電気が走る職場
「電気が走る。」
これは比喩ではない。
言葉通りの意味である。
私の職場の話だ。
春から,
「うちの職場は静電気がヤバい」
と噂には聞いていた。
春から夏にかけては,湿気のおかげかさほどではなかったが,寒さが厳しくなるにつれ,その「ヤバさ」の全貌が露わになってきた。
まず朝。
タイムカードを処理するPCに触れた途端,パチっとなる。
自分のデスクに座り,引き出しに手をかけた途端パチっとなる。
コピー機の上蓋に手をかけた途端バチっとなる。
水道の蛇口をひねろうとした途端にバチっとなる。
同僚に書類を渡そうと,手を触れた途端パチっとなる。
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ともかく,金属系のもの(たまに人)に触れるだけで,高い頻度で静電気が走るのだ。
指先に少し弾けた感覚だけの時もあれば,骨まで響く感電レベルの時もある。
最近では,毎日
「パチッ」
「痛っ!」
と誰かが声を上げるのが日常茶飯事になってしまっている。
見ていると,程度の差こそあれ皆一様に被害には遭っているようだ。
何でも,フロアの床部分の素材がこの静電気の原因らしい。
事実,板張りになっている隣のスペースでは静電気は起こらず,オフィススペースだけが静電気の巣になっているのだ。
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だから最近では私も,不用意に何かに触れることは避け,その前に必ず絶縁体(木の机など)を触った後,まずはグーで軽く触れてからボタンを押したり物をつかんだりするようにしている。
ここまで念を入れても,グーにしている手にバチっとくることもある。
オフィスのあちこちに貼ってある,「静電気除去シート」に手を触れてからコピー機などに触れても,たまにパチっとくるのだ。
それならばと,コンビニで「グリップ」を購入してみた。
「グリップ」とは,軍手の指部分がゴムで覆われている,作業用手袋だ。
さすがにゴムで覆われた物を付けていれば,電気を通すことはなかろう。
グリップをつけて作業着姿で仕事をする私を見て,数人の同僚が笑いながら,
「コピー機の修理業者かと思った。」
と声をかけて行った。
こちとらふざけてるわけではない。
感電しないための必死の抗戦なのだ。
手袋をしているので多少手先の器用さには欠けるが,これで静電気を防げるなら安いものだ。
ところが,コピーを取っている最中に何となく横にあった鉄製のデスクの縁に触れると,残念なことにバチっときてしまった。
ここの静電気は絶縁体すら通すらしい。
実際,どういう原理で電気がゴムを通り抜けてくるだろうか。
昔,ゴムは電気通さないと習った覚えがあるのだが,あれは何だったのだろう。
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こんなオフィスで働くストレスは思ったより大きい。
いっそのこと床板を全部張り替えて欲しいと上にお願いしているのだが,莫大な費用がかかるため厳しいとのこと。
莫大な費用をかけてくれても全然いいので,早急に何とかしてほしいものなのだけど。
しかも,昨年度から在籍している同僚が言うには,ピークはまだ先で,二月くらいに最盛期を迎えるそうだ。
今より感電しやすいって,最早恐ろしさを通り越して,絶望しかないんですけど。
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そういえば,以前乗っていた車の乗り降りをするとき(特に降りる時)に,よくバチっとやられていた。
で,それは先輩からのアドバイスでドアを内側から開けて降りる際に,ドア縁を持ったまま降りたらいいということで試してみたら,静電気にやられることもなくなり,問題は解決した。
多分,絶縁体(ドア縁のプラスチック部分)に触れながら乗り降りをすることで,静電気を防ぐことができたのだろう。
それと同じ原理で,絶縁体に常に触れた状態であるならば,今の職場でも静電気を防ぐことができるのかもしれない。
先述の「グリップ」着用時にバチっとやられた時には,確かにグリップのゴム部分と指先の部分にわずかな隙間ができていた。
そうなると,木の棒かなんかを常に持ち歩くか…。
いや,でも両手に木の棒を持った人がウロウロしている職場なんて,怖いか。
それに木の棒を持ったまま細かな作業はできない。
うーむ。
何か,よい解決方法を知っている方はアドバイスをいただけたら有難いです。
「ロッキング・オン」年間ベスト新旧比較から紐解くシーンの変遷
毎年年末になると,「ロッキング・オン」が年間アルバムベストを発表する。
セールスや配信だけでなく,シーン全体に及ぼした影響なども加味し,編集部で厳選したトップ50である。
私は20代前半から「ロッキング・オン」を購読し始めて以来,この号を毎年楽しみにしている。
ところで,今年のランキングを見ながら頭に浮かんだのは
「だいぶシーンの淘汰が進んできたな。」
という感想だった。
私が購読を始めた当初のランキングと比べたらどう変化しているのだろう,と手に取ったのが2007年の年間ベスト号。
この年(2007年)は表紙にレディオヘッドが出ていて,年間ベストは彼らのアルバム「イン・レインボウズ」だった。
2007年と2022年。
