レッド・ツェッペリン,その音楽性とファッション
まだガラケーを使っていた頃,たぶん2008~10年頃だと思う。
当時は「着うた」というのが流行っていて,携帯電話の着信音をお気に入りのアーティストの曲にする者が多かった。
私は電話着信をオアシスの「ヒンドゥ・タイムズ」にしていた。
そして,目覚ましで流れる曲はレッド・ツェッペリンの「聖なる館」であった。
当時は朝4時起きで身支度をし,5時半くらいの始発に乗って出勤していた。
早朝からあの強靭なギター・リフが鳴り響き,目覚めていたのはだいぶ前のような感じがしていたけど,気づけばもう10年以上の歳月が過ぎていた。
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レッド・ツェッペリンの音楽が持っていた革新性
レッド・ツェッペリンは,主に活動していた70年代に出したレコード全てが名盤と言ってもよい評価を受けているが,私が一番愛聴しているのは75年に出た「フィジカル・グラフィティ」である。
この作品で,彼らのもともと持っているヘヴィーさと繊細な芸術性のバランスが,最も高みで噛み合っていたのではないだろうか。
ジミー・ペイジの独特の「間」を生かし切る,ジョン・ポール・ジョーンズとジョン・ボーナムの鉄壁のリズム隊,”第四の楽器”としてバンドの音となることに徹しているロバート・プラントのボーカル。
ツェッペリンの音楽において,”主役”はあくまでジミー・ペイジのギターである。
彼らの曲を想起するときに,真っ先に頭の中に流れてくるのは,ロバートの「声」ではなく,ジミーが奏でるギター・リフではなかろうか。
そういう意味でもレッド・ツェッペリンは,バンド・サウンドの概念を根本から変えた革新的なバンドであったと言ってもよい。
この記事を書きながら,久しぶりに「フィジカル・グラフィティ」を聴いているが,私の陳腐な文章力では表現しきれない,素晴らしい作品だ。
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レッド・ツェッペリンのファッション
今年夏に出た「ロッキング・オン」8月号では「70年代ハードロック伝説」と銘打って,70年代に活躍したハードロックバンドを一挙紹介しているが,「70年代」「ハードロック」というワードが並べば,主役はレッド・ツェッペリンのものであろう。
事実,特集の巻頭ページには,腰に手を当てたロバートの写真が使われていた。
上の写真であるが,長髪に胸毛やヘソを見せるというスタイル。
こんなスタイル,今ではまず考えられないが70年代には同じように前をはだけているミュージシャンは驚くほど多い。
ディープ・パープルも,ジューダス・プリーストも,キッスもクイーンもみんな胸毛を出していた。
でも,60年代はそうでもなかった。
ビートルズも,ストーンズも,60年代はきちんとハイネックのセーターにジャケットを羽織って演奏をしていた。
そうした「既存のロックスター」への反骨心の表れなのか。
ともかく,70年代以降はデヴィッド・ボウイなど,ファッションで自らのアティチュードを表現するアーティストが多く出てきた印象がある。
大きめバックルのベルトに,タイトなジーンズ。
隣のジミー・ペイジもやはり柄シャツの下は裸。
ヒッピームーブメントの名残もあるのだろう。
それでも,彼らの奏でる音楽はともかくクレバーだし深淵だし,そのビジュアルを含めて何か有無を言わさぬ説得力があった。
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2007年,O2アリーナでの一夜限りの再結成ライブ
ドラムスのジョン・ボーナムが1980年に急逝して以降,基本的にはバンド活動を停止しているツェッペリンだが,節目ごとに数回の再結成ライブを行っている。
その中でも,最も評価が高かったのが2007年12月にO2アリーナで行われたアトランティック・レコード創始者,アーメット・アーティガンの追悼チャリティコンサート。
このライブの模様は日本でも大きく報道された。
翌日,朝の報道版組を観ていたら現地入りして再結成ライブを聴いたらしい女優の沢尻エリカが
「ツェペリン,最高~♪」
と軽い調子でリポートしていたのが妙に印象に残っている。
まあしかし,彼女が「最高」と言ったことはもあながち間違いではなかったようだ。
1か月後,ロッキング・オンに詳細なライブレポートを書いた渋谷陽一の記事を読んでも,ジミー・ペイジらがこの再結成ライブに向けて並々ならぬ意気込みをもって準備を重ねてきた様子は伺うことができた。
ちなみにこの再結成ライブにおいて,ボンゾ(ジョン・ボーナム)の代役は息子のジェイソン・ボーナムが務めた。
少し横道にそれるが,以下はこのO2アリーナでのツェッペリン再結成ライブを観た渋谷陽一によるレポート記事の引用だ。
個人的にはこれまで20年近く読んできた渋谷の記事の中でも,最も胸を打つ文章になっていると思う。
