観てもらうのだ,と。
そのような内容の話を少し恥ずかしそうに私にしてくれたZは,照れ隠しなのか眼鏡を取ってしきりに拭いている。
私は目の前の友人に,黙ってコーラを渡した。
ペットボトルの水滴が垂れて,スチールの机を少し濡らした。
放送室を出ると,深呼吸を一つ。
汗で背中にシャツがはりついている。
俺も受験勉強頑張ろう,と心の中で小さく呟いた。
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それからというもの,私は図書館で勉強した帰りに,放送室を訪ねることにした。
私にはZの作業を手伝うことはできなかったが,動画のテロップの言葉を考えたり,作業の合間にお菓子を食べたりしていた。
ただ邪魔をしていただけのような気もするが,それでもZは持ち前の集中力を発揮し,着々と作業を進めていった。
そして,あと2,3日で夏休みが終わろうとする頃,ようやくZが編集していたビデオクリップが完成した。
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私とZの二人で,放送室にて完成したビデオの試写会をした。
ビデオはとてもよく編集されており,いま振り返っても,高校生の編集とは思えないクオリティのものだった。
体育祭の各競技やブロック対抗リレーはカメラワークも工夫してあり,切り替えも非常にテクニカルだった。
特に力を入れていたのは,応援団についてのくだりだった。
応援団の結成から放課後の練習風景,ブロック全体での練習の様子などストーリー性のある流れ。
そして,ブロックが一体となった応援合戦本番の様子。
更に,私が驚いたのはスライドが準備してあったことだ。
撮影した写真をつなぎ合わせ,音楽とともにタイミングよく切り替えているのだ。
モノクロの写真たちが,最後の体育祭で全力を出し切った仲間たちの表情を克明に伝えている。編集技術はプロ顔負けだ。
このスライドはZが特にこだわって作った部分だったようで,ブロックごとに異なるBGMが流れていた。
赤ブロックは,エアロスミス「ミス・ア・シング」。
青ブロックは,ベン・E・キング「スタンド・バイ・ミー」。
黄ブロックは,ビートルズ「レット・イット・ビー」。
紫ブロックは,Mr.BIGの「To be with you」。
どれも名曲だったが,Mr.BIGの「To be with you」は特に私のお気に入りになった。
Mr.BIG2作目のオリジナルアルバムに収録されている同曲。
アメリカの正当なハードロックの後継者として期待されていたこのバンドには,ビリー・シーンという凄腕のベーシストと,ポール・ギルバートというバカテクのギタリストがいた。
しかし,「To be with you」はアコースティックギターが中心で,ボーカルのエリック・マーティンが情感たっぷりに歌い上げる,沁みるバラード。
この曲が売れてしまったばかりに,ポップ路線と思われてしまうことも多かったが,もう一度言う。
彼らのアルバムを聴いていくと,エリック・マーティンの高音のシャウトや,ポール・ギルバートの速弾きなどは,日本の国内バンド(B‘zとか)に大きな影響を与えていることは明白だ。
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そのような雑学はさておき,私はこの「To be with you」という曲を聴くと,あの夏を思い出すのだ。
薄暗い放送室で,Zと共有した楽しくも奇妙な2週間。
ZからVHSを受け取り,家に帰ってもう一度最初から最後まで観返してみた。
Zと一緒に観た時には気づかなかったが,エンドロールの”Special Thanks"の一番最後に、私の名前があった。
ただ放送室で遊んでただけなのに。
ちなみにZは夏休み後に猛烈な受験勉強を開始し,翌年無事に関西の有名私大へ入学した。
一方の私も,Zほどではないが地道に勉強を続け,何とか地元の私大へ入学することができた。
Zは大学を卒業した後は京都で就職していたが,数年働いた後うつ病を発症し,地元に帰ってきた。
今は,私と同じ福岡で働いているはずだ。
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私は今年の始めにある目標を立てた。それは,
「会いたい人にしっかり会う。」
という目標である。
「仕事が忙しいから,子どもがいて大変だから,コロナだから」
会わない理由は幾らでも見つけることができるが,そんなことを言って先延ばしにしていたら,あっという間に人生終わってしまう。
会いたいと思った時に会わないと。
勿論,会いたい友人の中にZは入っている。
私の勝手な予定では,今年中にはZと再会して一杯やる予定だ。