15年を経て,音楽シーンはどんな変遷をたどっているのか。
ランキングを基に紐解いてみるのも面白そうだと思ったのが,今回の記事を書いてみようと思ったきっかけだ。
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「ロッキング・オン」年間ベスト新旧比較
どれでは多少ネタバレになるが,「ロッキング・オン」による年間ベストの新旧比較(2022年と2007年)だ。
まず2022年の2位にランクインしたのが,レッド・ホット・チリ・ペッパーズ。
彼らは今年2枚のアルバムをリリースしているが,今年2作目「リターン・オブ・ドリーム・カンティーン」のほうが評価された形だ。
確かにこちらの方がバンドの一体感がより感じられるし,グルーヴがある。
もう一作の「アンリミテッド・ラブ」は15位にランクイン。
ちなみに,2007年のランキングにレッチリの作品がないのは単純にリリースがなかったからで,前年(2006年)のランキングでは「ステイディアム・アーケイディアム」で見事に1位を獲っている。
6位には,アークティック・モンキーズの「ザ・カー」がランクイン。
前作からピアノをフューチャーした作風に大胆にシフトチェンジしており,今回もその路線を踏襲しているが,高い芸術性が評価された形だ。
2007年のランキングでも彼らの作品「フェイバリット・ワースト・ナイトメア」がランクイン。
この作品は彼らの2作目で,前年(2006年)に出た1作目に続いて2年連続の2位であった。
10位にはジャック・ホワイトの「フィアー・オブ・ザ・ドーン」がランクイン。
ジャックもレッチリ同様,今年は2作品をリリースした。
もう1作の「エンタリング・ヘヴン・アライヴ」は38位にランクイン。
2007年の時点では,ホワイト・ストライプス名義の作品「イッキー・サンプ」で3位にランクインしている。
2022年と2007年(2006年),15年の時を経てトップ10の座を維持しているのはこの3アーティストであった。
2007年のトップ10圏内アーティストで,今年(2022年)アルバムリリースがあったアーティストは他にもいる。
2007年の1位,レディオヘッドのトム・ヨークはザ・スマイル名義で夏にアルバムをリリースした。
このアルバム「ア・ライト・フォー・アトラクティング・アテンション」は21位にランクイン。
2007年「ネオン・バイブル」で5位だったアーケイド・ファイヤーは,2022年「ウィ」をリリースして36位にランクイン。
2007年に「ヴォルタ」で7位にランクインしたビョークは2022年,「フォソーラ」をリリースして24位だった。
考察1:時流に乗ったアーティストは賞味期限切れも早い。
私が今年の年間ベストをまず見て
「淘汰が進んでいる。」
と感じたのは,上位常連だったアーティストが下位,もしくはランク外に甘んじている状況を目にしたからだった。
例えば,2010年代半ばのランキングではトップ10圏内に入っていたチェイン・スモーカーズは今春,なかなかの良作(「ソー・ファー・ソー・グッド」)をリリースしたが,トップ50圏外であった。
また,2000年代にはトップ10圏内常連だったカサビアンも,今春復活作をリリースしたが,こちらは45位。
タフなシーンで生き残るというのは,一流アーティストと言えどなかなかに難しい。
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2007年当時は,ポストパンク・リバイバルとニュー・レイヴの狭間の年だが,このころのトレンドとして,ギター・ロックとダンスミュージックの融合があった。
そういう意味で,6位のザ・ビューや8位のクラクソンズは,まさしくトレンドの先端を走る時代の寵児だったわけである。
しかし,2022年現在においては,どちらのバンドも活動を停止している状況だ。
今年のランキングで7位に入ったリナ・サワヤマがインタビューで語った言葉が印象的であった。彼女はこう言っている。
単純に,今流行っているものにインスパイアされたら時代遅れになってしまうということを強く意識しているから,それをひっくり返すのよ。
RINA SAWAYAMSA「rockin'on 01 2023」より引用
彼女の言葉は,シーンにおいて生き残るとはどういうことなのかについて,一つの重要な答えを提示している。
考察2:生き残ったアーティストの共通点
15年の時を経て今でもトップ10圏内に君臨しているアーティストは,つまりその分シーンに対する影響力も維持しているということになる。
2022年現在で言うなら,レッチリ,アークティック・モンキーズ,ジャック・ホワイトということになる。
この3アーティストの共通点は,一言でいうなら「変化」である。
レッチリは,バンドを存続させてくれた功労者のジョシュ・クリングホッファーを脱退させるという痛みを負ってまで,ジョン・フルシアンテとのケミストリーを選び,賭けに出た。
それが奏功したのが今年リリースになった2作品だ。
アークティック・モンキーズは,貫いてきたギター・ロックを封印し,ピアノで作曲するという新たな境地に立って,バンドサウンドを再構築した。
そして,このバンドの表現力は格段に広がった。