ツェッペリンは曲に宿り,ツェッペリンはグルーヴに宿っているのである。それを導き出すのはメンバーだが,あくまで彼ら自身がツェッペリンであろうとする覚悟と準備がない限り,ツェッペリンのマジックは降臨しないのである。そのことに,ようやく彼らは気づいたのである。ジェイソンもそうだ。彼はこのバンドが要求するドラムとは何かを徹底的に考え抜き,そこと向き合った。チューニングも父親と全く同じにしたのではないか。本当に素晴らしいドラミングであったが,痛々しいほどにストイックであった。それはメンバー全員に共通するものである。
NYで観たペイジ・プラントのライブで,ジミー・ペイジはサイド・ギターを弾いていた。そのときも何曲もツェッペリン・ナンバーが演奏されたが,そこにはツェッペリンは存在しなかった。ロバート・プラントのボーカルも,ツェッペリンと向き合っているとは思えなかった。僕は,今回の再結成がその再現になることを,本当に怖れていた。それは,ツェッペリンに対するメンバー自身による裏切りである。
しかし予想は,嬉しい方向にはずれ,ツェッペリンは僕達の前に出現したのである。
特にジミー・ペイジは素晴らしかった。自分がツェッペリンにとって何であるかに自覚的なプレイに徹底していた。
ロバート・プラントも,ジョン・ポール・ジョーンズもそうであった。自分にとってのツェッペリンが問題なのではなく,ツェッペリンにとって自分がなにであるかが問題なのである。
そのことに全員が気づいたとき,本当にツェッペリンは復活したのである。信じられないが,本当にレッド・ツェッペリンは復活したのである。
Text by 渋谷陽一「rockin'on」2008.02
この日のツェッペリンの面々のファッションは,追悼ライブということで,ロバートは黒シャツ,ジミーも黒いジレに白シャツという至って地味なものだった。
「ツェッペリンは曲に宿り,ツェッペリンはグルーヴに宿っている」
彼らと同世代もしくは後進のハードロックバンドの中には,今でも当時と同じように,もしくは当時以上に煌びやかな衣装でステージに上がるバンドも少なくはない。
エアロ・スミス然り,キッス然り,ガンズ然り…。
しかしツェッペリンは,自らを衣装で記号化する必要はない。
本質は,その音に宿っているのだから。
最後に,「フィジカル・グラフティ」から「聖なる館」を。
稲妻のようなギター・リフだ。
いつ聴いても,聴く者に清新な驚きを与えてくれる。
「スラムダンク」レギュラーメンバーの私服をチェック
今朝,普段からブログを通して交流させていただいている,服地パイセンさんが新しい記事をアップされていた。
そこで,スラムダンクの桜木花道が履いていた二代目のバッシュ(初代はバッシュ店のオーナーから30円で買った復刻版プレミアシューズ),エアジョーダン1ブレットパテントをレビューされていた。
あの,赤黒のクールなバッシュだ。
私はスラムダンクのアニメが放映されていた頃小学校高学年だったので,アニメを観る世代としてはど真ん中世代である。
毎週,30分の放映時間なのに,試合(特に陵南戦!)時間的には3分間しか進まないという「精神と時の部屋」状態の遅々とした展開を手に汗握りつつ楽しみにしていた。
ところで,この「スラムダンク」のレギュラーメンバーはどんな私服を着ていただろうか?
当ブログは一応,ファッションブログとしての側面も持っているため,以前から気になってはいたが,我が家に揃っているデラックス版全24巻を1ページずつ捲って検証するのはさすがに・・・と思ってしばらく放置企画となっていたが,映画の公開も迫っているため,一念発起して調べてみることにした。
で,結論である。
スラムダンク(以下スラダン)のレギュラーメンバーが,原作中で私服を着ているのは,全シーン中1%にも満たない。
ほとんどがユニフォームか練習着,学生服である。
その中でも貴重な私服ショットは,一人一回,よくて二回くらいである。
今回は,そんな希少なショットの中から,彼らのファッション傾向について検証したい。
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1 桜木花道(湘北#10)
まずは主人公,桜木花道である。
彼の普段着は基本的にタンクトップに短パンである。
ユニフォーム以外ではほとんどタンクトップ短パン。
たまに学生服。
そんな桜木が珍しく私服を着ていたのは,街でパチンコ屋に並んでいたところを,牧と清田に発見されたシーン。
桜木軍団と一緒である。
画像では,ルーズなスラックスにこれまたオーバーサイズ気味の白Tシャツというシンプルなスタイル。
実は桜木の私服ショットは髪が長い時期にも一度あったのだが,その時にもやはり白Tシャツをジーンズにインしていた。
派手に見える桜木花道だが,意外にも私服ではシンプルなスタイルが好みなようだ。
2 流川楓(湘北#11)
二人目は天才・流川。
絶対的ポイントゲッターとして,湘北のオフェンスを引っ張った。