懐かしいCDを取り出して聴いているうちに思い出した,友の回想でした。
20年の時を超えて響いた宇多田ヒカルの言葉
私は宇多田ヒカルと同じ1983年生まれである。
学年は彼女のほうが一つ上だけど,まあ同世代と言ってもよいだろう。
この世代は,なんとも中途半端な世代で,いわゆる就職氷河期世代の下,ゆとり世代の上で,その狭間世代と言ったところか。
物心がついた頃に年号が昭和から平成に変わり,小学校高学年の多感な時期に地下鉄サリン事件や阪神大震災が起こり,バブル崩壊による不況も長引いて,なんとも暗い時代の空気を感じながら育った記憶がある。
宇多田ヒカルがブラウン管に登場したのは,98年も末のことだった。
深夜の音楽番組で,MVがバンバンかかっていた。
「Automatic」でデビューした彼女は,わずか15歳だった。
音楽は生粋のR&B。
後から振り返ると,MISIAの「包み込むように」や,デズリーの「Life」が前後でヒットしており,彼女の音楽が受け入れられる下地はできていた。
しかし,ダボダボの服を着て,焦点の合わない目で屈んだりウロウロ歩いたりしながら
「イッツ,オートマーティック」
と歌う彼女が同じくらいの年齢の女性とは思えず,どこか違う星から来た宇宙人ではないかと思っていた。
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「First Love」(1999年)
宇宙人のようだった彼女は,翌年「First Love」というシングルを出して,これがまたバカ売れした。
仲間とカラオケに行くと,結構な確率でこの曲を歌う女子がいた。
歌い出しはこうだ。
最後のキスはタバコのFlavorがした
なんだこの歌詞は?
「最後のキス」と「タバコのFlavor」とは。。
この当時「JAPAN」の編集長をしていた山崎洋一郎は,宇多田ヒカルの同名の1stアルバムが出た時,自身のコラムの中でこんな記事を書いていた。
このデビューアルバムは,凄まじく日本の音楽シーンを変えるだろう。歌のレベルとかリズム感覚ではなく,「きちんと傷つき,きちんと悲しみを受け入れることに関して女の子は15歳でこのレベルなんだよ」ということがまんまあらわになっているからだ。
山崎洋一郎「激刊!山崎Ⅱ」より引用
山崎はこのように書いているが,少なくとも私の周囲には,異性との恋愛模様について
「昨日の彼とのキスさあ,煙草のフレーバーがしてさあ。。」
なんていう文学的な表現をする女の子は一人もいなかったし,例え似たような感情を抱いていたとしても,言語化できる者などほとんどいないだろう。
それでも,彼女の曲がたくさんの人に支持されたのは,彼女が紡ぎだす言葉が広く共感を呼ぶものだったからに他ならない。
彼女の言語についての鋭い感覚というのは,音楽プロデューサーと歌手を両親に持ったバックボーンが影響しているのか,アメリカで生まれ育った環境が影響しているのか,はっきりとは分からないが,10代の頃からいろいろな経験を経ていることが関係しているのは間違いないのだろうと思う。
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私は宇多田ヒカルとは同世代だが,彼女のアルバムを買ったことは一度もなかった。
一番売れた時期(最初のアルバムの頃)は天邪鬼根性が炸裂して流行りものに手を出したくなかったし,2000年代になってからは洋楽のほうに傾倒してしまった。
そうこうしているうちに彼女は「人間宣言」を表明して,無期限の休養に入ってしまった。
そして2016年に6年ぶりに「復帰」し,2022年に復帰後2作目となる「BADモード」をリリースした彼女は母となり,2度目の離婚を経験していた。
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「BADモード」(2022年)
これまで一度も宇多田ヒカルのアルバムを買ったことのなかった私だが,この作品に関しては発売当初から買おうか買うまいか逡巡を重ねてきた。
近所のCD屋には立ち寄るたびに手に取って見るのだけど,そのたびに迷っているもう一つのCDを選ぶことが続き(ちなみにもう一つとは藤井風であったりチェイン・スモーカーズであったり),なかなか縁がなかった。
結局夏前に,彼女のアメリカの一大ロックフェス,コーチュラへの出演が報じられたのを機会に踏ん切りをつけて購入することにした。
アルバムの1曲目,タイトルトラックの「BADモード」冒頭。
彼女は次のように歌っている。
いつも優しくていい子な君が
調子悪そうにしているなんて
いったいどうしてだ,神様
そりゃないぜ
そっと見守ろうか?