2007年当時は当時のポストパンク・リバイバルブームのトレンド急先鋒だった彼らが,今でもシーンの先頭を走り続けているのは,自分たちの表現と真摯に向き合い,形にとらわれずに変化を重ねてきたことが大きいだろう。
ジャック・ホワイトは,様々なバンド形態(ホワイト・ストライプス,ラカンターズ,デッド・ウェザー等々)を経る中で自己の音楽性を見つめ直し,刷新し続けてきた。
「変化」を怖れず,挑戦と前進を続けることは,彼らが今でも多くの音楽ファンに愛されている一つの要因であるのは間違いないだろう。
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それにしても,今年は久しぶりにどっぷりと音楽シーンに浸からせてもらった一年だった。
ただ,今年のトップ10アーティストでまだ聴けていない人たちもいる(THE 1975やらブラック・ミディやら)。
昔の好きな曲もいいけど,新たな「時代の音」にもしっかりと耳を傾けていきたいですね。
200回目の御礼
おかげ様で,この記事が200記事目になります。
前回,100記事記念に,これまでの記事で登場回数が多かったアーティストをランキングで紹介するという試みを行いました。
ということで,今回も101記事〜199記事までで,登場したアーティストの回数を集計してみました。
「音楽と服」というコンセプトながら,この半年ほどの音楽的嗜好がかなり反映された結果になりました。
カッコ内は登場回数です。どうぞお楽しみください。
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第5位 KIRINJI(4回)
まず第5位だが,4回登場で4アーティストいる。
ちなみに第2位が3アーティスト(5回登場)いるので,2位の次はもう5位ということになる。分かりにくくてごめんなさい。
第5位一組目はKIRINJI。
個人的に今年一番の収穫はKIRINJIの魅力を発見したことだと言っていい。
一言で「KIRINJI」と言っても,その形態は時期によって様変わりしている。
第一期:兄弟(堀込高樹・泰行)でのデュオ
第二期:バンド(堀込高樹、田村玄一、楠均、千々崎学、コトリンゴ、弓木英梨乃)
第三期:ソロ(堀込高樹)
私が現在深掘りして行ってるのは第二期なのだが、一般的な認知度や評価が高いのは間違いなく第一期なので、KIRINJIの名盤発掘はまさしく金脈を探し当てるよう。
彼らの音楽の本質は間違いなくキャッチーな歌謡曲だと思うが,様々な音楽的アプローチによって,スタイリッシュに洗練されているのが素晴らしい。
第5位 アークティック・モンキーズ(4回)
第5位二組目はアークティック・モンキーズ。
今年11月に4年ぶりの新作をリリースした。
彼らはもともと,2000年代の後半にポストパンク・リバイバルの真打ちとして登場した,バリバリのギター・ロック急先鋒だった。
ソバカスだらけの少年たちが鳴らす尖りまくったギターサウンドは生意気で挑発的で,それでも不思議な高揚感を内包していて,「10代でこれだけ完成されていて,この後どこへ行くのだろう?」といらぬ心配をしてしまったほど。
その後彼らは2014年の5枚目「AM」で遂に全米・全英一位を奪取し,全世界600万枚以上のプラチナ・セールスを達成して世界制覇を達成する。
この成功で「シーンの流行にとらわれる必要がなくなった」(アレックス)彼らは,独自の路線を追究し始める。
前作「TRANQUILITY BASE HOTEL+CASINO」では大胆にピアノで作曲した作風にシフトチェンジした。
今作ではギター・サウンドも復活しているものの,基本的には前作から地続きである静かで懐の大きな世界観を維持している。
デビュー当時と同じバンドとは思えないが,だからこそ正しく成長を重ねてきた,偉大なバンドなのだと思う。
第5位 オアシス(4回)
第5位三組目はオアシス。
まあ私はハンドルネームの元ネタに使うくらいだから,基本的にオアシス関連の記事は多いわけです(前回100記事目のランキングでは8回登場の2位)。
再結成するかどうかというゴシップ記事を読むのもそろそろ飽きてきたが,ここ数年はギャラガー兄弟のソロプロジェクトがいよいよ充実してきたので,もはや必要感がかなり薄れてきた感もある。
それでもまあ,万一再結成が実現して,来日が決まろうもんなら,どんな手を使ってもチケットを取り,仕事を休んでもライブに行くと思うのですけどね。
それがいつになるのやら,現時点では全く見通しもないわけですが。
第5位 ジャック・ホワイト(4回)
第5位四組目はジャック・ホワイト。
個人的には,彼の2022年の活躍がとても嬉しかった。
ジャックのことはホワイト・ストライプスの後期からずっと追っかけてきたが,2020年代に入ってコロナを経ても尚音楽的成長を止めず,圧倒的な熱量の新作を叩きつけてきたことに拍手を送りたい。
観には行けなかったが,フジロックでは満を持してのヘッドライナー出演。
近い将来私が苗場の地に戻った時に,願わくば邂逅を果たしたいアーティストの一人でもある。
それにしても今年リリースした2作はどちらも本当に素晴らしかった。
枯渇することのないその才能と,本質を追究し続ける姿勢に改めてリスペクト。
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第2位 ベック(5回)
ようやく第2位の発表となります。