そんな流川の私服姿は,安西先生の自宅にアメリカ留学を直訴に行った時に見られる。
黒のカットソー,襟にはシンプルな柄が入っている。
飄々とした流川らしい,落ち着いてどこか品のあるコーディネートだ。
ちなみに,これは私服というか運動着だが,私は流川が休みの日に自転車でバスケットコートに自主練に赴いた時のスタイルが結構好き。
ナイキの上下のようだけど,結構スタイリッシュですね。
3 赤城剛憲(湘北#4)
三人目は頼れるキャプテン,ゴリこと赤木。
赤木も一度だけ私服姿を披露している。
桜木花道が
「どうしたら反則しないでプレーできるんだ?」
と自宅に相談に訪れたシーンだ。
この時の赤木は,黒のニットをジーンズにインするというスタイル。
これまたシンプルで,質実剛健なスタイルだ。
いかにも,という感じ。
個人的には,たまにコンバースのジャージをセットアップで着ている赤木はとてもクールに見える。
ちなみに赤木はバッシュもコンバースでした。あれ格好いいんですよね。
4 三井寿(湘北#14)
四人目は,不屈の3ポイントシューター,三井。
スラダンでも屈指の人気を誇る三井は私服もやはりかっこよかった。
デラックス版の5巻で,旧友の鉄男に別れを告げるシーン。
ジャケットに白Tシャツ,ジーンズというシックなスタイル。
作中,私服でジャケットを羽織っていたのは,(安西先生以外)彼だけである。
三井の生き様は確かに胸を打つ。
私服もクールだ,さすが三井。
番外編
5 仙道彰(陵南#7)
ここからは番外編。
つまり湘北メンバー以外だが,まずは準レギュラーといっていいこの男。
陵南のエース仙道。
私は陵南関係者が結構好きで,特にこの仙道と監督の田岡茂一は一押しである。
クレバーなプレーはいつも湘北の脅威であり続けた。
そんな仙道の私服がこちら。
先述の流川が,安西先生宅からの帰路で偶然鉢合わせになった場面。
オーバーサイズ気味の黒Tシャツに,ややルーズなチノパンか。
爽やかなルックスの仙道らしく,シンプルで好感のもてるコーディネートだ。
差し色のシューズかっこいいな。
6 フクちゃん(陵南#13)
最後は陵南のジョーカー,フクちゃんこと福田吉兆。
凄腕のテクニシャンで手強いライバルではあるが,どこか憎めないところもあるフクちゃん。
そんな彼の私服は,意外にも初登場シーンで早くも拝める。
桜木花道と邂逅したシーンである。
ちなみにこのシーンでは,何とか桜木とコンタクトを取ろうと近所の子供を二度使いに送ったが,二度とも子供たちが桜木花道の頭突きを食らって失敗している。
しかし,そのファッションはなかなかいけている。
ロゴ入りの白Tシャツ,オレンジのスラックス,バッシュ。
シルエットや色彩バランスもいい感じ。
私はスラムダンクのレギュラーメンバーも含め,私服姿が最もお洒落なのはこのフクちゃんではないか,と思っている。
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ということで,スラムダンクのレギュラー,準レギュラーの私服姿をチェックしてみたが,一つ言えることは皆わりとシンプルなスタイルをしていること。
そして,バスケットマンである彼らが一番格好いいのは,やはりユニフォーム姿の時であるということだ。
それでは,最後に,スラムダンクといえば,私の中ではこの曲です。
熱いです。
濾紙で淹れたコーヒー
あなたは,濾紙でコーヒーを淹れたことがあるだろうか?
いきなり何を言い出すのだこいつはという感じだけど,私はあるのだ。
「濾紙」というのは,理科の実験で濾過に使うやつだ。
なんでそんなものでコーヒーを?と思うだろうけど,「好奇心」としか答えようがない。
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今から5年前,私は「研修員」という肩書きで出先機関で仕事をしていた。
仕事と言っても,やることは研究だけなので,年度末の研究報告に向けて資料収集や実地調査なども行なっていたが,主に研究室に詰めてデータ分析や論文の推敲をする日々だった。
研究室には,私と同じ様に現場から派遣された研修員が10名前後いた。
皆,現場では10年以上の経験を積んだ中堅どころばかりだったが,当時30代前半だった私はメンバー中最年少だった。
おかげで年嵩の先輩たちには可愛がってもらった。
この研究室にはOBが寄贈していったコーヒーメーカーがあって,各自一息入れたい時にホットコーヒーを淹れていたのだけど,ある時誰かが,研究室に濾紙が置いてあるのを見つけたのだ。
そこでまた他の誰かが,
「これで淹れたコーヒーは美味いだろうか?」
と冗談のようなことを言い出した。
毎日研究ばかりやっている連中なので,好奇心は本物だ。
「いや,不味いでしょ,絶対。」
という(分別のついた)人もいたが,私がどちら側の人間だったかは言わずともお分かりだろう。
真っ白な濾紙に,モカブランドの挽き豆を入れ,お湯を注ぐと豆の香ばしい香りが漂ってきた。
これはひょっとすると?