それとも直球で聞いてみようか?
傷つけてしまわないか?
宇多田ヒカル「BADモード」
抽象的な表現は一つもなく,感じたことや迷いが率直な言葉で語られている。
この曲には「BADモード」というタイトルがついているが,これは単に調子が悪い状態を表す意味ではない。
「絶好調でもBADモードでも君に会いたい」
との歌詞があるように,「どんな状態でもあなたの支えになりたい」というメッセージを内包している。
先月だったか,久しぶりにテレビで彼女を観た。
歌う前のインタビューで
「人を頼ることって,私はいいことだと思うんです。」
と語っていた彼女。
「人間宣言」の後,結婚して子供が生まれて,子育てをする中で,これまでの価値観と変わってきたものが当然あった筈だ。
等身大の言葉が,20年の時を超えてようやく私にも刺さった。
私自身も子育てをする親になったからだということも大きいのだろう。
私にとって「宇宙人」だった彼女の言葉が,今では隣人のような温かみを持って響いてくる。
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ところで,件の「BADモード」について,私と妻の間でちょっとした論争が勃発した。
この曲に登場する「君」は誰なのか問題である。
私は「恋人」,つまり男性であろうと推測した。
妻は「友達」,つまり女性ではないかと言うのだ。
「いつも優しくていい子な君」という歌い回しが女の子っぽいと主張するのだ。
そうかな?
いや,絶対恋人だと思うのだけど。
メール無視してネトフリでも観て
パジャマのままで
ウーバーイーツでなんか頼んで
お風呂一緒に入ろうか
なんて言ってるけど,友達と一緒にお風呂なんか入るかな?
どうでしょうか。。
どうでもいいんだけど妙に気になります。
レッチリの「次」を直近2作品から占う
レッチリの新作が出るそうな。
お恥ずかしいことに,全然動向を把握しておらず,普段から交流させていただいている,トビウオギタオさんのブログを読んでから知った。
「rockin'on.com」を確認すると,なんと7月25日に記事が出ていた。もう1ヶ月くらい前になる。
ニューヨーク駐在ライターの,中村明美さんの「ニューヨーク通信」には,以下のようなバンドの声明文が出ていた。
これまでもそうだったように,俺達は,自分達がバンドとしてなにかを探求していた。
楽しいから,ジャムをしたり,昔の曲を思い出しながら演奏したりしていたら,すぐに新しい曲ができ始めて,バンド内で美しい化学反応が起きて,音とビジョンが生まれてきたから,それを掘り続けた。止める理由もなかったんだ。
それは夢みたいで,結果どうすればいのか分からないくらいの曲が誕生した。
それで考えて,2作目の2枚組を出すということにしたんだ。」
「rockin'on.com」7.25 中村明美の「ニューヨーク通信」
この記事を読んでいると,現在のメンバーの関係が極めて良好であることがうかがえるし,ギタリストのジョンが復帰したことは,バンドにもよい影響を及ぼしているようだ。
レッチリは,今年4月に6年ぶりのオリジナルアルバムをリリースしたばかりだった。
4月に出た「Unlimited Love」についてのレビューをそのうち書こうと思っていたけど,そのうちと思っているうちにもう新作の一報を聞くことになるとは。
今回の記事では,レッチリの直近2作品についての分析から,来るべき新作を占っていこうと思う。
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「Unlimited Love 」(2022)は「安住の地」へ還ったアルバムだった
まずは4月にリリースされた「Unlimited Love」。
この作品は,ギタリストのジョン・フルシアンテがおよそ10年ぶりに復帰した作品として注目された。
ジョンの復帰について,ベースのフリーは,インタビューに以下のように答えていた。
フリーはラジオ局KROQの取材で,ジョンがバンドに与える影響について,「俺達は全員が同じ言語を話す。だからジョンがバンドにいると,言葉を交わさずにお互いがコミュニケーションできて,流れ出る感じでどんどん曲が作れるんだ」と言っていた。「ブラック・サマー」は,まずジョンの演奏で始まり,そこに彼らが演奏を加えて行って,最後にアンソニーが歌詞を乗せるという従来通りの方法で作られたそうだ。