第2位一組目はベックで,5回登場。
ベックというアーティストは,意外と日本での認知度は低い。
年配のロックファン層からすると「ベック?ジェフ・ベックじゃなくて?」という反応だし,私と同世代(30~40代)のロック・ファンからしても,オルタナ(ニルヴァーナとか)とブリット・ポップ(オアシスとか)の狭間にちょっと流行ったヒップホップのお兄ちゃん(「オデュレイ」のヒットで)というイメージが強い。
しかし,ベックの本当の凄さは2000年代後半から2010年代にリリースされた作品群を聴いて初めて理解できる。
戦慄を覚えるほどに前衛的で,しかしポップで,1960年代後半の一番すごかった頃のビートルズを思わせるような充実ぶりなのだ。
特に2000年代の「グエロ」,「モダン・ギルト」。
2010年代の「モーニング・フェイス」,「カラーズ」は必聴。
騙されたと思って是非一度聴いて頂きたい。
第2位 ザ・ローリング・ストーンズ(5回)
第2位二組目はローリング・ストーンズ。
と言っても,バンドとしての登場に加え,ブライアン・ジョーンズ,キース・リチャーズ,チャーーリー・ワッツ関連の記事を加えたら5回も登場していた,ということだ。
20代前半頃,ビートルズと60~70年代のローリング・ストーンズのディスコグラフィーを聴き漁っていた。
ストーンズの音楽は,何というか猥雑で中毒的なところがある。
言ってしまえば,何だかどす黒い感じがするのだ。
だから一度沼にはまってしまうとなかなか抜け出せないのだが,ある日ぱっと聴かなくなる。
それでしばらく忘れていて,ある日何ともなしに聴きたくなって,また沼にはまって・・・。
というのを7~8年周期で繰り返しているような。
来年夏には新作発表が控えているというストーンズ。
それまでメンバーには元気でいてもらいたい。
なんたって,もう80過ぎても転がり続けているんだから,凄すぎるよ。
第2位 リアム・ギャラガー(5回)
第2位三組目が元オアシスのリアム・ギャラガー。
私は長いことリアムのソロを聴くことには躊躇があった。
それは,オアシス解散後に結成したビーディ・アイの終わりがあまりに寂しすぎたことと,その後の彼の数年にわたる隠遁生活の記事を読むにつけ,期待しても無駄ではないか・・・という思いのほうが先行していたからだ。
しかし,それは今年リリースされた新作「C’mon You Know」で完全に払拭された。
リアムはオアシスの幻影を追いかけることをやめ,自身がソロで「ロックンロール・スター」であり続けるために何をすればよいのかを模索し,そして実行に移してきた試みが見事に結実した傑作だったのだ。
オアシスの解散も,ビーディ・アイでの挫折も,リアムが本物の「ロックンロール・スター」になるための布石だったのか・・・と考えると,こんなにドラマチックなことはない。
果たして,リアムとノエルに待ち受ける未来は,どのようなものなのか。
再結成があろうが,ソロキャリアの充実に向かおうが,その未来が輝かしいものであることを,いちファンとしては願わずにはいられない。
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第1位 レッド・ホット・チリ・ペッパーズ(6回)
お待たせしました。
第1位は,レッド・ホット・チリ・ペッパーズです。
2022年はジョン・フルシアンテ再復帰後初のアルバムリリース(しかも2枚も!)ということで,随分ロックシーンを盛り上げてくれた。
最初に出た「アンリミテッド・ラブ」は正直あまりピンとこなかったが,今年2枚目の「リターン・オブ・ドリーム・カンティーン」で真骨頂のジャム・セッションを見せつけた。
ジョンとの「言葉を使わなくて済むコミュニケーション」をフリーが切望してきた意味が理解できたし,だからこそジョンの復帰に先立って脱退を余儀なくされた前ギタリストのジョシュ・クリングホッファーへの慕情も余計に募った。
個人的には,ジョシュについて書いた下の記事には,かなり思い入れがあります。
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ということで,200回記念のアーティスト登場回数ランキングでした。
200回も続いたのは,勿論書いていて楽しいからなのだけど,楽しいのは読者の皆様との交流があるからです。
毎回コメントをくださる方,スターをつけてくださる方,読んでくださる方,皆様が私のモチベーションの源です。
いつもいつもありがとうございます。
本当に感謝しかありません。
今後とも「音楽と服」をよろしくお願いいたします。
2022年リリースの名盤でTシャツ作ったらこんな感じ
昔の「ロッキング・オン」のディスクレビューを読んでいたら,U2の「ポップ」が紹介されていた。
これは97年に出たU2の作品で,勿論所有してているのだけど,実はアルバムを買うより先に,このジャケデザインのTシャツを手に入れていた。
大学生の頃,古着屋で見つけて1500円くらいで買ったTシャツだ。
だいぶヨレてはいたが,タイトル通りポップなデザインで,下にリーバイス501のダメージジーンズなんかを合わせてよく着ていた。
学生の頃は,大学の近くに小さな古着屋がたくさんあったので,講義の合間によく古着屋巡りをしていた。