待ち切れず,先輩の一人が恐る恐るコーヒーカップに口をつける。
そして,何とも言えず妙な顔になった。
私も,自分のカップに淹れた濾紙コーヒーに口をつけてみる。
たちまち,薬品の香りが口の中に広がった。
「これは飲めたもんじゃないですね。」
と,先輩たちと力なく笑った。
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なぜこんな話を思い出したのかと言うと,KIRNJIのアルバム「11」を聴いていたら,同じような情景を歌った曲があったからだ。
それは,「だれかさんとだれかさんが」という曲だ。
授業終わりの理科室に
お湯の沸く音 シュルルルー
濾紙と漏斗とビーカーで
淹れたコーヒー 不思議な味
こんな歌い出しで始まる曲だ。
作詞をした堀込高樹氏の実体験に基づく話のようにもとれるが,使用したのが濾紙と漏斗とビーカーだ。
「不思議な味」どころか,薬品臭くて飲めたもんじゃないと思うのだけど。
敢えて表現するなら,「不気味な味」であろう。
私が飲んだのは,「濾紙」だけが異質で,サイフォンもカップも飲食用だった。
全て実験器具で沸かしたコーヒーというのは,ストーリーとしては面白いのだけどあまりに現実感がない。
他にも「アルコールランプの青い炎をかこんで話そう」とか「人体模型と背比べ」といった破天荒な歌詞が出てくる。
堀込氏と自分では比較のしようがないけど,歌詞にしてもブログの記事にしても,文章を書く身として全くの想像でというのは難しいものだ。
だから,ひょっとしたら実体験に基づいているのかも知れない。
だとしたら,凄いですね。
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昨年の9月からこの「音楽と服」というブログを始めて,また新しいCDを買うようになった。
一番買っていた時期は年間5,60枚ずつくらい増えていたが,ここ数年は年間10枚も買っていなかった。
ところが,昨年から今年にかけては既に30枚以上購入している。
昔から好きだったアーティストに加え,最近ではジャズやクラシックにも触手を伸ばし始めている。
邦楽のアーティストで,ここ一年間で一番聴いたのは間違いなくKIRINJIだろう。
世間的には評価が高いのはデュオ時代だが,私が一番面白いと感じてるのは,2013年から2020年までのバンド編成期だ。
中でも,キーボード奏者のコトリンゴが在籍した四年間は,曲作りのアイデアやアレンジが多様で,それでいて不思議な品の良さと可愛げのあるサウンドに仕上がっていて聴いていて非常に愉快だ。
先述の「だれかさんとだれかさんが」も,堀込とコトリンゴの掛け合いが爽やかな風のように吹き抜けていく独特な雰囲気を奏でるナンバー。
ぜひご一聴を。
あのころ,ドーナツと。
土曜日には,子どもたちをプールに送った後の「黄金の1時間」がある。
最近はケンタッキーに行ってチキンとコーヒーを注文して本を読むことが多いのだけど,昨日はプリンターのインクが切れていたので,隣のイオンに買い出しに行った。
ついでに行きつけのCD屋で小澤征爾さんが指揮をしているサイトウ・キネンオーケストラのCDを。
本屋に行ったら,ブルータスが村上春樹特集を組んでいたので思わず買ってしまった。
村上春樹がダンキンドーナツが好きなのはわりと知られているが,今回のインタビューでもドーナツ愛について語っていた。
村上 ダンキンドーナツは,ドーナツとダンキンのまずいコーヒーを一緒に飲んで食べるのがいいんです。
ー何ですか,そのドグマみたいな。
村上 うん。そのまずいコーヒーが不思議と合うんです。ドーナツとね。ハーヴァードの大学生の集まるところで映画を観た時に,たまたまね,スターバックスとダンキンが出てきたんです。するとね,スターバックスではみんなブーイングなんです。でも,ダンキンが出てくるとウワーッと拍手する。それくらいニューイングランドのダンキンドーナツ愛っていうのはすごいんですよ。
コーヒーとドーナツ。
このくだりを読んで,私の記憶の扉が一つ開けられた。
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私が社会人になってすぐに借りた賃貸マンションは,福岡の中心地・天神と学生の街・西新の中間地点あたりにあった。
西日の当たる7階の,6畳一間。
大通りから路地に入ってすぐの交通の便のよい場所で,通りの反対側には商店街もあった。
自転車を5分走らせれば,自然豊かな大濠公園がある。
ここは,福岡城の西側にあった巨大な堀,「大堀」周辺を再開発して造られた県営公園だ。
福岡に住んでいると,天気ニュースなどでよく映るので,知っている人も多いだろう。
このミスタードーナツは1970年代からある老舗で,店内に小型のメリーゴーランドがある珍しい店舗だ。
私は一人暮らしを始めて間もない頃,毎週のようにこのミスタードーナツに足を運んだ。
訪れるのはいつも土曜日。