「Unlimited Love」ライナーノーツより引用
まず,冒頭に紹介したバンドの声明文と同じような内容だと考えていいだろう。
レッチリとは,フリーが語るようにジャムの中で化学反応が起き,そのエネルギーが曲作りに直接反映されるバンドだ。
だから,メンバー間の関係がいいときには,どんどん作品ができてくる。
この「Unlimited Love 」はジョンの復帰ばかりが注目されたが,実は2作ぶりにリック・ルービンをプロデューサーに迎えた作品でもある。
リック・ルービンとレッチリの関係は誰もが知るところだ。
バンドを世界的に有名にした「ブラッド・シュガー・セックス・マジック」をはじめ「カリフォルニケイション」「バイ・ザ・ウェイ」などの代表作は全てリックのプロデュースによるものだ。
リックはレッチリのメンバーのよさを引き出そうとするプロデューサーだ。
彼らがジョンとフリーのジャムによって曲を生み出していく過程をよく知っているので,そこで生まれる化学反応を重視した。
結果としてライヴ映えのする素晴らしい楽曲も多く生まれた。
紹介している「Here Ever After」は,ごつごつした岩のようなフリーのベースソロからスタートし,ジョンが奏でる流麗なメロディーラインが印象的な佳曲。
こういう曲を聴いていると,「バイ・ザ・ウェイ」(2002年)を思い出す。
アンソニーも気持ちよさそうにラップを口ずさみ,4人は戻るべきところに戻ってきたんだなあという感慨を抱かずにはいられないナンバーだ。
しかし,アルバムをトータルとして聴くと,後半はやや冗長になってしまっている印象は拭えない。
もともとアルバムのボリュームは多いのが彼らの特徴ではあるが18曲77分(日本盤ボーナストラック含む)は長すぎる。
来るべきところに戻ってきたことは,最初の5曲で十分に確認できる。
ジョンの復帰と,リック・ルービンの再起用ということで,「安住の地」に還った彼らは,きっと創作の喜びを抑えきれなかったのだろう。
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「The Getaway」(2016)は変化を求めたアルバムだった
ところで,ジョンが復帰する前はどうだったのかというと,2016年に「The Getaway」という作品が出ていた。
このアルバムは勿論,ジョン・フルシアンテの不在時(2009年~2019年)に制作された。
はい,はっきり言います。
私はこのアルバム,かなり好きです。
「カリフォルニケイション」の次か,一番でもいいかも。
この時期のギタリストはバンドのサポートから正式メンバーとなった,ジョシュ・クリングホッパー。
アルバム「The Getaway」はジョシュ加入後2作目のアルバムだった。
このアルバムのライナーノーツには,ジョン脱退後のバンドの様子が次のように書かれている。
ジョンはバンドにとってかけがえのないギタリストであると同時に,ファンからも熱烈に支持されていた。だからレッチリの黄金時代は,ジョンとともにあったと言ってもよいだろう。
ただ,ジョンと別れたことによって彼らが新しく得たものがある。それは『アイム・ウィズ・ユー」に明らかに現れていた。ジョンの天才的なギター・サウンドによって埋め尽くされてしまっていたスペースに空きができたことで,他の3人が以前よりも自然に呼吸できるようになり,3人とジョンが生み出してきた音に心から敬意を払いながら若いエネルギーを注ぎ込むジョシュと楽しくジャムする中で,非常に健康的なケミストリーが生まれたのだ。その意味で,前作はレッチリ再生のアルバムだった。
「The Getaway」ライナーノーツより引用
ジョシュは自己主張の強いギタリストではない。
ジョンは天才的なメロディ・メイカーで,もう一人の天才ベーシスト・フリーと(自覚せずとも)バンドのイニシアチヴを奪い合うような関係性だったのに対し,ジョシュはあくまでバンドの一機能としての役割を全うしようとしていた。