バンドTもわりと置いてあったけど,多かったのはアイアン・メイデンやKISSなどHR /HM系のバンドのばかりで,そちらにはあまり触手が動かなかったので,ブリティッシュ・ロック勢のTシャツは貴重だったのだ。
古着のバンドTを着ていたのはさすがに学生時代までで,社会人になってからはライブやフェスに行ったときに買うようになったけど,デザイン的にいかしているTシャツは意外と少ない。
それでも,例えばピンク・フロイドの「狂気」なんかTシャツにしたらお洒落なアルバム・ジャケットも中にはあるわけです。
そこで,今年リリースされた作品の中で,Tシャツにしたらお洒落なのではないかと思われる作品をいくつかピックアップしてみました。
よければ,暇つぶしに見ていってください。
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1 ジャック・ホワイト「エンタリング・ヘヴン・アライヴ」
1点目は,今夏にリリースされたジャック・ホワイト「エンタリング・ヘヴン・アライヴ」のジャケット。
このジャケットに写っているのは「60年代にロシア政府がプロバガンダで撮った」写真なのだそうで,ジャック曰く「彼女は生地を作る綿を集めていると思うんだけど,でもそれを広げているようにも見える。または彼女が光の中を通り抜けているようにも見えるし,巨大なハープを演奏しているようにも見える。つまり見る人によって色々な見え方と意味が生まれる。」のだそうだ。
色々な角度から物事を見つめてほしい,つまり曲に触れてほしいという制作者(ジャック)の意思が垣間見えるジャケ写の選定になっている。
ちなみに,このジャケットをTシャツにするのであれば,黒地がベストだろうと考えた。
さらに,ジャケ写のみのシンプルなデザインにしたほうが謎めいた感じでよろしい。
ジャック・ホワイトのアルバムジャケットと知らなかったら,「いったい何の写真だろう?」と思わずにはいられないデザインだ。
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2 アークティック・モンキーズ「ザ・カー」
2点目は,4年ぶりの新作をリリースしたアークティック・モンキーズ。
ボーカルのアレックスがこのデザイン画を偶然見つけた時に,
「新作のタイトルは『ザ・カー』にしなければいけない。」
と思ったのだそうだ。
こちらはベタだけど,バンド名と作品名を上下に配してみた。
バンド名の方はデザイン画にも多く使われているベージュっぽい色に,作品名は黒にしてバランスを取った。
なんか,実際に出回ってそうなデザインだけど,あるかもしれないですね。
もし出ているのであれば,是非購入したいジャケ写のクオリティです。
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3 レッド・ホット・チリ・ペッパーズ「アンリミテッド・ラブ」
3点目は,ジョン・フルシアンテ再復帰後初めての作品「アンリミテッド・ラブ」のジャケット・デザイン。
こちらは敢えて左胸に小さめにプリントするようなデザインに。
お馴染みレッチリのマークがネオンになっているポップなデザインをさりげなく配置している。
来年2月には遂に日本公演が決定しているレッチリ。
セットリストも勿論だが,ツアーTはどんなデザインになるのか,今から気になるところだ。
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私はライブやフェスに行ったら大抵Tシャツを購入している。
「ツアーTやバンドTなんか,普段使いしないから買わなくていいじゃないか。」
という人も中にはいるが,外になんか着ていかなくてもよいのだ。
そのTシャツを持っていることで,思い起こすライブの情景や興奮があるから。
5年くらいライブに行けていないので,昔行ったライブやフェスの記憶を手繰り寄せるには,思い出の品を眺めるのが一番だ。
だから,ベッド下の収納には,ライブやフェスに行くたびに肥しが増えていく。
しかも,これがなかなか捨てられないのだ。
しかし,U2「ポップ」のTシャツはいつの間にかなくなってしまった。
今,私の手元には中古レコード屋で200円で買ったアルバムのみがある。
そこから,一曲ご紹介。
これがU2?と思うようなディスコティックでキラキラなナンバーです。
タイトルもそのまま,「ディスコティック」。
「縛り」の中でより「自由」に~ジャック・ホワイトの考え方~
私の仕事机の横には、バーのカウンターなどに使われてそうなちょっと高めのスツールが置いてある。
そのスツールの高さが、丁度机の高さと同じくらいなのをいいことに、買ってきたCDを積んでいる。
愛用のチボリのオーディオがすぐ横の棚の上に置いてあるので、CDを取り換えやすいのだ。
500枚収納のCD棚がもう既に一杯になっているので,新しく買ったCDはひたすらスツールの上に積まれていくことになる。
現在、スツール上には30枚ほどのCDが2列に積まれている。
毎朝仕事をするときに,このCDの山の中から聴く音楽を選ぶのだが,ここ数日選ばれているのが,ジャック・ホワイトが今春~夏にかけてリリースした2枚のアルバムだ。
ジャック・ホワイトという男は本当に底が知れない男で,これまでリリースしてきた数々の形態(バンド,デュオ,ソロ)において一作も駄作を残していない稀有の存在だ。