前の日が金曜日なので,大抵深酒していた。
二日酔いで8時前に目が覚め,歯磨きと着替えを済ませると,仕事道具をバッグに詰め込み,自転車に飛び乗る。
注文するのは決まって,オールドファッションとフレンチクルーラー,あとはミルクを入れたホットコーヒー。
あの頃はまだ店内で煙草が吸えたので,ドーナツを食べた後はたまにコーヒーに口をつけながら一服していた。
店内は吹き抜けになっていて,陽の光がよく入ってきていた。
朝日を鈍く反射させたメリーゴーランドの光を横目に,読書に耽る時間はなかなか贅沢なものだった。
1時間くらいゆっくりしたら,支払いを済ませてそのまま隣の大濠公園へ。
お堀沿いにはベンチがあり,そこに座って再び煙草に火を点ける。
この頃吸っていたのは,ラッキー・ストライクのメンソールだ。
休日出勤前の一服。
水面をぼんやり眺めながら煙を吐き出していると,対岸からサックスの音が聴こえてくることがあった。
誰かが,サックスの練習をしているのだった。
たどたどしい音だったが,それも何処か郷愁を誘うところがあって,その情景と音は,春の柔らかな風と薄い空の色とともに記憶の底に沈んでいた。
私の,ドーナツにまつわる記憶の断片だ。
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昔読んだ,さくらももこさんのエッセイに,ミスタードーナツの話があった。
お姉さんがミスタードーナツでバイトを始めて,一時期毎晩のように,お姉さんが持ち帰る廃棄予定のドーナツを食べていたそうだが,そのおかげで10年はミスタードーナツを食べる気がしなかったと書いてあった。
実は私も,毎週のミスド通いをニ年ほど続けた後,徐々に足が遠のき,しまいには通うことはなくなった。
多分,あの時期に一生分のドーナツを食べたのだろう。
あれから15年近く経つが,今でもミスタードーナツに積極的に行こうとは思わない。
それでも,たまにお店の前を通った時に漂ってくる,芳醇な香りには惹かれますね。
それと,達郎さんのあの曲なんかが流れてくるとね,また食べたくなるんです。
新車とクルマについてのアルバム
ようやく納車となった。
昨年10月に契約して待つこと1年と1か月。
当初予定されていた納期から遅れること9か月。
レンタカーを借りてから5か月。
ようやく納車となった。
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平成30年から今年の6月まで,足かけ4年間電車通勤をしてみて,痛感したのは私には無理だということだった。
電車通勤は初めてではないし,自分では割と辛抱強い性質だと思っていたので,慣れると対応できるだろうと高をくくっていた。
しかし,以前電車通勤をしていたのは新卒からの2年間で,仕事内容はバイトのようなものだったので,残業も持ち帰り仕事もなかった。
現在は残業が前提の仕事で,持ち帰り仕事も当たり前,責任も立場も以前とは比べ物にならないし,何より家族がいる。
この4年間は息子たちの送り迎えを妻に任せきりだったので後ろめたさも感じつつ,早く出ても接続の関係で帰宅に予想外に時間がかかったり,マナー違反の乗客に嫌な目に遭わされたりすることも少なくなかった。
本を読んだり好きな音楽を聴いたりする時間はあるけど,もうしばらくはいいかなあという感じです。
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ということで,久々のマイカーです。
「クルマ」に関連したジャケや曲というのはわりとあって,クルマが好きなアーティストも少なくないだろう。
そんな中で,私が一番に連想するのが,グレイプバインの「ランチェロ'58」だ。
この曲は2007年の8枚目,「フローム・ア・スモールタウン」に収録。
抜けるような青空を想像させる爽やかなナンバーだが,うねる強靭なグルーヴは,宿命的な何かを感じさせるサウンドだ。
この曲のモチーフになっている,フォードのランチェロはツアーTのデザインにも採用されており,随分着古してはいるが,今でも大切に保存している。
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続いては,オアシスの三作目「ビィ・ヒア・ナウ」のジャケット。
見ての通り,邸宅のプールにロールスロイスが浮いている。
サングラスをかけたリアムの前には,ベスパが置いてあり,古き良き英国の権威の象徴(ロールスロイス)と労働階級の象徴(ベスパ)に対するアティチュードを分かりやすく表現したジャケットだ。
ノエル自身が「失敗作」と言うし,評論家の間でも乏しい評価の同作だが,オアシス・フリークの中では結構人気のある作品ではないだろうか。
かくいう私も,学生時代にこのアルバムは何度も聴き込んだ。
没入できる確固たる世界観が,この作品には存在する。