そんなジョシュのスタイルに,他のメンバーも最初は戸惑っていたが,やがてそれぞれの役割を再確認し,再びバンドに新しい化学反応が生まれたのが,この「The Getaway」というアルバムだ。
ジョシュの功績ともうひとつ,忘れてはいけないのが,この作品をプロデュースしたデンジャー・マウスの存在だ。
デンジャー・マウスとのアルバム制作の様子が,「ロッキング・オン」に書かれていた。
レッチリは,過去の自分を模倣するのではなく変わることを選んだ。プロデューサーがリック・ルービンからデンジャー・マウスに代わり,さらにミキシングにナイジェル・ゴドリッチを起用した。バンドの意思を何でも受け入れてくれ,バンドにとって心地よい環境を整えてくれるルービンに代わり,馴染みのない若手を起用し,あえて軋轢の中で作業することを選んだ。これまで作り溜めてきた曲をデンジャー・マウスにすべてダメ出しされ,仕方なくいちから曲を作っていったというエピソードが最高だ。(中略)
その成果ははっきりとアルバムに表れている。ライヴ的なエネルギーを重視した開放的なバンド・サウンドというよりも,これまでになく密室感の強い音作り。音数が少なく,シンプルで無駄のないアレンジと響きを重視した空間的なサウンド・プロダクションは,同じデンジャー・マウスがプロデュースしたベックの「モダン・ギルト」に通じるものがある。
text by 小野島大 「rockin'on」2017.1より引用
デンジャー・マウスが得意とするのは,文中にもあるような「密室感の強い音作り」。
非常にタイトで,洗練された音作りをするのがデンジャー・マウスだ。
言及されているベックの「モダン・ギルト」は2000年代後半にリリースされた作品だが,私はこの作品はベックのディスコグラフィーの中でも1,2を争う傑作だと思っている。
音数をできるだけ減らし,アレンジよりも楽器の生音や声の響きを重視した音づくりへの追求により,40分という短い時間ながら非常に聴き応えのある作品となった。
この「モダン・ギルト」によって,曲作りの新たな可能性を見出したベックは,その後「モーニング・フェイス」「カラーズ」といった2010年代を代表する傑作を立て続けに作り上げた。
先述のベックでの成功例でも分かるように,デンジャー・マウスがレッチリに対してとったアプローチもまた同じであった。
「シンプルで無駄のないアレンジと響きを重視したサウンド・プロダクション」
レッチリの面々にとっては,面白くないことも多かったことだろう。
自分たちからすれば,10歳以上年下の「小僧」から何度もダメ出しを受けるわけだから。
しかし,アーティストとしての成長を考えれば,このような「方法」はあながち間違いとは言えない。
己の実績の上に胡坐を掻いていては,そのうち「裸の王様」になり果ててしまうことは目に見えているのだから。
「The Getaway」に収録されている「Go Robot」を聴いて頂ければ,デンジャー・マウスがいかにシンプルな音作りを心がけているのか伝わるはず(MVは癖が強いが笑)。
ジョシュのギターも波間からたまに顔を出すように巧みにサウンドの波を泳いでいる印象。
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では,新作はどうなるか?
新作リリースは10月らしい。
ジョン復帰後2作目となる新作はどうなるだろう。
メンバーが語るには,二枚組の大作となる予定だという。
ヒントは,デヴィッド・ボウイのラストアルバム「★」だろう。
ボウイのこの作品は,10年ぶりの復帰作後の2作目で,以前タッグを組んでいたプロデューサー,トニー・ヴィスコンティと再び手を組んでからの2作目でもあった。
さらにボウイは,この「★」で,ジャズを大胆に取り入れたサウンドで見事に「死」という自らのテーマと向き合い,有終の美を飾った。
ボウイのように,勝手知ったるプロデューサーと共に新たな試みにチャレンジしていけば,新作はきっと素晴らしいものになる。
フリーやジョンがいい意味で切磋琢磨し,そこに新たなバンドのケミストリーが生まれてくれば。
一つ言えることは,変化を恐れないことだ。
常に新しい刺激とともに化学反応を起こし,成長してほしい。
だって,彼らの名前は「レッド・ホット・チリペッパーズ」なのだから。