今年リリースされた2作も,聴き込んで初めて気づく仕掛けが施されており,聴くたびに新たな刺激を受ける。
ホワイト・ストライプス終焉の作品を回顧する
なぜ私が今回,ジャック・ホワイトのことを話題にしているかというと,現在に至るまでの彼の作品を聴き返す作業を行う中で,非常に興味深い事実と突き当たったからだ。
それは,彼の音楽との向き合い方にも通じるのだけど,それを深堀しようと思った経緯は,まず私がは久しぶりに車の中で聴いた「イッキー・サンプ」に衝撃を受けたことから始まる。
この「イッキー・サンプ」というアルバムは,ザ・ホワイト・ストライプスの6作目にして,最後のオリジナルアルバムでもある。
ホワイト・ストライプスというバンド(というかデュオ)は,ギターとドラムスのみという特異な編成で,その部分ばかりがクローズアップされる節がある。
今回,久しぶりにこの作品を聴いてみて衝撃だったのは,ジャック・ホワイトという男がこのフォーマットの中でこうも自由に,そして自身を解放して爆発させていた事実に改めて突き当たったからである。
ジャックは,この「イッキー・サンプ」のインタビューの中で,曲作りについて興味深いことを語っている。
ただ僕としては曲が僕に語り掛けてきたものを,そのまま作っているに過ぎないんだよね。だから,例えば”ブリックリー・ソーン,バット・スウィートリー・ウォーン”なんかは僕が家にあるオルガンで弾いたんだけど,曲がここはバグパイプが必要なんじゃないかと言ってきたからーそう,実は僕はオルガンだと思っていたんだけどー曲のほうがバグパイプだって言うから,そうするまでだっているね。
つまり、僕らは単に生まれてくる曲に雇われている人間でしかなくて,曲が語ったことをやるしかないんだよね。
「rockin'on」07.2007より引用
「僕らは単に生まれてくる曲に雇われている人間」と,ジャックは言う。
曲の方が最初にあって,それが語り掛けてくるのを形にしていく作業が,自分の仕事であると彼は言っているのだ。
実際,ホワイト・ストライプスは「イッキー・サンプ」の前作(ゲット・ビハインド・ミー・サタン」)ではギターを弾かず,木琴をメインに演奏を行うという試みを実践している。
彼のこのインタビューを読んでいると,昔ある本で読んだ著名な彫刻家の話を思い出す。
「作品は既にそこにあって,自分は槌でその作品を削り出すだけなんですよ。」
という話だ。
それにしても,この時期のジャック・ホワイトの熱量と抒情性の充実は凄まじい。
激しい曲はマグマの如く押し寄せ,静かな曲でさえ感情が洪水のように溢れ出す。
様々な感情が一つの作品に同居しているのだが,不思議とアメリカ南部の牧歌的な空気感を有しているのも「イッキー・サンプ」が持つ特異な要素だ。
ラカンターズの2作目と地続きになっていた
ホワイト・ストライプスはこの「イッキー・サンプ」で解散してしまうが,この作品と地続きになっていたのが,ジャックの別プロジェクト,ラカンターズの2作目「Consolers Of The Lonely」だ。
私が,ジャック・ホワイトの凄まじさに初めて気づいた作品だ。
この前作であるラカンターズの1stもよかったが,2作目となる本作のテンションの高さには圧倒された。
私が人生において,一番ロックを聴いていた2008年時点においてもベストと断言してもいいくらい素晴らしい作品だ。
しかし,ホワイト・ストライプス最後の作品「イッキー・サンプ」を聴き込んだ後に改めて聴き直してみると,メリハリといいアメリカ南部を思わせる抒情性や牧歌的な空気感は,相通じるものがある。
それもそのはずで,この2作品は同時進行で制作されていたのだ。
バンドとしての形態は全く異なるが,前述のとおりジャックは「曲に雇われた人間」であるわけで,形態が異なるからと言ってつくる音楽を意図的に変えるような真似はしないだろう。
「縛り」のなかでより「自由」になるジャックの考え方
ところで,ジャック・ホワイトはホワイト・ストライプス時代から自らに課しているルールがあって、それは「3」という構成要素で曲作りや活動を行っていくというものだった。
「赤・白・黒」
「ボーカル・ギター・ドラムス」
様々な決めごとを3つに集約し,その縛りの中で自分たちが表現できる最高到達点を目指すという試みだ。
しかし,縛りには囚われ過ぎないというところも重要だ。
前述の「イッキー・サンプ」制作時にはその縛りを「若干緩めた」とジャック自身が語っているように,最低限のルールはあるが,時にはそれを緩くすることで,新たな可能性も探ることができるというのだ。
曲が語りかけてくるものに耳を傾け,受け取ったものを自らが課したルールの中で最大限に表現する。
このような考え方は,何もロックンロール・スターだけでなく,生き方やビジネスにも生かしていけそうな気がする。
ジャック・ホワイトの凄さは,ルールを設定しながら,そのルールがあたかも無かったかのような破天荒なサウンドを創り上げるところにある。
しかし,出来上がった曲をよく聴き込んだり背景を探ったりしていくと,しっかりと自分たちのルールを意識して(遵守していようが緩めていようが)作られたものであることに気づかされる。
要は天才なのだろうけど,その意識の持ち方を知れば知るほど学びがあるなあと思ってしまう。
そんなジャックのディスコグラフィーの中から,「イッキー・サンプ」をご紹介。