2作目「モーニング・グローリー」よりもさらにコンセプチュアルで重厚ではあるが,オアシス史上最もクールなサイケデリック・サウンドが鳴っている。
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最後は,ベックの「ハイパースペース」(2019)。
カメラに向けて構える,白のセットアップに赤シャツを纏うベックの後ろには,トヨタ・セリカ・リフトバックの3代目。
この真っ赤な夕暮れと,真っ赤なセリカ,そして赤を挿し色にしたベックらしいハイセンスなジャケット。
レトロで,独特な雰囲気を醸し出している。
前作「カラーズ」がかなりポップに振り切った作品だったので,こちらはかなり内省的かつ実験的なサウンドが鳴っている。
良くも悪くも音楽的なトレンドは意識せずに,自身が鳴らしたいサウンドをストイックに突き詰めていくのがベックのスタイル。
2020年代に入ってからはまだ新作の一報を聞いていない。
そろそろではないかな,と思っているが期待したい。
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何はともあれ,いろいろあったけど新車はいいものです。
いろいろ新しい機能(自動運転とか自動ブレーキとか)も付いていて,設定次第でそちちらに切り替えられるそうだけど,基本的にはこれまで通り自分で操作したい。
何というか,便利になることはイコール人が自分でできることを放棄することにもつながって,結局は本来できることができなくなってしまう気がして。
困っている人をサポートする機能としては必要なものだと思うのだけど。
とは言え,Bluetoothは便利ですね笑。
ずっとCD,ラジオできたので,音楽に関しては沢山聴けた方が嬉しいですね。
最後に一曲,懐かしいグレイプバインの「ランチェロ’58」。
ライブの一曲目の定番曲でした。
アーティストに「中年の危機」は存在するのか?〜アラフォー時の作品を基に検証〜
ここ最近,アークティック・モンキーズ関連の記事を書くことが多いのだけど,フロントマンのアレックスが今年36歳ということを聞いた時には,驚いた。
彼らは18かそこらでデビューしてすぐに世界的に騒がれたので,あれから倍の時間の人生を過ごしていることになる。
私は来年いよいよ40歳を迎えるが,アーティストたちが自分と同じくらいの年齢の時に,どんな作品をリリースしているのか以前から気になっていた。
一般的には「不惑」とされる年齢だが,人生も折り返しに差しかかり,「本当に今のままでいいのか?」と迷いが生じることも多いと聞く。
私が「アラフォー」のアーティストの作品に注目し出したのは,以前コールドプレイのフロントマン,クリス・マーティンが新作を発表した際に,どこかの雑誌のインタビューで
「僕たちは30代のうちに,まだいいレコードが出したかったんだよ。」
みたいな発言をしたのを覚えていたからだ。
アーティストにとって,1stアルバムを超える作品をつくるのは至難の業だと言われている。
最初のアルバムは,試行錯誤する時間がたっぷりあるし,それまでの自分たちのすべてを出すことができる。
一方で1枚目が売れてしまえば,2枚目以降は限られた期間で制作しなければならないし,1枚目が評価された分,ハードルはより高くなっている。
これまで,1枚目が売れた後,2枚目,3枚目が尻すぼみに終わって消えていったアーティストのいかに多いことか。
アラフォーのアーティストとなると,キャリアで言えば20年前後になるだろうが,荒波を潜り抜けてきた彼らにも「中年の危機」は存在するのか?
3組のアーティスト(バンド)の作品から,紐解いていきたい。
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1 コールドプレイ
「A Head Full Of Dreams」(2015)
クリス・マーティン38歳
最初は,前述のコールドプレイ。
フロントマンのクリス・マーティンが38歳時のアルバムだ。
コールドプレイは二作目「静寂の世界」から五作目「マイロ・ザイロト」まで4作それぞれの売り上げが1000万枚を超えているという破格のモンスターバンドだ。
2000年代におけるロックシーンで,世界一の影響力を持っていたのがレディオヘッドなら,世界一の人気を誇っていたのは間違いなくコールドプレイだろう。
そんな彼らの6作目となるオリジナルアルバムだ。
このアルバムは前年にリリースされた5枚目のアルバム「ゴースト・ストーリーズ」の対になる作品と言われている。
つまり,内省的だった前作と対照的に,意識的にポップに振り切った作品と言える。
私個人的には,コールドプレイの作品の中でも3本の指に入るくらい好きな作品だ(あと二つは,名盤「ビバ・ラ・ビータ」と「マイロ・ザイロト」)。
彼らの一番の強みは,ポップな作品でも壮大さと親密さが奇跡的な塩梅でバランスを取っていること。
悪く言えば優等生過ぎる印象もあるが,おかげで大衆に受け入れられるという側面にもなり,彼らのメガセールスを支える一つの特徴にもなっている。
ある意味「開き直り」とも取れるこのポップ回帰の潔さが吉と出た,良作。
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2 オアシス
「Don't Believe The Truth」(2005)
ノエル・ギャラガー38歳
オアシスの6作目,「ドント・ビリーヴ・ザ・トゥルース」は,過去の記事でも何度か「後期オアシスの最高傑作」と言及している作品だ。
この作品では,リアム,アンディ,ゲムというノエル以外のメンバーも曲づくりを手がけるようになり,表情豊かで,かなりのクオリティを誇る楽曲が入っている。
この作品に出会ったとき私は大学四年生で,それ以前は邦楽ならハイスタ,ハワイアン6,ブラフマン,洋楽ならグリーンデイ,サム41,ゼブラヘッドと言ったパンク!メロコア上等!な,いわば流行りのシーン(日本においての)しか知らなかったのである。
結局,
「ポップで激しい音楽には勝たん!」
と信じて疑っていなかったわけだ。
ところがたまたま行きつけのタワレコのポップを見て,あのオアシスの新作か,じゃあ買ってみるか,と「ドント・ビリーヴ・ザ・トゥルース」の輸入盤を手にしたその日から始まった道が,今に続いている。
私は「ドント・ビリーヴ・ザ・トゥルース」に出会わなければ,ビートルズやローリングストーンズ,デヴィッド・ボウイを聞くこともなかっただろうし,フジロックに行くこともなかっただろうし,音楽ブログを書くこともなかっただろう。
今日,仕事帰りの車中でこのアルバムを久々に通して聴いたが,ここにはロックの持つ抒情性,パンク精神,エバーグリーンの煌めき,全てがある。
「ポップ?激しい?そんなん知るか。俺たちは,オアシスだ。」
リアム・ギャラガーはそんなことは言わないかも知れないが,少なくとも「俺たちはオアシスだ。」という強烈な意思表示が伝わってくる。
この「ドント・ビリーヴ・ザ・トゥルース」は「ロッキング・オン」が選ぶアルバム年間ベスト(2005年)に選ばれた。
そのテキストを書いた粉川しのさんの,最後の一文が痺れる。
そして,新たな黄金の10年の始まりを告げる「ドント・ビリーヴ・ザ・トゥルース」で初めてオアシスと出会ったあなたは、「ディフェニトリー・メイビー」でオアシスに出会ったかつての我々の次に幸せな十代であると信じていいはずだ。
私はまさに,「ドント・ビリーヴ・ザ・トゥルース」でオアシスと出会った世代なのだ(十代ではなかったが)。
だからこそこのアルバムへの思い入れも,ひとしおなのだ。
「新たな黄金の10年」は結局,「オアシス」という形態では実現しなかったけど,ソロになったノエルとリアムは,それぞれ素晴らしいアルバムを世に送り出している。
その出発点となった,この「ドント・ビリーヴ・ザ・トゥルース」がオアシスとの出会いであったことは,誇らしいことだなと思う。
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3 ベック
「Modern Guilt」(2008年)
ベック38歳
さて,最後はベックである。
彼は,当ブログの常連と言ってもいいほど登場回数が多い。
単純に,私が彼の音楽とファッションが好きだからという理由だけど。
このアルバムもまた,私がベックにはまるきっかけをつくってくれた重要な作品だ。
やはり今日,帰りの車中で全曲聴き直してみたが,ポップな曲は一つもない。
普通はキャッチーな,ちょっとアガるような曲が1曲か2曲あってもいいものだけど,このアルバムに関して言えば,そういうチャラついた曲は一つもない。
一曲単位で聴いていくと,地味な曲が多い。
でも不思議と全曲通して聴くと,漂っているような心地よい浮遊感があるのだ。
それでいて,作品全体からは張り詰める緊張感も感じられる。
「はじまり」から「おわり」に向かう物語が,ドラマチックに動いているような。
一曲ずつではなくて,10曲をひとつとして聴いてほしい・・・と提案されているような,そんな一体感を感じるのだ。
一つは,プロデューサーとして起用されたデンジャー・マウスの仕事だろう。
彼の真骨頂は「引くこと」。
無駄を極限までそぎ落とし,残ったもので勝負する。
ベックの場合は,そぎ落としてそぎ落として,最後に残ったのは,聴き手を捉えて離さない「アルバムトータルとして」のポップ感覚だ。
ベックの本質と言えよう。
この作品を出発点として,彼が2010年代に作り上げた二つの傑作が「モーニング・フェイス」と「カラーズ」だった。
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最後に
アーティストに「中年の危機」は存在するのか?
という主題で,3組のアーティストのアラフォー時代の作品について検証した。
結論から言えば,傑作揃いである。
では,アーティストに「中年の危機」はないのか?