凄まじいギター・ノイズです。
目覚ましにはもってこいでしょう。
^
ナット・キング・コールの「国境の南」
ここに,ナット・キング・コールのベスト盤がある。
ナット・キング・コールは1940〜50年代にかけて活躍した,ポップス歌手だ。
「L-O-V-E」や「MONA LISA」などは日本でもよくテレビCMなどでオンエアされていて,耳にしている方も多いのでないだろうか。
私も,彼の代表的なポップスソングはいくつか知っている曲もあった。
ナット・キング・コールはもともと,ジャズピアニストだったらしい。
ところで,なぜ私がナット・キング・コールのベスト盤を買おうと思ったかと言うと,昔読んだ村上春樹の小説「国境の南,太陽の西」に彼の「国境の南」という曲が出てきていたからだ。
小説に載るくらい有名な曲なら,ベスト盤を買えば入っているだろうと思ってAmazonで購入したが,いざ届いたCDを見てみると収録されていない。
当てが外れはしたものの,まあ仕方ないと思って聴いてみることにしたが,ナット・キング・コールの声はあまりに甘過ぎて,2,3回聴いてそれっきりになっていた。
後日,村上春樹が思い入れのあるジャズ奏者について綴ったエッセイ「ポートレイト・イン・ジャズ」を読んでいると,なんとナット・キング・コールは「国境の南」という曲は歌っていないらしいということが書かれていた。
村上本人も,昔聴いた気になっていて小説に登場させたが,後日指摘されて知ったらしい。
間違いなので直そうとも思ったが,物語の仕掛けにもなっているのでそのままにしていたそうだ。
レコードを探した人がいたらお気の毒,ということだった。
それは私のことだ。
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「国境の南,太陽の西」という小説は,脱サラしてジャズバーを経営する妻子持ちの男が幼馴染と不倫してしまうという話だ。
最近の村上作品と比べると,ファンタジックな要素は希薄だ。
リアルで,結構ドロドロしている。
村上春樹の作品は時折
「エロ小説だ」とか
「不倫を肯定している」とか
批判を受けることがあるようだが,この作品が与えている影響も大きいのではないかと思う。
ところで,ジャズバーを経営する主人公が店に出ている時の着こなしについて詳しく描写している部分がある。
僕はいつもと同じようにスーツを着て,ネクタイをしめていた。アルマーニのネクタイとソプラニ・ウオーモのスーツ,シャツもアルマーニだ。靴はロセッティ。僕はとくに服装に凝るたちではない。必要以上に服に金を費やすのは馬鹿馬鹿しいことだと基本的には考えている。普通に生活している分には,ブルージーンとセーターがあればそれでこと足りる。でも僕には僕なりのささやかな哲学がある。店の経営者というものは,自分の店の客にできればこういう恰好をして来てほしいと望む恰好を自分でもしているべきなのだ。僕がそうすることによって,客の方にも従業員の方にも,それなりの緊張感のようなものが生まれるのだ。だから僕は店に顔を出すときには意識的に高価なスーツを着て,必ずネクタイをしめた。
村上春樹「国境の南,太陽の西」
村上春樹が小説家としてデビューする前,「ピーター・キャット」というジャズバーを経営していたのは有名な話だ。
この小説が実話であるとは思わないが,少なくとも下積み時代の村上自身の経験が散りばめられた作品であることは想像できる(彼自身が不倫していたのではという下衆な話ではなく,彼が昔見ていた景色であったり,想像していたことであったりという「経験」を含めて)。
特に,引用したくだりに書いてある「哲学」については,本当に村上自身の「哲学」ではないかと思うのだ。
「ピーター・キャット」時代の村上がアルマーニのネクタイをしめて,ソプラニ・ウオーモのスーツにロセッティの革靴を履いていたとは思わないが,少なくとも
「自分の店の客にできればこういう恰好をしてきてほしいと望む恰好を自分でもしているべき」
と考えていたことはおそらく間違いない。
こういう「哲学」とか「信条」みたいなところがリアルでないと共感はできないし,ここで嘘をつく小説家は信用できない。
いや,「嘘」や「虚飾」は読んでいてもすぐに見破られる。
村上春樹が書く小説やエッセイは実に率直だ。
だから私は,彼の作品については小説もエッセイも,翻訳も基本的には全面的に肯定することにしている。
一番重要な小説に関しては,最近あまりにメタファーに富み過ぎている感が否めないが。
最後に,ナット・キング・コールのポップス・ソングを久しぶりに聴いてみたけど,冬に暖炉のそばで聴いているような安心感があってなかなか素敵だった。
確かに,部屋で女の子を口説くにはもってこいのBGMなのかも。
そんな格好いいことしたことないし,しませんが。
クリスマス・シーズンにはぴったりですね。
Aoi〜アウェーで戦うために〜
サッカーの日本代表がスペイン代表相手に大番狂せを演じて,勝利から28時間が過ぎてもテレビはずっと堂安と田中のゴール映像を流し続けている。
コスタリカ戦の敗戦から一変して現金なものだ。
まあ私も息子たちと早朝から観戦してたので人のことは言えない。
代表チームが活躍したら嬉しいのは当然なことだ。
ところで,今朝の報道番組で元日本代表の福田が,面白いことを解説していた。