これは,「否」であろう。
例えば,オアシスにとっては,2000年前後(ノエル30代前半)が最も人気や評価が下降した時期である。
ベックにとっても,同じ2000年前後の時期はポップに振り切るのか,フォーキーな感じでいくのか,はたまたヒップホップか,方向性を見失いそうになった時期でもあるようだ。
コールド・プレイにしても,前作「ゴースト・ストーリーズ」は商業的に成功したとは言えなかった。
つまり,彼らはアラフォーになる前に十分辛酸をなめてきているのだ。
そこでもがいて,もがいて,ようやく復活の一撃を見舞っているということなのだ。
そう考えれば,勇気が湧いてくる。
アラフォーでキャリアアップに留まらず,新しい自分たちの姿を発見し,さらなる成長の足掛かりにしている。
まだまだ,これからが面白いところだ。
寒い波止場で聴いた「北極猿」
いつも通り3時に目が覚めた。
周囲の景色がいつもと違うことに気づき,ホテルのソファベッドに寝ていたことを思い出した。
10月のはじめ,家族で小旅行に来たのだった。
旅行と行っても,家から30分ほどの,毎年のように訪ねている海辺のホテルだ。
家族を起こさないように,洗面所に移動し,歯を磨く。
起床してすぐの歯磨きは,数年続けている習慣だ。
風邪予防には効果がある。
歯磨きの後そろりと寝室のドアを開け,スツールを移動させる。
早朝に仕事をするのも長年の習慣だが,特に仕事がなくても目が覚めるので,そんな時は本を読むようにしている。
朝の読書の供にコーヒーは外せない。
確かホテル特製ブレンドがあったはず。
1時間程度読んだ本を閉じ,再びそろりと戸を開け,ティファールのポットにミネラルウォーターを入れ,スイッチを入れる。
・・・入らなかった。
コンセントを繋ぎ直しても,入らない。
壊れてるのだろうか。
フロントに電話すれば,代わりのものを持ってきてくれるかもしれないが,まだ5時前だ。
そんなはた迷惑なことをするのは,気が引ける。
でもコーヒーは飲みたい。
ないなら,買いに行こう。
ホテルから歩いて数分のところに,コンビニがあったはずだ。
ニット帽を被り,音をたてないように慎重に,クローゼットからカーキのオックスショップコートを取り出す。
一昨年無印で買ったものだが,白やボーダーTの上から羽織るだけで,アート書生っぽくなる感じがして重宝している。
まだ10月初旬だったが,夏から急に冬が始まったような朝で,ホテルを出ると冷たい海風が吹きつけてきた。
ポケットに手を突っ込み,ふと振り向くと,ぼうっとした照明に照らされたホテルが夜空に浮かび上がっていた。
数分かけて細い道を歩き,交差点のところにコンビニがあった。
しかし,閉まっていた。
どうやら24時間営業のコンビニではなかったようだ。
ついてない。
でも,コンビニ店員も働き方改革しないといけないのはわかる。仕方ない。
そんな日なのだろう,おそらく。
踵を返して,今きた道を戻る。
確か,道端に自販機があった。
せめてもの慰みに,そこで温かい缶コーヒーを買って帰ろう。
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やがて自販機が目の前に現れた。
しかし,全部「つめたーい」だった。
そりゃそうだ。
昨日まで夏だったんだから。
今朝急に冬になって,切り替わってるはずないよね。
そんな日なのだろう,多分。
諦めて,「つめたーい」エメマンを買う。
本当に冷たい。
ショルダーバッグしか持ってないので,握りしめて帰るしかない。
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ホテルの入り口に戻ったら,自動ドアが開かなかった。
よく見ると,出入り口に貼り紙がしてある。
「防犯のため,22時から6時までは施錠します。」
腕時計を見ると,5時半だった。
そうだよね。
夜中も出入り自由だったら危ないもんね。
そんな日なのだろう,きっと。
仕方ないので,ホテルの裏手にある波止場へ行くことにした。
まだ宵闇で薄暗いが,東の空は少しずつ白み始めている。
ベンチに座ると,一呼吸入れて,「つめたーい」エメマンのプルタブを開けた。
うん,冷たい。
やっぱコーヒーは熱いからこそコーヒーなのだ。
私には,こういう波止場というか,小型の船がたくさん浮いてる船着場を目にすると決まって思い出す映画があって,それは大学の頃観たアラン・ドロンの「太陽がいっぱい」だ。
親友を殺し,財産だけでなく恋人をも奪ったドロン扮するトム。
眩しい陽光が降り注ぐ海岸で,完全犯罪に酔いしれている。
しかし,港では頒布にくるまれた親友の遺体が引き揚げられ,彼の破滅を予感させる不気味すぎるラストシーン。
目の前で白み始めている静かな船の上では,無論そのような惨事が起きたことはないだろうけど。
コーヒーで温まることもできなかったので,音楽でも聴くことにした。
選んだのは,アークティック・モンキーズの「トランクイリティー・ベース・ホテル・アンド・カジノ」(2018年)。
ボーカルのアレックスが,友人からプレゼントされたピアノで作曲したとされる,静かだけど確信に満ちた一曲目,「スター・トリートメント」。
寒い。
缶コーヒーは,ただただ冷たい。
ベンチに置いたiPhoneからは,一語ずつ噛み締めるように歌うアレックス・ターナーの歌声。
以前,2010年代半ばまでのアークティックスについて記事にしたことがあるが,この2018年時点でもかなり激渋に生まれ変わっている四人の風貌。
70年代のロック・スターのような佇まいだ。
アラン・ドロンもびっくりする男前。
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夜がもうすぐ明ける。
なんで,こんな寒い朝に外で冷たい缶コーヒー飲んでるんだっけ?
きっと,そうなることに決まっていたのだろう。
そう思うことにしよう。
季節外れの寒さの,波止場の朝はちょっと忘れられそうにない。
後日談として。
このアルバム,「トランクイリティー・ベース・ホテル・アンド・カジノ」と地続きであるとされる最新作「ザ・カーズ」が先日リリースされた。
この最新作は,前作からさらに完成度を高めた,静謐でいて最高のロックを鳴らしている。
でも,この最新作を聴くたびに,私は「トランクイリティー・ベース・ホテル・アンド・カジノ」を聴いたあの波止場のベンチの朝を思い出すのだ。
そのうち,この素晴らしい最新作についてもレビューしたいと思う。