それは,日本代表の攻撃システムについての話だ。
スペイン戦の後半,森保監督は長友を下げて左SBに三笘を入れた。
この交代について福田は
「長友選手は守備に特長を持った選手。その長友選手から攻撃に特長を持った三笘選手を入れたということは,それだけ前からプレスをかけて戦う意思が明確に見えるということです。」
と分析していた。
「試合状況を見て,何かを変えようとする時一番早いのは人を変えることです。」
福田が語っていた通り,後半開始直後の日本の1点目は,前田や伊東が前線で厳しいプレスをかけ,慌てたスペイン守備陣が乱れた隙に堂安が左脚一閃,ドイツゴールのネットを揺らした。
おそらく森保監督が描いた青写真通りの得点だったのではないだろうか。
と,知ったような口を聞いているが,私はサッカーに関しては完全に観る専門でほとんど素人だから戦術面の話は想像するしかない。
ただ,大学から社会人にかけてアメフトをやっていたので,チーム戦術についての話は好きで,先述の福田解説やAbemaの本田解説なんかは面白いなあと思いながら聞いている。
だから,サッカーに関してもアメフトに当てはめて考えることが多い。
例えば今回のスペイン対日本の試合も,アメフト的に想像すると,甲子園ボウル常連の関西一部優勝チーム(スペイン)に対して,一部と二部を行ったり来たりしている二部上位チーム(日本)との争いくらいの感覚ではなかろうか,と思うのだ。
で,実際にアメフトで一部優勝チームと二部上位チームが試合をしたらどうなるか。
多分50点差はつけて一部優勝チームが圧勝するだろう。
アメフトは一つのタッチダウンで大体7点は入るので,サッカーで言えば7点差くらいなものか。
グループリーグ初戦のスペイン対コスタリカの点差がそれくらいの点差だったことを考えると,あながち間違った得点感覚ではないのかも知れない。
ただ,アメフト的に考えると,弱者が強者に勝つには,相手のミスを確実に自分たちの得点に生かさないと勝機はない。
しかも,一回ならともかく二回もアップセットを果たすのは並大抵のことではない。
そう考えていくと,日本代表は実は二部上位どころか一部中位くらいの力はつけているのかも知れない。
昔読んでいた村上龍のエッセイで,「アウェーで戦うために」という本があった。
サッカー好きの村上が,当時(2000年前後)の日本代表や中田英寿について書いたエッセイだが,着眼点が斬新で今読んでもなかなか面白い。
この本の中で,サッカーにおける「攻撃の形」について彼はこんなことを書いている。
だいたいサッカーにおいて「攻撃の形」などというものが本当にあるのだろうか?たとえばブラジル代表にはたくさんの攻撃のバリエーションがあるが,それは個々の選手の能力によって可能になる。(中略)
日本代表だが,あの程度のFWで,そもそもどういう「攻撃の形」が可能なのだろうか?足が速いわけでもなく,背が高いわけでもなく,ものすごいシュート力やドリブルを持っているわけでもない。これから成長する可能性はあるにせよワールドクラスのFWに比べると,ごく平凡な選手たちだ。
攻撃の形が見えない,という人たちは,まず「パターン」を考えようとしているのだろう。モデル,やり方,を示してもらわないと不安なのだと思う。それは,突出した個人がゴールの中にボールを蹴り込めばそれで勝ち,というサッカーの基本原理とは別の次元の話だ。
「アウェーで戦うために〜フィジカル・インテンシティⅢ」村上龍
ここで村上が書いているように,当時やそれ以前の日本代表なら,堂安のようにワンチャンを生かして決め切ることはできなかっただろう。
それ以前に,欧州の強豪相手に前線からプレスをかけにいくようなことがなかっただろう。
昔の日本代表はシュートを打っても決めきれず,よく「決定力がない」と揶揄されていた。
センターライン付近でボールを持っても,すぐにプレスをかけられて簡単に奪われていた。
グループリーグの戦い方を見ても,「あの頃」の情けない姿はほとんど感じさせない。
思えば,2010年のW杯で敗れた後,本田がしきりに言っていた「個の力」というものが,ようやく現実的に身を結び始めているようだ。
三笘のスピードと正確なクロス。
久保のテクニックとアイデア。
堂安の決定力。
スペイン戦では枠内シュート3本のうち2本をゴールにした。
少ないチャンスをモノにする集中力の高さは大きな武器だ。
そう言えば,ドイツに勝った次の日の朝日新聞にこんな見出しの記事が出ていた。
「言わなくなった『自分たちのサッカー』」
2014年のW杯で選手たちが口々に言っていた「自分たちのサッカー」。
しかし,世界的な強豪を前にしたときには,圧倒的にポゼッションで上回られて「自分たちのサッカー』どころではなくなる。
自分たちより一段も二段も上の相手と戦って勝ち抜いていくために必要なのは,「自分たちのサッカー」よりもむしろ対応力だ,と森保監督は語ったそうだ。
「攻撃の形」に拘らず,対応力と個の力で勝機を見出す。
今の日本の戦い方だ。
世界を舞台に戦う選手が増え,一線級のスピードとパワーに慣れ,気後れしなくなったのも一つの強みかも知れない。
決勝トーナメント一回戦で当たるクロアチアは強かな相手だ。
98年のフランスでも06年のブラジルでも煮え湯を飲まされた
日本が初めて決勝トーナメントに進出して20年,4度目の正直。
今度こそ,扉をこじ開けてほしいですね。